父、商談をする
『何と言うか……こうも簡単に会えるものなのだな』
王城の待合室にて、オーゼンがしみじみとそう呟く。何の約束も無しに突然やってきたニックだったが、自分がジュバンの名を持つ勇者の父であることを告げると、それこそあっという間に王への謁見が認められたのだ。
「ふふふ、まあそうなるように情報を泳がせたからな」
もっとも、認められたからといって入城してすぐに謁見というわけにはいかない。待合室にてかなり高級な紅茶を嗜みながら、ニックは小さく笑って答える。
通常ならば勇者本人にしか該当しないが、「ジュバン」の名を持つ者はたとえ王であっても自分の意思で呼びつけたりはできない。とは言え普通ならば「勇者の父」に会う意味など無い。精々以後の来訪者への話の種になるくらいで、断られはしないまでも謁見の実現には相応の時間がかかったことだろう。
だが、ニックはメッタによって「勇者の父がこの国の王と商談を持ちたがっている」という噂を流させた。勿論それだけではまだ弱いが、そこでとどめを刺したのがニックの着ている服だ。王をして驚嘆させるその豪華な衣装は金の匂いをこれでもかと振りまき、ならばこそ強欲なマールゴット王は一も二も無く即座に食いついたのだ。
「とは言え、それでも情報が王の耳に届くまでは数日かかるかと思っていたがな。まあ早い分には構わんのだが……っと、来たか」
扉の外で動く人の気配を感じ取り、ニックはオーゼンとの会話を打ち切り何食わぬ顔で紅茶を飲む。するとすぐに案内の者がやってきて、ニックは謁見の間へと通された。
腰に下げた魔剣『流星宿りし精魔の剣』を側に控えていた男に渡すと、豪華な扉をくぐり赤い絨毯を踏んで歩くニック。やがてほどよいところで跪くと、ニックの頭上から威厳……というよりは迫力に満ちた男の声が響いてきた。
「面を上げよ」
その言葉に従いニックが顔をあげると、正面にはニックほどでは無いにしろ立派な体格をした五〇代くらいの男性が座っている。王冠を被り王座にてふんぞり返るその男が、ニックの顔を見てそのまま言葉を続ける。
「よくぞ来たジュバン卿。余がこのゴーダッツ王国の王、マールゴット・ゴーダッツである」
「初めまして陛下。ニック・ジュバンと申します」
「ああ、知っているぞ。世間ではあまり有名ではないようだが、その実なかなかの実力者だと伝え聞いている。どうだ? この後私的な席を設ける故、その武勇伝を余に語ってみる気はないか?」
「それは願ってもない。是非ともお願い致します」
「そうこなくてはな! おい聞いたな? すぐに部屋を用意しろ」
「ハッ!」
あくまでも下手に出るニックに、マールゴットは上機嫌で家臣に指示を出す。その後は当たり障りの無い会話を続けてすぐに謁見は終了となり、一旦待合室に戻ったニックが再び呼び出されたのは、それから三〇分程度たってからのことだった。
「ジュバン卿。お部屋の準備が整いましたので、ご案内致します」
「うむ、頼むぞ」
再び呼び出しに来た人物に連れられ次にニックが向かったのは、謁見の間よりも大分奥まった場所にある小部屋。そこにニックが踏み入れば、小さな丸いテーブルの正面に件の王が腰掛けてニックを待ち構えている。
「おお、来たか! さあここに座れ! おい、お前はもう下がれ」
「畏まりました」
マールゴットの言葉に従い、家臣が部屋を出て行く。豪華だがこぢんまりとした部屋に二人きりになり、ニックが席に着いたところでマールゴットは徐に会話を切り出した。
「さて、では早速勇者に隠れし裏の英雄殿の話を……と言いたいところだが、ジュバン卿、お前の狙いは何だ?」
「ほぅ? マールゴット陛下は何故そのようなことをお思いに?」
とぼけるニックに、マールゴットは顔をしかめて鼻を鳴らす。
「フンッ! 白々しいにもほどがあるが、答えてやろう。俺はマールゴット・ゴーダッツ! 欲しい物は何でも力尽くで手に入れてきた男だ。宝だろうと女だろうと、そして勿論、情報もな。
そもそも城下であれだけ暴れて何も知らないわけないだろうが。お前俺のことを馬鹿だとでも思ってるのか?」
「まさかそのようなことは! ですが、そういうことなら私としても話が早い。実は陛下に、ひとつ商談を持ちかけたいと思いまして」
ニックの言葉に、マールゴットが身を乗り出して興味を示す。自身の集めた情報の確かさに内心ほくそ笑むマールゴットだったが、それを表に出すほど甘い人生は送っていない。
「商談? 俺に何を売りたい? それとも何か買いたいのか?」
「ええ。陛下がお持ちの兎人族の秘宝『赤い月』を是非ともお売りいただきたい」
その申し出に、マールゴットの太い眉がピクリと震える。その瞳には楽しげな色が宿り、唇の端がニヤリと釣り上がる。
「ほぅ。どこでその名を知ったのかは、今は聞かないでおいてやる。で、幾らだ?」
「そうですな……私が考えるところでは、金貨一〇枚程度が妥当かと思いますが」
