魔女、懐かしむ ~『魔女』の正体~
「む……」
「あら、ようやくお目覚めぇ?」
翌日の朝。ムーナが朝食の準備をしていると、床で寝ていたニックが小さく呻き、その巨体をゆっくりと起き上がらせた。
ちなみにだが、当然ニックは本当の意味で熟睡していたわけではない。ニックほどになれば眠りながら周囲の気配を感知し、そこに敵意があるかどうか、不審な行動をしているか否かをある程度判別して無視することができるのだ。
「よく眠れたかしらぁ?」
「ああ、十分に休ませてもらったぞ」
寝起き直後だというのに惚けた様子もなく、ニックが手早く寝具に使った毛皮を片付けていく。その動作を尻目にムーナもまたできあがった料理を皿に盛り、テーブルへと運んでいった。
「随分多いが……まさか儂等の分まであるのか?」
「そりゃあるわよぉ。二人増えたくらいなら料理の手間はそれほど変わらないし、私だけ食べるなんて居心地が悪いことしないわぁ」
「そりゃありがたい! っと、娘も起きてきたようだな」
その巨体を小さな椅子の上に座らせたニックが、目の前の料理に嬉しそうな顔をしてからふと視線を上に向ける。するとすぐにパタパタと人の足音がして、こちらはやや眠そうな表情のフレイが二階から降りてきた。
「ふぁぁ、おはよう父さん」
「おはようフレイ。その様子だとよく眠れたようだな」
「うん……って、うわっ、食事の用意がしてある!?」
「ふふっ。貴方の分もあるから、さっさと顔を洗ってらっしゃぁい」
「そうなの!? やったー! すぐ顔を洗ってくるね!」
ムーナの言葉に嬉しそうな声をあげて、フレイが一目散に顔を洗いに飛び出していく。そうしてすぐに戻ってくると、ムーナに薦められるままにニックの隣に腰を下ろした。
「それじゃいただきましょうかぁ」
「父さん……」
全員揃ったところで食事を始めたムーナだが、フレイは湯気の立つスープに手をつけることなくニックの方に顔を向ける。
「うむ、そうだな。冷める前にまずは食事を……と言いたいが、とりあえず簡単な説明だけはしておこう」
目の前の相手が何者であるかを知らぬままでは、落ち着いて食事を楽しむことなどできるはずもない。せっかく作ってくれたムーナに悪いとは思いつつも、ニックは簡単に昨日の話し合いの内容を伝えていく。
「え、じゃあここに来たのは勘違いってこと!?」
「どうやらそうらしいな」
「そういうことだから、安心して食べていいわよぉ」
「やった! ありがとうムーナさん! あと、疑ってごめんなさい」
素直に頭を下げるフレイに、ムーナは柔らかく微笑んで答える。
「別にいいわよぉ。ほら、さっさと食べちゃいなさぁい」
「はい!」
元気な返事と共に、フレイが少しだけ冷めた食事をモリモリと食べ始めた。その美味しそうな様子は見ているムーナまで幸せな気分にしてくれ、久しぶりの賑やかな食事はあっという間に終わりへと近づいていく。
「それで、貴方達はこれからどうするのぉ?」
食後のお茶を飲みながらそう問うムーナ。それに答えるのは同じくお茶を飲んでいるニックだ。
「うむ。それは勿論、お主に指摘してもらった場所へと行くつもりだ。お主のことでないというなら、その場所には人を襲う魔女とやらが別にいるはずだからな」
「そう……ねえ、それ私も一緒に行ってもいいかしらぁ?」
「お主がか? 儂は構わんが……しかし何故だ?」
突然のムーナの申し出に、ニックがそう問い返す。興味津々のフレイとあわせ四つの瞳が見つめるなか、しかしムーナの返答は至極単純なものだ。
「そりゃ勿論、興味があるからよぉ。また似たようなことがあっても困るし、敵の正体や事件が解決したかどうかはきちんと自分の目で確認しておきたいと思うのは当然でしょぉ?」
「そういうことなら好きにするといい。お主ならば着いてこれぬということもないだろうしな」
「えっ、いいの!? あの、ムーナさん? アタシと父さんのお仕事って、結構危ないことも多いんですけど……」
「大丈夫よぉ。私こう見ても強いのよぉ?」
心配するフレイに、ムーナは昨日ニックに見せたように胸の谷間から金属の板を取り出して見せる。一瞬「どうやってそこにしまっているんだろう?」という疑問が頭をよぎったフレイだが、すぐに見せられた物の方に興味が移る。
「これ、ギルドカード……うわっ、白金級!? うそっ、初めて見た!」
「ふふふ、だから心配はいらないわぁ」
