父、経緯を聞く
入り口での一騒ぎを終えた後、ニック達は無事モナ王の遺跡へと足を踏み入れていた。表層に見えていた建物は本当に入り口だけだったらしく、すぐにあった地下への階段を下れば、ひんやりとした空気が一行を包み込む。
「何度感じても、この空気は身が引き締まるな」
「そうね。今回は頼りになりそうな人が一緒だけど、それでも緊張はするわね」
「む? それだとまるで私が頼りにならないような表現ではないかね?」
先頭を歩いていたバンが、腰につけたランタンに火を入れつつ最後尾を歩くモンディの言葉に反応して振り返る。だがそれに対するモンディの反応は苦笑だ。
「そうは言わないけど、バンって戦いには向いてないでしょ?」
「ふむ。確かにそれは否定できないな」
「ん? この手の遺跡には割と魔物がいると思うが、それで大丈夫なのか?」
バンの言葉に、隊列の中央を歩くニックが首を傾げる。ちなみにこの並びの理由は、ニックには罠を解除する技術が全く無いことと、真ん中にいれば前後どちらから魔物が襲ってきても一瞬で対応できるからだ。
「それは心配いらないとも。確かに私には大した戦闘力はないが、我々はあくまで歴史学者。無理に魔物を倒す必要はないし、魔物を退ける手段は幾つも用意してある。この私が準備を怠ることなどあり得ないからな!」
そんなニックに、バンは背負った巨大なリュックを揺らしながら言う。小柄なバンが背負うとどちらが本体かと言いたくなるような大きさのリュックだが、軽量化の魔法が付与されているために見た目ほど重くはない。
「私にも魔法の鞄が手に入れば、準備に準備を重ね、万全に万全を期すことができるのだが……」
「金額もそうだけど、そもそも売ってないものね。本当にニックさんが羨ましいわ」
「はは、そうだな。確かに魔法の鞄は極めて便利だからな」
二人から羨望の眼差しを向けられ、ニックは軽く肩掛けの鞄を叩く。実際勇者パーティを離れてからしばらくの間は、不便とまでは言わずとも大分荷物には制限がかかっていた。もしあの時ムーナに返してもらえなければ、ニックの旅は今よりずっと過酷……ではないにしろ、窮屈であったことは間違いないだろう。
「バン殿のことはわかったが、モンディ殿はどうなのだ? やはり戦いは苦手か?」
「私? 私はそこそこ戦えるわよ?」
「うん。モンディはなかなかに強いよ。ただ扱う武器に関してはちょっとどうかと思うけどね」
「武器? 何か変わった武器を使うのか?」
「ふふん。私の一番の武器と言えば、これよ?」
振り返ったニックに、モンディは自分の胸を腕で持ち上げ強調してみせる。だがニックはその程度では動じないし、バンに至っては見てすらいない。
「……ちょっと、何か反応してよ。私が凄い馬鹿みたいじゃない」
「あー、いや、すまん」
「謝られるのも困るけど……」
「フッ。クックック……」
「バンまで! くっ……私の武器は、これよ」
口元のカイゼル髭をヒクヒクと揺らすバンの背をキッと睨み付けてから、モンディは腰につけていたそれを外してニックに見せる。
「ほぅ、鞭使いか」
「驚くだろう? 同じような研究家の知り合いは何人かいるし、時には冒険者の護衛を雇うことだってあるが、鞭使いなんて彼女以外には一人もいなかったからね」
「あら、これはこれで合理的な判断なのよ? 私も鍛えてはいるけど、やっぱり女でしょ? どうしても腕力が足りないんだけど、こういう武器なら……」
言って、モンディが鞭を振るう。腕や手首のみならず全身のしなりを使ったそれは予想以上の勢いをもって空を切り、ビシリと叩きつけられた床の石がほんの僅かに砕け散る。
「ね? しなりを力に変えられるのは、私にとって凄く便利なのよ」
「だが、私達が戦うのは主に狭い遺跡の内部だ。そんな振り回す武器の使用に適しているとはどうしても思えないんだが……」
「そこはほら、工夫よ工夫。一応護身用に短剣も持ってるけど、そっちは正直戦闘ではほとんど役に立たないしね」
伸ばした鞭を巻き取って腰に装着しながらモンディが言う。狭い場所で戦うなら短剣という選択肢は決して悪い物ではないし、熟練の戦士が使えばその短い刃こそが変幻自在に振り回せる最強の武器となることもある。
