父、取り消す
「また君か、モンディ」
「あら、随分な挨拶ね?」
モンディと呼ばれた女性が、茂みをかき分けゆっくりとニック達の方へと歩み寄ってくる。一七〇センチほどと思われる長身に、肩口で切りそろえられた柔らかな金髪、鮮やかな蒼い瞳を持つ二十代中盤くらいのその女性の登場に、バンは僅かにカイゼル髭を釣り上げた。
「そう言いたくなる私の気持ちもわかるのではないか? 何故君はいつも私の前に現れるんだ!」
「何を言うかと思えば……私が現れるのはバンの前じゃなくて、未探索の遺跡の前よ? 私だって歴史学者なんだから当然でしょ?」
「むぐ、それはそうだが……いや、しかしどうやってここがわかったのだ!? この遺跡はまだ発見を報告すらしていないというのに……」
「それは勿論、残された文献とかを調べたからよ。そうでなければバンだってここに辿り着けてはいないでしょう?」
「むぐぐぐぐ、確かにそうなのだが……ぐぅぅ」
「あー、バン殿? こちらの女性は?」
突然自分を無視して言い合いを始めてしまった二人に、ニックが遠慮がちに声をかける。するとバンは軽く苦々しげな表情を浮かべながらも目の前にいる女性のことを紹介してくれた。
「ああ、すまないねニック君。彼女はモンディ・ビジョーンズ。ザッコス帝国のビジョーンズ子爵家のご令嬢で、私と同じ歴史学者だ」
「モンディよ。宜しくねオジサマ」
スッとモンディが右手を差し出し、その衝撃で胸が揺れる。男ならば思わず視線を吸い付けられそうな光景だが、当然ニックはそれを一切気にすること無く差し出された手を握り返した。
「儂はニックだ。宜しく頼む……っと、貴族のご令嬢であれば、もっと丁寧な対応の方がよいだろうか?」
「ああ、気にしなくていいわよ。どうせ実家にはもうずっと帰ってないもの。今更お嬢様扱いされたってその方が困っちゃうわ」
「今更ではあるが、私の方も同様だ。敬意とは後付けの家名などではなく、己の行動とその結果で得るものだから」
「ははは。わかった。ではバン殿にモンディ殿。改めてよろしく頼む」
二人の言葉に、ニックはそう言って破顔する。その対応は二人にとって好感触なものであり、だからこそモンディは繋いだままのニックの右手をそっと自分の方に引き寄せながら言う。
「で、ニックさん。物は相談なんだけど、バンよりも私に雇われないかしら?」
「うむん? モンディ殿にか?」
「モンディ!? 君って奴は、また私の邪魔をするのか!?」
「あら、邪魔なんてしてないでしょう? これは正当な交渉よ。どうかしらニックさん。同じ条件であれば、一緒に仕事をするのは私みたいな美女の方がよくないかしら?」
『自分で自分を美女と言うのか……まあ確かに見目麗しいとは思うが』
「いや、儂はその辺に拘りはないのだが……」
積極的なモンディの勧誘に、ニックは僅かに鼻白む。それに穏やかではないのはバンの方だ。
「待てモンディ! ニック君は私と契約すると言ったのだ! 君の出る幕ではないぞ!」
「でも、まだ契約は結んでないんでしょう? なら今は私もバンも立ち位置は同じじゃない。予定は未定で決定じゃないのよ?」
「それはそうだが……わかった。ならばここはニック君の選択を尊重しよう」
「そうこなくっちゃ! じゃ、ニックさん、私と契約しましょう?」
「ニック君! ここは私と契約した方が色々とお得だぞ!」
「ぬぅーん……」
何だかよくわからないうちにどちらかと契約することにされてしまい、ニックは思わず唸り声を上げる。正直どちらを選んでも大差が無い気がするが、かといってどちらかを選ぶと選ばなかった方に角が立つ気がする。
「…………よし、わかった!」
