父、ぬか喜びする
「おわったー!」
全身を血まみれにしたマモリアの声が、静かな夜の世界に響く。勿論怪我をしたわけではなく、ワイバーンの解体作業によってドロドロになっただけだ。
「ようやくか……多かったね、マジで」
「皆、よく頑張ってくれた。町に戻ったら美味い酒を驕ろう」
「さっすが隊長! 話がわかるー!」
「おお、終わったようだな」
作業を終えた護衛達が声を掛け合うなか、魔石を取り出し終えたワイバーンの死体を運んでいたニックもその場に戻ってくる。
「お疲れ様ですニック殿。では、こちらが最後のワイバーンの死体になります」
「うむ。では……ふんっ!」
かけ声と共に、ニックが巨大なワイバーンの死体を放り投げる。それは放物線を描いて宙を舞うと、狙い違わずうずたかく積み重ねられた死体の山の頂上へと着弾した。
「よし!」
「うわぁ……」
上手い具合に乗せられて思わずガッツポーズを取るニックに対し、死んだワイバーンが空を飛ぶという普通に生きていれば見ることの無い光景を目の当たりにしたマモリアが思わず声を漏らした。悲壮から疲労へと変わった彼女の表情は、今は諦めの色に染まっている。
「改めて見ると、凄い数ですな……これを放棄するしかないとは」
「勿体ない……これかなりの金額になりますよね?」
シルダンの言葉に、ニックもまた渋顔になる。ワイバーンの魔石は銀貨一枚だが、皮や爪などを余すこと無く剥ぎ取って売れば全部で銀貨三枚にはなる。ちなみに依頼を受けて倒した場合は、それに討伐証明の買い取り金が銀貨一枚加わるのだが、それは今回は関係ない。
そして、今回ニックが倒したワイバーンはエルダーワイバーンを除いて合計三八匹。金貨一枚分ほどの素材を投げ捨てていくのだから、その思いは言わずもがなだ。
「とは言え、どうやってもこんな量は運べぬからな。魔法の鞄でもあればいいのだが」
「確かに。ですがあれは貴重品ですからな」
『おい貴様、魔法の鞄とは何だ?』
「そうだな。極めて希に古代遺跡から発掘される、見た目の一〇〇倍以上の容量を持つ魔法の鞄であれば、これを全部詰め込むことも出来たであろうが」
オーゼンにわかるようにあえて説明っぽい台詞を口にしたニックに、ガドーも「まったくですな」と頷いてみせる。
『遺跡……アトラガルドの製品? ということは……ああ、ひょっとして異空間収納目録のことか? であれば中央集積倉庫に行ければ我にも作れるであろうが――』
「本当か!?」
「うぉっ!? に、ニック殿!?」
「あ、ああ、すまん。ちょっと頭に浮かんだことがあったのだ。気にするな」
「は、はぁ……」
いぶかしげな視線を向けるガドーを無視し、ニックはクルリと背を向けるとそっとオーゼンに話しかける。
(おい、オーゼン! 今のは本当か?)
『ん? 異空間収納目録を作れるかという話であれば、本当だぞ? とは言え、あくまでも中央集積倉庫にたどり着ければ、であるが』
(そうか。そのナントカという場所に心当たりはないのか?)
