父、誘拐される
「…………そうか」
コスッカライの言葉に、ニックは短くそれだけを返す。そんなニックの反応に気をよくしたコスッカライは、上機嫌になって言葉を続けた。
「言っとくが、連れてきちゃいねぇぜ? 目の前にいたら、首筋に刃物を突きつけてたって奪い返されそうだったからな」
「ほぅ。お主もようやく学習したということか」
「ああ、学ばせてもらったよ。オッサンの偉そうなご高説のおかげだ。ありがとよ」
ニックの態度を強がりと判断して、コスッカライは嘲るような声で言い放つ。だがその皮肉を込めて見下す視線を受けてなお、ニックの表情は変わらない。
「それで? 儂にどうしろというのだ?」
「あん? そうだな。本当なら今すぐにでもぶっ殺してやりてぇところだが、まずはこの俺をこけにした代償をタップリと払ってもらわねぇとな。ここから西に行った所に組織が所有する倉庫がある。まずはそこまでお散歩だ」
言いながら、コスッカライがニックの太い首に革製の首輪を巻き付けた。と言っても他者の意思をねじ伏せるような高価な魔法道具ではなく、単なる革製の首輪だ。相手に屈辱を与える以外の効果などそこには存在しない。
もっとも、コスッカライにはそれで十分だった。倒した自分たちすら殺さない甘ちゃんのニックが、人質を取られた状態で抵抗するとは微塵も考えなかったからだ。
「ほれ、来い!」
「わかった」
コスッカライが首輪に繋がる縄を引き、ニックがそれに従って歩く。己を圧倒した相手に文字通り「首に縄をつけて」引きずり回す快感にコスッカライが酔いしれていると、程なくして二人は倉庫の建ち並ぶ場所の一角へと辿り着いた。
「ここだ、入れ!」
「ははは、そう引っ張らずとも入るぞ?」
「……くそっ! まあいい」
コスッカライが乱暴にニックの首輪についた縄を引いたが、彼の腕力ではニックの巨体を揺るがすことなどできるはずもない。全く態度を変えないニックにコスッカライの機嫌が急速に悪化したが、それもすぐに持ち直す。何故なら倉庫の中には昨日ニックに言いようにやられた者も合わせて一〇〇人近い手下達が、いたぶる獲物の到着を今か今かと待ちわびていたからだ。
「おお、これはまた熱烈な歓迎だな」
「ふんっ。強がってられるのも今のうちだけだ。おいお前等! 今日の獲物が到着したぞ!」
「「「ウォォォォォォォォ!!!」」」
コスッカライの宣言に、倉庫の中に野太い男達の声が響き渡る。暴力への期待に酔いしれる手下達の怒号は、コスッカライのボロボロになった自尊心をこれでもかと癒やしてくれる。
「さてオッサン。ここから先は言わなくてもわかるだろうが、それでも優しい俺はきちんと教えてやる。抵抗はするなよ? オッサンならここにいる全員と戦ってすら勝つのかも知れねぇけど、その場合は何処にあるかわからない闇蜘蛛のアジトで、あのお嬢ちゃんが愉快なことになるだろうからな」
「その前に、確認だ。パクリットが捕まっているのはわかったが、今はまだ彼女に危害を加えてはいないのだな?」
「心配か? 俺としてはあの立派な耳の一つくらいは切り取ってもってこようかと――っ!?」
瞬間。瞬きすらしていないというのに、気づけばコスッカライの顔がニックの手にがっちりと捕まれていた。ギリギリと締め付けるその力が、コスッカライに己の死を強く連想させる。
「心せよ。人質というのは無事だからこそ価値があるのだ。儂がお主の頭を握りつぶさないのは、人質が無事だからということを決して忘れるな」
「わがっだ! わがっだがらゆびをゆるめでぐでぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
痛みと恐怖で口から泡を吹きながら必死に懇願するコスッカライ。その頭からニックの指が離れると、ヒューヒューと細い息を繰り返しながら必死にその心を落ち着けていった。
(くそっ……くそっ! コイツがこんなに強くなければ……くそっ!)