しばしの逡巡の後、ニックがそう声に出す。期待を込めて自分を見つめる二人に向けて、ニックはニヤリと笑うと――
「どちらとも契約しないことにする!」
「「ええー」」
笑顔で言い放ったニックの言葉に、二人の不満の声が重なる。だがニックの考えはこれで終わりではない。
「まあ慌てるな。どちらとも契約はしないが……ひょっとしたら儂が遺跡に入る時に、お主達が一緒に入ってくるかもしれん。それに関しては別に何も言わんし、偶然進む方向が一緒だったり、たまたま休憩場所が同じだったとしても何の問題も無い……どうだ?」
「む……」
「あら、そうくるわけね」
ニックの言葉に、バンはにわかに言葉を詰まらせ、モンディは楽しげに笑う。
「なるほど。それならば確かに仕方が無いな。発掘品に関してはきちんと契約しておきたかったが……この際だ、やむを得まい」
「ニックさんって面白いわ。これなら今回の遺跡探索はいつも以上に楽しめそうね」
「では決まりだな。さて、話もまとまったということで、そろそろ遺跡に入らぬか?」
「ん? 私は構わないが、ニック君はそのまま遺跡に入るつもりなのか?」
ニックの提案に、バンがいぶかしげな顔をする。
「そのつもりだが、何か問題があるのか?」
「私は最初から遺跡を探索するつもりで準備してきたし、モンディにしてもそうだろう。だが君はここを偶然見つけたと言ったではないか。
遺跡に潜るなら最低でも一週間、できれば一〇日分くらいの水と食料は自前で準備して欲しいし、それ以外にも縄や楔などのあった方がいい道具がいくらでもある。見たところ君はそれほど荷物をもっていないようだが、そういうのは大丈夫なのか?」
ニックの全身を見つめながら、バンはカイゼル髭を震わせつつそう問う。極めて立派な装備をしている反面、ニックの所持品は腰につけた小さな鞄と肩から提げている鞄の二つだけだ。冒険者であれば三日やそこらの食料は確保しているだろうが、外と違って水や食料の現地調達がほぼ不可能な遺跡ではその在庫ではあまりにも心許ない。
だが、それに対するニックの答えは簡単だ。
「その辺は何も問題ないぞ。儂が持っているこれは魔法の鞄だからな」
「なっ!? 魔法の鞄だと!?」
「うっそ、私初めて見たわよ!」
肩掛けの鞄の蓋を開け、中から明らかに鞄の体積より大きいであろう野営道具などを取りだしてみせたことで、バン達の表情が驚きに固まる。とんでもない大容量を保持でき、しかも内部では物品の劣化すら防ぐという魔法の鞄はあらゆる人々の憧れであり、当然バン達も例外ではないのだ。
「そ、そうか。魔法の鞄……どうやら君は相当に凄い冒険者だったようだね。これでは君を銀貨二枚で雇えないのは当然か」
「私ますますニックさんに興味が出てきたわ。ねえ、やっぱり個人的に契約しない? 今なら色々と素敵なサービスもついてくるわよ?」
震える指先でカイゼル髭を撫でつけるバンに、露骨に胸を強調してニックにすり寄ってくるモンディ。
「あー、すまんがそういうのは間に合っておる。儂には最愛の妻と娘がおるからな」
「あら、既婚者なの。それは残念ね」
「フッ。その脂肪の塊が通じる相手ばかりではないということだよ、モンディ」
「何よ、ひょっとして妬いてるの? バンだったら遺跡の情報一つで揉ませてあげるわよ?」
「興味が無いな!」
『……何と言うか、今回も随分と濃い人物ばかりだな』
「はは、楽しくてよいではないか」
丁々発止のやりとりを続けるバンとモンディを前に、呆れたような声で言うオーゼンと、気楽に笑うニック。
『一応言うが、一番濃いのは貴様だからな?』
「ぬぅ!?」
今まで一度も外れたことの無い「今回も騒がしくなりそうだ」という予感に、オーゼンはそっと存在しない頭を抱えるのだった。