父、やり返す
「フンッ!」
気合いと共にニックの全身の筋肉が膨れ上がり、ギチギチに縛り上げていたはずの縄がはじけ飛ぶ。だが、それはまだいい。予想の範囲内だ。コスッカライを混乱させたのは、そこから続く一連の出来事。
バゴーン!
「……は?」
倉庫の屋根が、吹き飛んだ。冗談のように天高く跳ね上がり見えなくなった屋根の先には、いつの間に暗くなっていたのか夜空に輝く星が見える。その場にいた全員の視線がそんなあり得ない光景に吸い付けられていると――
ドサッ
小さな音を立てて、さっきまでニックを痛めつけていた男の一人が床に倒れ伏す。それは瞬く間にその場の全員に伝搬し、コスッカライが正気を取り戻す五秒の間に一〇〇人いた手下は全てその場で気を失っていた。
「あー、ずっと同じ姿勢でいたから体が固まってしまったわい。いい運動であった!」
「…………あっ!? て、テメェこの糞オヤジ! 俺達に手を出したら、人質がどうなるかわかってるんだろうな!」
「わかっておるとも。だからずっと様子をみていたのだ。だが最初に報告に行った以外、お主が終わりを宣言しても残りの見張りは動かなかった。つまり定時報告などはなく、倒してしまえば問題ないということだ」
そう言いながら、ニックの視線がチラリとコスッカライの背後に動く。慌ててコスッカライが振り向くと、そこには建物の外に待機させていた連絡係の四人がぐったりと倒れ伏していた。
「いつの間に!? だ、だが、お前は俺達のアジトの場所を知らないはずだ! ここで俺を倒したって、俺が戻らなきゃお前が知らないところであの娘は……」
「それに関しては何の問題も無い、とだけ答えておこう。さあ、これが教訓その三だ。儂に人質は通じない。それをきちんと魂に刻んだなら……」
「く、糞がぁぁぁぁぁぁ!」
「……眠れ」
破れかぶれで殴りかかったコスッカライだったが、ニックの一撃にその意識があっさりと刈り取られる。そうして全ての敵を沈黙させたニックは、徐に自分の服や荷物がある場所へと歩いて行った。
『終わったか? ならばさっさと服を着るのだ』
「いきなり辛辣だなオーゼン。今回は儂が脱いだわけではないぞ?」
『貴様が自主的に脱いだかどうかが問題なのではない。その醜いモノをブラブラさせるなと言っておるのだ馬鹿者!』
「ぬぅ……少し待て」
オーゼンに怒られ、ニックは脱がされた下着や服を着、鎧と剣を身につけていく。所持品なども確認し完全に元の状態に戻ると、ニックは改めて腰の鞄からオーゼンを取り出した。
「準備完了だ。では行くぞ……『王能百式 王の羅針』!」
高らかに叫ぶニックに応え、オーゼンの体が赤い羅針をその身に宿す透明な球へと変身する。その針の指す方向を確認すると、ニックは抜けた天井から高く空へと跳びだした。寝静まるにはまだ早い時間だけに町には喧噪が満ちていたが、夜空を駆けるニックの姿に気づく者は一人もいない。
「羅針の先は、あの建物か」
『周囲を全て回った結果だから、間違いなかろう』
「よし、では踏み込むぞ!」
これからやろうとしていることの関係上、間違った建物に入っては目も当てられない。しっかりと確認してからニックはオーゼンを羅針の状態のまま腰の鞄にしまい込むと、目をつけた建物の入り口に向けて降下する。
「ハァァ、だりぃ……へぐっ!?」
「な、何だ!? 空からオッサンがぐぁ!?」
着地と同時にニックの拳が閃き、入り口に立っていた見張り二人はあっという間に気絶する。倒れた二人を邪魔にならないよう建物の陰に寝かせると、ニックはしばし目を閉じて集中し、建物内部の人の気配を探っていく。
「……よし、パクリットの気配は掴んだ。であれば……」
『クックッ、どうするのだ?』
ニックが最後にもう一度確認した羅針を元のメダリオンに戻して鞄にしまい込めば、オーゼンが楽しげに笑いながら問う。全く効果がないとわかっていても、自らが認めた王候補者を痛めつけられるなど、オーゼンとしても業腹だったのだ。
そして、それはニックにしても同じ。ここまでの準備運動でしっかりと温まった体に気合いを入れ、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべる。
「決まっておろう。突撃だ! ウォォォォォォォォ!!!」
