魔女、懐かしむ ~賑やかな食卓~
その後念のために森の内部を見回ったニックとムーナだったが、結局ローブローバはその一匹だけだった。ムーナ曰く「この辺にいる魔物じゃないし、何処かから紛れ込んできたはぐれじゃないかしらぁ?」ということで、事件の解決を確認してニック達はムーナの家へと戻る。
「ほら、そこに寝かせたらいいわぁ」
「ああ、すまんな」
眠ったフレイをずっと背負ってきたニックが、ムーナの指さすベッドの上にフレイを寝かせる。ニックの背から離れたことで微妙に寝顔を歪めたフレイだったが、すぐにスピョスピョと穏やかな寝息を立て始めた。
「それにしても、本当によく寝てるわねぇ。まあ無理もないけどぉ」
何時間も剣を振り続けるのは、それだけでも相当に疲労するだろう。それに加えて同じ時間だけ魔物に操られていたということもあり、フレイの心身が疲弊しきっているのは想像に難くない。
「ははは。寝る子は育つと言うからな」
「私は別にいいけどねぇ。さ、それじゃ下に行って食事の準備をしましょうか。もうお腹ペコペコよぉ」
「うむ」
小声でそう言い合って、ニック達は静かに一階へと降りていく。世話になった礼もかねてニックが魔法の鞄からちょっといい肉を取り出すと、ムーナが目を輝かせてそれを受け取り、早速料理を始めた。
「んふふぅー、ブラッドオックスのお肉なんて、久しぶりだわぁ」
「そう高いものでもないし、お主ならばいくらでも買えるのではないか?」
「お金はどうとでもなるけど、物が無いのよぉ。この辺でお肉って言うとボア系なの。あれはあれで美味しいんだけど、ちょっと癖が強いのよねぇ」
「なるほどなぁ。まあ確かにわざわざ肉だけ調達しに遠出するのも面倒か」
そんな言葉を交わしながら、料理は進んでいく。やがて肉の焼けるいい匂いがし始めたところで、ムーナがふと言葉を漏らした。
「ねぇ、ニックぅ。貴方これからも今日みたいな事を続けるのぉ?」
「それは今日の特訓のようなことか? そうだな、そうなるだろう」
「そう……そうよねぇ。フレイは勇者なんだものねぇ」
「……儂のことを、酷い親だと思うか?」
「……………………」
ニックの問いに、ムーナは答えない。それはきっと全てが終わったその時にしか出ない答えだ。
「あの子に年相応の幸せを与えてやれない儂は、親失格なのかも知れん。だがそれでも、儂はあの子を鍛えることをやめるつもりはない。勇者であるフレイが生き延びるには、強さは絶対条件なのだ。
全ては生きてこそ。生きて、生き延びて、いつか魔王を倒し『勇者』の役目から解放されたその時には……」
ギュッと握りしめた拳を、ニックがじっと見つめている。その姿を横目に見ながらムーナが続く言葉を待っていると――
「やらかしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
叫ぶような大声と共に、バタバタと音を立ててフレイが階段を降りてくる。そのまま一階まで辿り着くと、ニックの姿を見つけたフレイが即座にその場で頭を下げた。
「ごめん父さん! アタシ、何か変なのに操られちゃってた!」
「やっと記憶が繋がったか。儂は大丈夫だが……フレイ、お前の方はどうだ?」
「うん。よく寝たからか、調子はいいみたい。頭もバッチリ冴え渡ってて……あぁぁぁぁ」
ニカッと笑って答えたフレイが、すぐに頭を抱えて蹲る。操られている最中のことを覚えているわけではないのだが、その前後の記憶から自分が何をしでかしたかはすぐに察することができた。
「うぅ、情けない。アタシは勇者なのに、あんな魔物に操られるなんて……」
「誰だって最初はそんなものよぉ」
しょんぼりしているフレイに、ムーナが笑いながらそう言ってテーブルに皿を並べていく。その上に乗っているのはこんがりとした焼き目のついた分厚いステーキだ。
「ほら、そんなところに立ってないで、さっさと座りなさぁい。お腹が空いてちゃ考え方も暗くなっちゃうわよぉ?」
「ムーナさん……はい!」