が、短いということはそれだけ直接的に筋力の影響を受けるということだ。貴族の女性が持つ懐剣が基本的に自決用であるように、女性の細腕で短剣を有効に使うにはよほどの修練を積んで技術を磨くか、あるいは毒などを併用する他ない。
「まあまあ、いいではないか。モンディ殿の鞭の扱いは、なかなかに堂に入ったものであったぞ?」
「あらそう? ありがとうニックさん」
「威力に関しては否定しないよ。私としてはいつか間違えて巻き込まれそうなのが怖いということだけだからね」
もう何年もモンディと行動を共にしているだけあって、その鞭で叩かれた相手がどうなるかはバンも身に染みてわかっている。だがそれでも自分の体のすぐ脇を鞭が通り過ぎていくことにはどうしても慣れない……要はただそれだけのことだ。
「ふーむ。さっきまでの会話から思ったのだが、バン殿とモンディ殿は長い付き合いなのか?」
「そうね。あれは――」
「そうだな。彼女とはもう七年の付き合いになるか」
「……………………」
「ん? どうかしたかね?」
「……何でもないわ」
バンの言葉に、モンディが明らかに不機嫌そうになる。だがバンはその原因に心当たりなど何も無く、故にそのまま言葉を続ける。
「ふむ。よくわからないがまあいいか。彼女との出会いは七年前のことだ――」
「ふぅ、とりあえずこんなものか」
久しぶりに請け負った大規模な遺跡調査の依頼を前に、その日バンは入念な事前準備を整えていた。水や食料、万が一の時の回復薬などの詰まった木箱を適切な場所に積み上げている最中のバンに、不意に声をかける人物が現れる。
「バン! バン・ジャック!」
「うん?」
バンが声のした方に顔を向けると、そこにいたのは輝く金髪を振り乱した十代と思わしき女性。だがそんな年頃の女性に知り合いなどいないバンは、明らかに場違いな来訪者に思わず首を傾げる。
「失礼ですが、どちら様ですかな?」
「どちら様っ!? 私を覚えて……じゃない、知らないの!?」
「えーっと……」
切れ長の目を釣り上げて怒る女性に、しかしバンは思い当たる節が何も無い。傾げている首の角度が徐々に深くなっていくと、その女性は我慢の限界とばかりにバンに向かって怒鳴りつけた。
「もういいわ! わからないなら教えてあげる。私はモンディ。モンディ・ビジョーンズよ!」
「ビジョーンズ……? あ、ひょっとしてザッコス帝国のビジョーンズ子爵家の方ですかな?」
「そうよ!」
「それはそれは……それで、ビジョーンズ家のお嬢様が、私に一体何のご用で?」
「くっ……私もちょっと前に歴史学者になったのよ! そして貴方は私の終生のライバルだわ! すぐに私の名声の前に貴方を跪かせてあげるから、覚悟してなさい、バン・ジャック!」
「はぁ……」
一方的にそう言い放って去って行く女性の背中を、バンは何とも言えない表情でただ見送った――
「とまあ、そんなことがあってね。それ以後どういうわけか私が遺跡調査をしようとすると、その行く先々にモンディが姿を現すようになったのだ」
「それはまた……」
バンの語った内容に、ニックは微妙な表情でモンディの方を振り返る。だが当のモンディは形のよい唇を楽しげに歪ませるのみ。
「ふふ。あの当時は私も若かったのよ。色んな事がわかってなかったし、視野もずっと狭かったから」
「その物言いだと、今は違うと言いたいようだね?」
「あら、違うでしょう? それともあの頃みたいにむやみやたらと突っかかる方がお好みかしら?」
「やめてくれ。本気で意味がわからないからな。まあとにかく、モンディとはその時以来の付き合いだ。不本意ながら幾度も同じ遺跡に潜って調査をしているから、お互いのやり方が嫌と言うほどわかるほどにね」
「そんなわけよ。どう? 私達のことはわかったかしら?」
「ああ。随分と仲がよさそうだということは十分にわかった」
「……今の話で何故その結論に至るのだね?」
「ふふっ」
大きく頷いてみせたニックにバンは憮然とした表情でそう呟き、モンディはただ微笑むのみ。
暗く冷たい遺跡のなか、一行は順調に奥へと進んでいく――