筋肉親父の雄叫びが夜のガメッツィに響き渡り、その日知られざる闇蜘蛛のアジトの一つは、まるで嵐にでも見舞われたかのように見る影も無く蹂躙され尽くすことになった。
「……で、これが?」
「そうだ。儂がちょっと外で体を動かしていたところを襲われてな。やむを得ず返り討ちにしたのだ」
「いや、したのだって……」
王都ガメッツィ、深夜の詰め所。昨日夜明け近くまで遊び呆けた結果見事に勤務時間に遅刻し、上司から宿直を言い渡されたパイセンは、三日連続で現れた筋肉親父の『お届け物』を前に途方に暮れていた。
「ということで、今回も宜しく頼むぞ!」
「あ、ああ。まかせとけ……」
「では、さらばだ!」
清々しい笑顔の筋肉親父が立ち去った後には、数えるのも馬鹿らしいほどの気絶した人の山が残る。どんなに少なく見積もっても三桁は確実であり、当然ながらこんな人数は詰め所にある留置所には入りきらない。
「……ええ、これどうすりゃいいんだ? 金にはなるけど、この人数を一人で運んで調書も作るのか? 無理だろ常識的に考えて……」
既に月は天に高く、これを一人で片付けるのは朝までかかっても無理だとパイセンは判断する。となれば、自分にできることは何か? パイセンはボーッとする頭で夜空を見上げ……
「……とりあえずニコシタを起こすか。うん、アイツに丸投げしよう」
ほとんど現実逃避のような思考で、パイセンは詰め所を後にニコシタの家まで向かう。夜中にたたき起こされたニコシタをなんとか説得して戻ると運悪く様子を見に来ていた上司が一人詰め所でこの惨状に唖然としており、事情説明と詰め所を空にしたことを二人揃って朝まで説教されるのは、この一時間後の事であった……
「ふぁぁぁぁ……」
「おはようパクリット。昨日はよく眠れたか?」
そして、ニックが王都ガメッツィに入って四日目の朝。部屋を出たところで鉢合わせしたパクリットにニックが声をかけると、パクリットは眠そうに耳を揺らしながらニックの胸をポフポフと叩いた。
「眠れるわけないですぅ!」
「そ、そうか。しかし事前に伝えていたのだから、ある程度覚悟はしていただろう?」
昨日の朝、説明を求めたパクリットにニックはその後に予想される事態もきっちりと説明していた。ニック本人をどうにもできないと判断されれば、その近い存在……即ちパクリットに手を出してくる可能性が高いというのは自明の理だったからだ。
その上であえて後手に回ったのは、その行為が無駄であるとはっきりとわからせるためだ。ニックが直接誘拐を防いでしまうと「ニックの隙を突いて攫えばいい」となってしまうため、攫われても簡単に奪還できるのだと示す必要があったのである。
そして、その説明を受けてパクリットは自身が危険に晒されることを了承した。ずっと待っているだけ、頼っているだけに比べれば、たとえ危険であったとしても自分が役に立てることがパクリットにはむしろ救いに思えた。が……
「そっちじゃないですぅ! 何ですかアレ!? 人がゴミのように飛んでいって、建物が紙くずみたいにあっという間に壊れていって……あんな恐怖体験をしたら、寝られるわけないじゃないですか!」
「おぉぅ、そ、そうか。いや、しかしあれも必要だったのだぞ? ここまで事態が進めば、そろそろ儂の力を少し強めに見せつける必要があったのだ」
「強すぎですぅ! 見せつけすぎですぅ! あんな目に遭ったら、私なら土下座して足をなめ回しますぅ!」
『だから我は言ったのだ! あれはやり過ぎだと、何度も何度も言ったであろう!』
「ぐぅぅ……ま、まああとは最後の詰めだけだ。ここまでくればお主は寝ていても――」
「あ、ニックさん!」
パクリットとオーゼンの二人から責められタジタジになっていたニックだったが、そこに背後から声をかけられた。振り向けば宿屋の店員が笑顔でニックの方を見ている。
「お、おお! 何だ? 儂に何か用か?」
「はい。ニックさんにお客さんが尋ねていらしてますけど、どうしますか?」
「客? もうか」
「お客さんですか?」
クイッと耳を九〇度傾けて問うパクリットに、ニックはニヤリと笑みを浮かべる。
「ああ、そうだ。ここに儂を尋ねてきたということは……ふふ、出かけるからお主も準備してこい」
「? わかりました」
ニックの言葉にパクリットが自室に戻り、ニックだけが店員に連れられて店の入り口まで出向く。するとそこにはもはや因縁すら感じられる男の顔があった。