「そういうことだな。むしろムーナ殿にはフレイも学ぶところが多いだろう。せっかく一緒に行動するなら、色々と話を聞かせてもらうといい」
「うん、わかった。宜しくお願いします、ムーナさん!」
「ええ、宜しくねぇ」
「さあ、そうと決まれば早速出発するとしよう。魔女とやらの正体は結局わからんし、新たな犠牲者が出ては大変だからな」
パンと両手を打ち鳴らしたニックの言葉で、全員が準備を始める。最初から出かける予定だったフレイは元より、ムーナもまた白金級冒険者。目的地も精々二、三時間歩いた程度の場所ということもあり、食器の片付けを含めても三〇分ほどで準備は完了。十分に朝の早い時間で三人はムーナの家を出ることができた。
「へー、じゃあムーナさんはその遺跡を調べるためにあそこに住んでるんですか?」
「そうよぉ。もう一〇年くらいになるわねぇ」
その道すがら、フレイとムーナが親しげに会話を交わす。今の話題はさっきニックが端折った昨夜の話の補填だ。
「……ん? 一〇年前から研究してるってことは、一〇年前には既に大人だったってことですよね? ムーナさんって幾つ――むぐっ!?」
「駄目よぉフレイ。大人の女性に歳なんて聞くものじゃないわぁ」
ムーナの細く長い指が、フレイの口をそっと塞ぐ。その顔は微笑んでこそいるが、目が絶妙に笑っていない。
「ははは、そうだぞフレイ。ムーナ殿のように見た目よりずっと年うぉっ!?」
笑うニックの顔のすぐ横に、小指ほどの太さがある金属製の針が突き刺さる。優れた魔術師であるムーナが様々な付与魔法を施したそれは暗くくすんだ怪しげな緑の光を宿しており、ドラゴンの鱗すら貫通して僅かとは言え痺れさせるほどの強烈な毒を仕込んだとっておきの隠し武器だ。
「蛇がいたわよぉ」
「そ、そうか」
無論、その程度の武器でニックの鋼の肉体を貫くことなどできるはずもない。だがそういう理屈を超えた先にあるナニカを感じ取って、ニックの額に一筋の汗が流れる。
「さ、さあ目的地はもうすぐだ! 油断せずに行くぞ!」
「おー!」
「まったくもぅ……」
露骨に話題を変えたニックと、元気に返事をするフレイにムーナは軽くため息をついてその後を着いて歩いて行く。そうしてしばらく進み、そろそろ目的地付近というところで、不意に前方の草むらがガサガサと揺れた。
「ふむん? あれか?」
「何かいる……っ」
油断なく体制を整えるニックとフレイに、当然ムーナも手に杖を持って構える。すると――
「キィーヒッヒッヒ」
「……何あれ? お婆ちゃん?」
昼でもなお薄暗い森の中で、ローブを被った皺だらけの人の顔が浮かび上がる。甲高い声からしても、それはまさに「一般人が思い描く悪い魔女」の様相そのものだ。
「待て、フレイ」
だが、ニックはすぐにそれが人の気配ではないと確信する。動き出そうとするフレイを手で制し、用心深くその場で様子を見る。
「人ではない……? 魔物か?」
「あれ、まさかローブローバ?」
「ローブローバ? 何だそれは?」
ムーナの漏らした呟きに、謎の人影から視線を逸らすこと無くニックが問う。
「魔物よぉ。基本的にはこういう森とかにいる蝶々で、ローブに見えるところが羽、その下の皺だらけの顔に見えるところが体ねぇ」
「ほぅ。言われてみるとそんな感じだな」
指摘されてから改めて注目すれば、確かにそれが蝶なのだと理解できる。だが視認性の低い暗い場所であのような声をあげられれば、魔女と間違えるのは無理からぬ事だろう。
「キィーヒッヒッヒ」
「むぅ、しかし嫌な鳴き声だな」
「声帯があるわけじゃないから、正確には羽音ねぇ。ローブ状に見える羽の下に生えてる透明な羽を擦り合わせて音を出してるのよぉ。
ちなみにローブローバが魔女と間違えられる最大の要因は、この音に聞いた相手を混乱させる効果があるからだけど、貴方達なら……フレイ?」
よほど油断して不意を突かれでもしない限り、ムーナにとってローブローバは大した魔物ではない。だからこそのんびり解説をしていたのだが、ふと目の前のフレイの動きがおかしいことに気づく。
「フレイ?」
「フレイ? どうしたのぉ?」
二人の呼びかけに、フレイは答えることなくゆらゆらと体を揺らしながら腰から剣を抜き放つ。そして――
「やぁぁぁぁ!」
フレイの瞳が怪しく輝いた次の瞬間。娘の手にした剣が、父に向かって勢いよく振り下ろされた。