だが、ニックの提示した金額のマールゴットの表情が一気に曇る。あからさまに失望したように椅子の背もたれに体重をかけると、軽いため息をついてから嘲りを込めて言葉を紡ぐ。
「ハァ。これ見よがしに豪華な服を纏うからにはもう少し楽しめるかと思ったが、ジュバン卿の物を見る目は戦士としての力とは比例しなかったようだな。そんなはした金では――」
「カッサラーウへの依頼料にすら届きませんかな?」
そして、被せられたニックの言葉でマールゴットの表情が三度変わる。興味、失望ときて、次に宿ったのは強い警戒心だ。
「何の話だ……なんてとぼける気はないが、どこでその名を知った? カッサラーウが俺を売ったのか?」
「さあ? だが私が言えることは一つです。価値というのは見えるものと見えないものがある。陛下は秘宝を売って金貨一〇枚では安すぎると思われたようですが、秘宝を売らなかった場合に被る被害を考えれば、むしろ破格の取引ではありませんかな?」
「……俺を脅すつもりか?」
ゴブリンくらいなら視線だけで殺せそうな圧を込めて、マールゴットがニックを睨む。だがいつも相手にしている貴族連中ならばともかく、歴戦の勇士たるニックにはそんなもの涼風ですらない。
「まさか! 私はあくまで商談を持ちかけているだけですとも。陛下が誠実な日々を送っておられるなら、何の問題もないのでは?」
「俺のやり方は周辺諸国の連中だって知ってる。今更その程度のことでこの国が、その王である俺が揺らぐとでも?」
メッタから聞いていたこの国を取り巻く情勢をつつくニックに、マールゴットが不敵な笑みで返す。だがその答えも想定済みとばかりに、ニックの笑顔は崩れない。
「確かに陛下の所業は皆の知るところかも知れませんな。ですが、それは黙認であって公認ではない。公に罪を暴かれるのは些かまずいのでは?」
「公……? いくらジュバンとは言え、お前に他国を動かすことができるとでも? それは思い上がりが過ぎるんじゃないか?」
「はは、勿論私にはそんな力はありませんとも。集められたのはほぼ全てが状況証拠。これでは世間は動きますまい」
「だったら――」
ここぞとばかりに噛みつこうとするマールゴットの顔の前に、ニックが大きな手を突き出してその言葉を遮る。
「獣人の里から秘宝が奪われた! 里の者から頼まれてそれを奪還するべく動く……実に勇者的な行動だと思いませんか?」
「貴様、まさか勇者本人を動かすつもりか!?」
ニヤリと笑ったニックの言葉に、マールゴットがダンッと音が立つほどにテーブルを両手で叩き、上に載っていたティーポットがその勢いで床に落ちる。ガシャンという派手な音と紅茶のいい香りが辺りに漂うが、防音がしっかりしているこの部屋にそれを聞きとがめて入ってくる者はいない。
「あれはなかなかによくできた娘でしてな。私の頼みであったとしても非道なことに力を貸したりはしないでしょうが、正しく義のある行いであれば、それを成すのに躊躇うはずもない。何せあの娘は勇者なのですから」
「……………………チッ」
ほんの僅かな沈黙の後、マールゴットは不快さを隠すこと無く舌を鳴らす。
勇者を呼び出し意のままに動かすなど普通ならばそれこそ鼻で笑うところだ。どんな権力にも阿ることなく活動するのが勇者であり、自国に滞在している期間を除き、国は勇者には能動的に頼み事をすることができない。
これはそういう取り決めがないと世界中の国々が自分に都合のいい救援を勇者に依頼してしまうからであり、だからこそどの国も勇者を歓迎し、運良く訪れてくれたときには色々と頼み事をしたりする。
なので何処かにいる勇者を特定の場所に連れて行ってそこで依頼を受けさせるなど誰にもできるはずがないし、仮にできたとしても勇者がたまたま兎人族の里の近くにでもいない限り帝国との商談の方が早い。売ってしまいさえすればあとはどうとでも乗り切れるが……
「はったり、じゃねぇんだろうな?」
「それは好きにお考えくだされ。ただ一つ言えるとすれば、これは貴国の存在意義を私がきっちりと理解し、できるだけ穏便に事を済ませたいという温情だという点をご理解いただきたい。無用な混乱を生むのは勇者の父として望むところではありませんからな」
「ケッ、どの口が言いやがる……っ!」
悪態をつきながら、マールゴットの頭の中ではこの状況を打開する策が次々と生まれては消えていく。
(勇者を呼べるのが嘘の可能性……駄目だ。本当だったら国が終わる。なら金貨一〇枚で売る? 馬鹿言うな。この俺が、ゴーダッツの王である俺が脅しに屈して宝を渡すなんてあり得ねぇ。
なら、ジュバン卿を消す? どうしてもとなればアリだが、城下町であれだけ派手に動かれちゃ最初からここに来なかったことにはしづらい。殺すのはあくまで最後の手段だ。考えろ、それならもっと何かいい手が……っ!)
「……あぁ、わかった。俺の負けだ、ジュバン卿。お前に『赤い月』を売ってやろう」
不意に俯き小さく頭を振ると、マールゴットは両手を挙げて降参の態度を取り、ニックに向かってそう言い放った。