父、名乗られる
「にしても、やはりひと月も前線を離れていると体が鈍るな。これからはもう少し運動するように心がけねば」
『鈍る!? 貴様、連日森の奥で暴れていたではないか!?』
「何を言っておる? あんなもの準備運動以下ではないか」
『そ、そうか……何というか、貴様はもっと積極的に鈍った方が世界のためになるような気がするぞ?』
「ハッハッハ。言うではないかオーゼンよ。ま、それはそれとして……」
オーゼンと軽口を叩き合ったニックが、ゆっくりと馬車の方へと近づいていく。それを見て護衛の戦士達は身を固くし――
「助けていただき、ありがとうございました」
馬車の扉を開けて、その中から現れた豪奢なドレスに身を包んだ女性がニックに向かってそう感謝の言葉を告げた。
「ひ、姫様!? 何を――」
「良いのです。これほどの恩を受けて顔すら見せないのは、もはや気遣いではなくただの無礼です。であれば助けていただいた私の方から名を名乗り、感謝の言葉を告げるのは当然ではありませんか」
「む……」
姫の言葉に、流石に今度はニックも「聞かない」とは言わない。この後のことを考えれば、話を聞くのは必然であった。
「では、自己紹介をさせていただきます。私はコモーノ王国の第二王女、キレーナ・コモーノと申します。改めまして、助けていただきありがとうございました」
「そうか。さっきも名乗ったが、儂はニックだ。宜しくな」
「貴様! 姫様がその名を名乗ったというのに、その態度はどういうことだ!」
「おやめなさいガドー! いいのです」
腰の剣に手をかけいきり立つ護衛を、キレーナが鋭い声で制する。
「いいですか? この場には私達しかいないのです。その意味をよく理解し、言動を慎みなさい。わかりましたか?」
「……は。申し訳ありませんでした」
不満を表情に残しながらもきちんと言葉の真意を読み取り従ってくれた護衛に、キレーナは内心ホッと胸をなで下ろす。その奔放さに一時淡い憧れを見たとしても、目の前にいるのはやはり圧倒的な力を持つ謎の人物なのだ。自分達を助けてくれたことからしてもおそらく善人であろうとは予想できても、本質的な人となりまでは知る由もない。
ましてやここは衆目のない森と平野の境目。もし何らかの理由でニックの不興を買った結果、ワイバーンに向けられた力が自分達に振りかざされたら……と思えば、強く出ることなど出来るはずもなかった。
「む? ああ、王族であれば跪いた方が良かったか?」
そんなキレーナの内心とは裏腹に、ニックはそう言って頭を掻いた。勇者である娘のオマケとしてもらった地位と家名は結構なもので、謁見の間以外では貴族や王族相手でもニック達が跪く必要は無い。
これは町中などで狙って勇者に出会い、跪かせることで自らの権威を高めたいと考える馬鹿な貴族を牽制するためのもので、それに慣れきっていたニックは王族と対等に話すことに何ら疑問を抱かなかったからだ。
そして、勇者パーティを追い出されたからといってニックが家名を無くしたわけではない。なのでここでニックが跪かないことは公式にも問題はないのだが、それを相手に告げてはフレイに迷惑がかかるかも知れない。そう思ってニックはその場で腰をかがめるが――
「いえ、本当に構いません。どうかそのまま楽にしていらしてください」
「……そうか? ならまあそうさせてもらうとしよう」
キレーナの制止の言葉を受けて、ニックは曲げていた腰をまっすぐに伸ばし立ち直した。そうして改めて間近で見るニックの巨体に、キレーナは必死で己を鼓舞して王族の威厳を保とうと努力する。
「それではニック様。ニック様には是非とも私達を助けていただいたお礼を受け取って欲しいと考えているのですが……」
「礼か……ふむ、そういうことなら二つほどして欲しいことがあるのだが、良いか?」
「ええ、私に叶えられることであれば」
てっきり盗賊の時と同じく金銭で解決出来ると思っていただけに、それ以外の要求をされると知ってキレーナの体に緊張が走る。それでも笑顔を崩さなかったのは、ひとえに王族としての教育の賜物だ。
「ではまずひとつめだ。ワイバーンの解体を手伝って欲しい」
「……え? それだけですか?」
王族を名乗った自分にどのような要求をするのかと身構えていたところに飛び出したその「お願い」に、思わずキレーナは間の抜けた声をあげてしまった。それ程までに拍子抜けしたからではあるが、逆にニックはやや渋い顔をする。
「それだけとは言うがな。これだけ日が落ちてきたなかで儂一人であの数のワイバーンを解体するのは相当な手間なのだぞ? かといって放置するのは論外であるし、出来れば手伝って欲しいのだが……駄目か? どうしても町に急ぎたいということであれば無理にとは言わぬが」
「い、いえ。何日もかかるというなら別ですが、その程度であれば全く問題ありません。ガドー?」
「ハッ! すぐに取りかからせていただきます。シルダン、マモリアもいいな?」
「了解です隊長!」
「任せて下さい!」
領地などの不遜な要求や、最悪キレーナの体を要求するという外道な願いすら想定していただけに……その場合は無謀を承知でニックに戦いを挑むつもりであったが……ごくまっとうなニックの要求にガドー達はやる気を見せる。
「うむ、いい返事だ! なら儂がこっちにワイバーンの死体を運んでくるから、そこから順次魔石だけ取り出してくれるか?」
「魔石だけですか? 他の素材は良いので?」
「出来れば回収したいところではあるが、運べぬであろう?」
「ああ、それは……」
困った顔で言うニックに、ガドーもまた言葉を濁す。個体差があるとは言え三~五メートルはあるワイバーンの素材を数十匹分となると、何をどうやってもこの面子で運ぶことは不可能だ。
「あれ? 討伐証明もいいんですか?」
だが、そこでシルダンと呼ばれた男がそんな疑問を口にする。ワイバーンの討伐証明は尻尾の先であり、他の素材と比べれば十分に運べるものだったからだ。
「いや、必要無い。今回は討伐依頼を受けておらぬからな」
魔物の討伐証明が金になるのは、基本的には討伐依頼を受けたときだけだ。唯一ゴブリン種のみは例外だが、これは町に近いところに生息する魔物であり、放っておくとあっという間に増えて思わぬ被害を出すために常設依頼が存在しているからに過ぎない。
そして、今回ニックは「他の冒険者達をびっくりさせる」という目的で冒険者ギルドの依頼を蹴って単独でここに来ているため、ワイバーンの討伐証明部位である尻尾の先を持っていっても、それを換金する方法が無いのだ。
「依頼を受けずに!? 名誉も報酬も求めることなく、ただ善意のみでこれだけの数のワイバーンに立ち向かったのですか!?」
「いやぁ、そんな立派なものではないぞ? 最初に言ったではないか。『町の奴らをちょいと驚かしてやろう』と思っただけだとな」
「はは。そのような理由で人はこれほどの困難に立ち向かうことなどできませぬ。謙遜なさらずとも……いえ、思えば盗賊共を蹴散らした時から、貴方はそう言う御仁でしたな」
「と、とにかく! 儂は死体を集めてくるから、解体の方は頼んだぞ!」
「お任せ下さい! 誠心誠意仕事に当たらせていただきます!」
別に嘘を言っているわけでもないのにガドーから尊敬の念のようなものを向けられて、ニックは何となくばつが悪い思いで逃げるように森の中へと入っていった。





