父、理由を聞く
「なるほど、奥さんと娘さんがいるんですね。それじゃ仕方ないですぅ」
「そうなのだ。やっとわかってくれたか……はぁ」
ようやくにした落ち着いた獣人の女性を前に、ニックは心からため息をついた。悪意無く女性に迫られるのは、ニックがもっとも苦手とする行為なのだ。
『何と言うか、あの聖女を更に強烈にしたような感じであったな』
「ああ。それで……あー、そういえばお主、名前は何と言うのだ? 儂はニックというのだが」
「そう言えばまだ自己紹介してませんでしたね。私は兎人族のパクリットですぅ。宜しくお願いしますニックさん」
パクリットの差し出した手を、ニックの大きな手が握り返す。人の手とは違うもふっとした感触が手のひらに伝わり、その柔らかさとくすぐったさにニックは少しだけ表情をほころばせた。
「さて、自己紹介がすんだところで、今度こそしっかりと聞かせてもらおう。この国の城にお主達の里から盗まれた秘宝があるとのことだが……今更だが、それは聞いてもいいものなのか?」
「あ、はい。里としては秘宝を盗まれたことは勿論恥ですけど、聞かれて隠すのは余計にみっともないですからね」
改めてそこに思い至り問うニックに、パクリットはあっさりとそう言った。ならばと落ち着いて聞く姿勢を取ったニックに、パクリットはゆっくりと話し始める。
「私達兎人族の里には、ひとつの秘宝がありました。それが何なのかは……ごめんなさい。今はまだ秘密ですぅ。ただ、とても価値のあるものだということだけはお答えしておきます。まあ秘宝ですしね」
「ふむ、そうだな。それで?」
「はい。で、その秘宝なんですが……大体一年くらい前に、気づいたら無くなっていたらしいんです。状況的には少し前に来ていたノケモノ人の行商人が怪しいということになったんですけど、調べると言っても秘宝が無くなった事に気づいた時には既にその行商人は立ち去った後でしたし、そもそも行商人ということ自体が嘘で最初から秘宝を狙っていたらしく、足取りが全く掴めなくて……」
「なるほど、魔が差してとかではなく、目的を持ってやってきた窃盗犯ということか。それは確かに捕まえるのが難しそうだが……むしろよくそれでここまで辿り着けたな?」
相づちよりも驚きが勝り、ニックは思わず聞いてしまう。するとパクリットは懐から得意げに四角い板のような魔導具を取り出してみせた。
「ふふふ、そこで登場したのが、さっきニックさんに取り返してもらったこの魔法道具ですぅ! これは私達兎人族が使うと秘宝のある方向をぼんやりと教えてくれる優れもので、これを使って世界中の色んな所から秘宝のある方向を割り出した結果、遂にこのお城にあることが判明したんですぅ!
で、私としては盗まれた秘宝を返して欲しくてお城に話をしにいったんですけど……」
「それを兵士に咎められたというわけか」
「ですぅ」
しょんぼりと耳を垂れ下がらせるパクリットに、ニックは慰めるようにその肩をポンと叩きながら自分の考えを話す。
「ふむ。そういうことなら獣王陛下に頼って、外交筋から秘宝の返却を求めるのはどうだ?」
一個人が城を訪ねて話を聞いてもらえないのは普通のことだが、他国の王が正式に問うなら話は別だ。ましてや獣王は全ての獣人を束ねる王であり、基人族の一国が対抗できるような存在ではない。回答がどんなものになるのかはわからないが、少なくとも無視されることだけはあり得ない。
が、そんなニックの提案にパクリットは悲しそうに首を横に振る。
「それはあくまで最終手段としてはありですけど、基本的には私達の問題は私達で解決しないと駄目なんですぅ。ただでさえ秘宝を奪われたということで兎人族の評価が落ちているのに、解決にまで獣王様の力を頼ったりしたら、それこそ私達の立場が無くなっちゃいますぅ」
「むぅ、そうか。何とも難しいところだな」
獣人は力を尊ぶが故に、他の部族と協力することはあっても一方的に助けを求めるようなことは滅多に無い。それをしてしまうと明確に力の上下関係が生まれてしまい、それを対等に戻すのは並大抵の努力では成し得ないからだ。