「よーし、では食うか! 肉は明日の活力だからな!」
「単純ねぇ……でも、悪くない考え方だわぁ」
食卓に笑いが満ちて、全員笑顔で肉を食う。遠い過去に置いてきた家族団らんの味を、ムーナは心ゆくまで堪能するのだった――
「ふぅ……」
長い長い物思いに耽っていたムーナが、三杯目のお茶を飲み干してカップを降ろす。懐かしい思い出に浸るのはここまでと視線を向ければ、ノックされることもなく家の扉が開かれる。
「ふわぁ、濡れたー!」
「ちょっ、フレイ殿!? 待ち合わせしているとはいえ、ノックくらいはするべきでは!?」
「いいのよここは。あ、ムーナ! やっほー!」
「やっほーじゃないわよぉ! ロンの言う通り、ノックくらいはしなさぁい!」
「えー? でも、ここ一ヶ月も住んでたから他人の家って気がしないのよねぇ」
あの後、お礼と謝罪をかねて何かムーナの力になりたいというニック達の提案に、ムーナは遺跡調査の手伝いを依頼していた。どうしても一人では効率が悪いが、かといって遺跡の稀少性から適当な冒険者を雇うわけにもいかなかったムーナからすると、強い上に『勇者』の肩書きを持ち騙されたりする心配の無いニック達は格好の助手だったからだ。
「まあいいわぁ。ほら、そんなことよりさっさと濡れた服を脱いで着替えなさぁい。今お風呂を沸かしてあげるから」
「お風呂!? やったー! さっすがムーナ、わかってるぅ!」
「はいはい。お世辞はいいから奥で着替えてきなさぁい。場所は覚えてるわよねぇ?」
「勿論! じゃ、ちょっと行ってくるわね」
そう言うと、フレイが勝手知ったるという感じで家の奥へと歩いて行く。途中で聞こえてくる「うわ、懐かしい!」とか「あ、これまだ置いてあるんだ!」などという呟きに、ムーナは思わず笑みをこぼす。
「ここはムーナ殿の自宅だとお聞きしておりましたが、フレイ殿もこちらに住んでいたことがあるのですか?」
「ええ、そうよぉ。正確にはフレイとニックとの三人で、ほんの一月程度だけどねぇ」
「なるほど。何というか、賑やかで楽しそうですな」
「ふふ、そうねぇ」
僧衣を脱いで水を絞りながら言うロンに、ムーナはクックッと喉を鳴らす。実際その一ヶ月は、それまでの一〇年を忘れさせる日々だった。
「でも、大変だったわよぉ? なにせニックとフレイだものぉ」
「あー……まあ、そうですな。ニック殿とフレイ殿であれば、色々と大変そうな気がしますな」
大きな口を半開きにし、チロチロと舌を彷徨わせるロン。ムーナの言葉に竜人独特の苦笑いを彼がしてみせたところで、部屋の奥から噂の人物の片割れが姿を現す。
「ふぅ、着替え完了! 二人で何を話してるの?」
「んー? フレイがここでやらかしたことの話よぉ?」
「ちょっ、何よそれ!?」
抗議の声をあげるフレイに、ムーナがニヤリと妖艶な笑みを浮かべる。
「あらそぉ? 私がどうしても開けなかった古代遺跡の扉を殴って壊したのは誰だったかしらぁ?」
「それは父さんでしょ! アタシは別に――」
「そうよねぇ。フレイが『この先ってどうなってるのかな?』って言ったから、ニックが殴って壊しちゃっただけよねぇ。あの扉の封印術式こそ研究したかったのにぃ」
「うぐっ……だって、まさかいきなり壊すとか思わないじゃない!?」
「ええ、私も思わなかったわぁ」
「……色々大変だったんですな」
フレイとムーナのやりとりに、ロンが改めてそう呟く。この場にいないニックの姿が全員の目にありありと浮かび、別れてなお薄まることの無いその存在感に三人揃って苦笑する。
「さ、それじゃ無事合流もできたことだしぃ、お祝いに少し美味しい食事でも作りましょうかぁ」
「賛成! 美味しいは正義よね! あ、でもお風呂も忘れないでね?」
「わかってるわよぉ、本当にこの子はぁ」
「ははは。拙僧もお手伝いしますぞムーナ殿」
「勿論アタシも手伝うわよ!」
わいわいと騒ぎながら、ムーナとその仲間達が力を合わせて料理を始める。静かだった「魔女の家」は、こうして喧噪を取り戻すのだった。