『中央集積倉庫の場所は利権の問題から王であっても知らなかったからな。我にもサッパリわからぬ』
(むぅ、そうか……)
オーゼンの言葉に、ニックは露骨に肩を落とす。極めて貴重な魔法の鞄だが、勇者パーティの一員であったニックは当然所有していたし、本来ならば出立の際に持って行こうと思っていた。
これは勇者本人であるフレイばかりか、何故かムーナも魔法の鞄を所持していたからだ。一パーティに三つは流石に過剰であり、仮にニックが持って行っても誰も何も言わなかっただろう。
だが、ムーナの策略によりニックはあらゆる荷物を宿に置き去りにして出てきてしまった。そのためニックの魔法の鞄は今はロンが使用しているのだが、それはニックにはあずかり知らぬことである。
「あの、ニックさん? そんなに落ち込まなくても……ほら、きっと姫様がこんなの目じゃないくらいの報奨金を出してくれますよ!」
「おいマモリア! そんな勝手なことを――」
「いえ、構いません」
背を向けて肩を落とすニックの落ち込む理由を誤解したマモリアの言葉にガドーが突っ込みをいれようとして、それを更にキレーナ王女が否定する。その声にニックが振り向けば、そこには片膝を突く三人の護衛に囲まれ、キレーナ王女が笑顔を浮かべて立っていた。
「ニック様には本当にお世話になりましたから、もう一つのお願いに加え、当然金銭的なお礼もお渡ししたいと思っております。ただ手持ちはそこまで多くはありませんので、出来れば城に戻ってから改めて……と考えているのですが、いかがでしょう?」
「ん? ああ、儂はそれで構わんぞ。そもそもそれを当てにして動いていたわけでもないしな」
金銭を優先するのであれば、それこそ最初に依頼を受けたうえで暴れていただろう。数千数万の金貨を稼げと言われれば多少困難だが、放置した素材分程度を稼ぐのはニックであれば簡単であった。
「まあそれはそれとして、だ。すまぬがここでもう一つの頼みを聞いてもらってもいいか?」
「はい、何でしょう?」
全く無いとは言わないが、ひとつめの願いを申し出られた時に比べてキレーナや護衛がニックの言葉に感じる警戒心は驚くほど低くなっていた。実際キレーナの浮かべる笑みは王族としての建前ではなく本当に微笑んでいる様が透けて見える程だったが……当のニックは少しだけ申し訳なさそうな顔をして言葉を続けた。
「取り出したワイバーンの魔石をな、お主の馬車で一緒に運んで欲しいのだ。もしくは魔石が全部入るような袋でもあれば、それを貸してくれるのでもいいのだが……」
ワイバーンの魔石は、大体大人の男の拳くらいの大きさがある。一つ二つならどうとでもなるが、流石に三七個もあると抱えていくことは難しかった。初心者講習の帰りなので長旅用の背嚢は背負っておらず、更にエルダーワイバーンの死体だけはそのまま持って行こうと考えていたため、今のニックに魔石を運ぶ余裕は無い。
「ああ、そんなことですか。生憎袋はございませんが、馬車の中に魔石を積むのは構いません」
「姫様!? 本当にいいんですか!?」
驚くマモリアの言葉に、キレーナ王女はニッコリ笑って答える。
「勿論です。多少馬車の中が狭くなるくらい、受けた恩に比べればどうということもありませんわ」
「でも、その……魔石って、結構生臭いですよ?」
「えっ!?」
思いもよらなかったマモリアのその言葉に、キレーナの体が一瞬固まる。
「で、でも私がもらったこれは……」
「それは姫様の所有物ということで、念入りに清拭してありますから。ですが他の魔石に関しては血や脂が付着したままですから、これを馬車のような狭い空間にいれるとなると……」
「えっと、残りの魔石を綺麗に洗うのは……?」
「無理ですな。水が足りなすぎます」
王女の持つ魔石だからこそ飲み水を消費してまで洗ったが、それを残りの三七個にも行うのは物理的に不可能だ。そう離れているわけでもない町まで行けば普通に水は手に入るが、そもそも町に魔石を運ぶための提案なのだからどうしようもない。
「だ、大丈夫、です。そのくらい……」
「どうしても気分が悪くなるようでしたら、早めに仰って下さい」
「わかりました。ありがとうガドー」
そう言って笑う王女の笑顔がほんの少し引きつっていたが、誰もそれを指摘したりはしなかった。
「よしよし。であればもうこんな所に用はあるまい。さっさと町に戻ろうではないか!」
「ですね。もう真っ暗だし……って、うぉ!? ニックさん、それ持って行くんですか!?」
頭の無いエルダーワイバーンの死体を担いだニックの姿に、シルダンが驚きの声をあげる。
「うむ。他は仕方が無いが、コイツだけはきっちり素材を回収しようと思ってな」
「そう、ですか……あの、隊長? 今のニックさんを衛兵が見たら、先制攻撃とかされないですかね?」
「む、それは……ニック殿、我らが先導します故、殿をお願いしても?」
「無論構わぬぞ。大船に乗ったつもりで任せるが良い!」
ガドーの提案に、ニックは二つ返事で了承する。
「では、参りましょ……うっ……」
馬車に詰め込まれた魔石の生臭さに顔をしかめた王女のかけ声と共に、ニック達はすっかり夜の帳が降りきった道を町へと引き返していくのだった。