親が犯した失態を子供の世代で他者の力に頼って解決すれば、孫の世代には二つの負債が積み重なって襲いかかる。そんなことをしたくないという思いは、ニックにしても十分に納得できる理由だった。
「だが、ならばどうする? お主個人の力でできることなどたかが知れているのではないか?」
「それは……」
ニックの言葉に、パクリットの表情が沈む。だがそれも一瞬のことで、次に顔を上げたとき、その真っ赤な瞳は強い決意を宿してニックをまっすぐに見つめ返した。
「確かに、私ができることなんてたかが知れています。でもこんな小さな私だからこそできることもあると思うんです。
だから、私は諦めません。さっきも言ったとおり、どんな手段を使っても、どんな犠牲を払っても必ず秘宝は取り返します。それが私達兎人族の悲願ですから」
「そうか……」
その力強い眼差しを受け止め、ニックはそっと己の目を閉じた。そうして少し考え込むと、きっとはじめから決まっていたであろう結論を口にする。
「わかった。ならば儂もそれに協力しよう」
「えっ!? でも――」
驚き戸惑うパクリットの言葉を、ニックはその大きな手をかざして止める。
「いいのだ。と言っても、無論違法な行為に協力するわけではないぞ? 情報収集やゴーダッツ王との交渉に協力しようという話だ。儂ならばそれができるからな」
「ええ……? 情報収集はわかりますけど、王様と交渉って、ニックさんって実は偉い貴族様とかだったんですか?」
「まあな。まあ肩書きだけの一代貴族ではあるが、それでも話をするくらいには役立つはずだ」
「ほぇー。人は見かけによらないですぅ」
「……それは褒めているのか?」
「勿論ですぅ! とっても男前ですぅ!」
「そ、そうか?」
「そうですぅ! 素敵ですぅ! 格好いいですぅ! 世界最高の筋肉親父ですぅ!」
「はっはっは、そこまで褒められると照れくさいな。よし、では早速町まで行くぞ!っと、その前にお主は腕の血を拭き取った方がいいぞ?」
「あ、そうですね。とっくに血は止まってたんで、すっかり忘れてました! じゃ、それも合わせてちょっと体を綺麗にしてきますね」
そう言いながら、パクリットが恥ずかしそうな表情を浮かべてニックの側を去って行く。するとそれを見計らったように、ニックの腰の鞄からオーゼンの声が響いた。
『珍しいな。貴様が率先して貴族の名を使うとは』
「はは、確かに儂としてはあまり望ましい行為ではないのだが、それを使えば解決できる問題があるというのなら使い惜しむつもりはないぞ? 儂が多少うるさい誘いを受ける程度であの娘が罪を犯さずに済むのであれば、これほど得な取引はないではないか」
『ほほぅ? だがその取引では貴様が一方的に損をしているのではないか?』
「それは違うぞオーゼン。これは儂にとっても得なのだ。儂の旅の目的の一つには、娘のために世界をよくするというのも含まれているからな」
『それは初耳だな。世界をよくするとはまた大きく出たものだが……』
意外そうな声を出すオーゼンに、ニックは小さく笑ってみせる。
「そんな大層なことではない。いずれ娘が世界を救ったその時、自分が救った世界はこんなにも素晴らしいんだと実感して欲しい……儂が思うのはその程度のことだ」
『それ故に人を助けると? 何とも迂遠な話だが……だが、確かに貴様らしいな』
「お待たせしました! どうですか?」
「おお、見違えるほど綺麗になったぞ!」
「ふふーん、当然ですぅ!」
今度は褒める側に回ったニックの言葉に、パクリットは嬉しそうにその場でくるっとターンを決める。お尻に揺れるふわふわの尻尾が、なんとも言えず愛らしい。
「よし、では改めて出発だ!」
「はーいですぅ!」
『ふっ……相変わらず不器用な男だ』
町に向かって歩き出すニックとパクリットの姿を見ながら、オーゼンは一人小さくそう呟いた。