コスッカライが人質を傷つけることを厳禁としたのは、ニックがどこまでを許容するかわからなかったからだ。落とした指でも持参した結果「傷物に興味は無い」などと言われてしまえば自身の破滅は確実。だからこそ何もしなかったのだが、その決断こそが自分の命を救ったのだと、コスッカライは心からかつての自分に感謝した。
「ふぅ、ふぅ、ふぅぅぅぅ……よし、落ち着いた。おい、お前等怯えることはねぇ! こっちが人質を抑えている限り、コイツは反撃なんてできやしねぇ! 裸に剥いてとにかく思いっきり痛めつけてやれ!」
今のやりとりで腰が退けていた手下達に見せつけるように、コスッカライが言葉と共にその拳でニックの顔面を殴りつけてみせる。するとそれに触発された手下達が一斉にニックに群がり、その装備を剥ぎ取ると全身に暴力の雨を降らせ始めた。
「ウヒョー! すげぇ剣だぜ! これ欲しいなぁ」
「うわ、この鎧糞重いぞ!? 誰か手伝え!」
「何だこの変なメダル? って、こんなガラクタより財布だよ。凄ぇ量の金貨が入ってる!」
「そのオッサンの持ち物は姐さんに献上するんだから、手ぇ出すんじゃねぇぞ! ったく……おい、誰か酒もってこい!」
「ヘイ!」
大騒ぎする手下達に念押しをすると、コスッカライは痺れる手をぷらぷらと振りながら手下の持ってきた酒瓶を受け取る。そうして散々に痛めつけられる筋肉親父の姿を肴に、コスッカライはしばし愉悦の時間に身を浸した。
「ああ、これだ。これこそが俺達のあるべき姿だ。闇蜘蛛に逆らったことをタップリと後悔しやがれ、この糞筋肉野郎が……」
五分、一〇分、コスッカライの手下達が代わる代わるにニックを殴り、蹴り、時にはナイフを突き立て剣で切りつけ続ける。壊し甲斐のある獲物に最初のうちは興奮していた手下達だったが、全員が思いきり暴力を振るいきった頃になると、徐々にその様相が変わってくる。
「はぁ、はぁ……なあ、何かこのオヤジおかしくねーか? これだけ殴ってるのに痣のひとつもつかねーとかおかしいだろ?」
「俺の手の方が痺れてきちまったよ。正直もう疲れてきたし……」
「思いっきりナイフを刺しても刺さらねーって、これ本当に基人族なのか?」
手下達の間に、確実に倦怠感が広がっていく。殴っても蹴っても切っても刺してもニックの体には傷一つつかず、責めている自分たちがヘトヘトになっているというのに、責められているはずのニックが余裕の表情を崩さないからだ。
「どうした? もう終わりか? 儂は痛くも痒くも無いぞ?」
「うるっせぇな! 糞がっ!」
挑発するようなニックの言葉に、手下の一人が近くに転がっていた剣を力任せに投げつける。その切っ先はニックの首に命中し、普通であれば致命傷となるところだが……
カランッ
「フッ」
「何で刺さんねーんだよ!」
鼻で笑うニックに、手下の男は叫ばずにはいられない。ニックの皮膚にプニッと押し返された剣は薄皮一枚切り裂くことなく倉庫の床に落ち、そのあまりに理不尽な光景は手下達のやる気を完全に奪ってしまった。
「コスッカライさん、どうします? あのオッサンどうやっても傷つかないんですけど……」
「どうって……どうするよ……」
手下に問われたコスッカライだが、彼もまたどうしていいかわからない。恐ろしいほど強いとは思っていても、ここまで非常識な相手だとは思っていなかったからだ。
「もっと切れ味のいい剣……あるいは強力な毒? だからそういうのは姐さんの許可がなきゃ持ち出せねぇだろ……あー、まあいいや。ならとりあえず今日はこのくらいにして、続きはまた後にする。おい、誰かこのオッサンを縛り上げて転がしとけ」
「へーい……」
なんとなくそんな事をしても無意味だろうとは思いつつ、それでもコスッカライは手下に指示してニックの縛り上げさせる。そうして立ったまま縄でぐるぐる巻きにされたニックを床に倒してやろうと足下に蹴りを入れたが、ニックの体は一ミリだって揺れないにもかかわらず、コスッカライの足には鈍痛が走る。
「くそっ、何でどこもかしこも硬ぇんだよ!? 意味がわかんねぇぜ……まあいい。じゃ、俺は一旦引き上げるが、オッサンは大人しくしてろよ?」
「む? 本当にもう終わりなのか?」
「ああ、終わりだ。と言ってもあくまで『今日は』だけどな。明日以降もたっぷり可愛がってやるから――」
「そうか。ならば儂も終わりにするとしよう」
コスッカライの言葉にニックはニヤリと笑うと、全身の筋肉を震わせた。