父、提案される
「これが儂に見せたかったものか?」
「そうです」
「うーむ? 儂にはただの朽ちた武具にしか見えんのだが……?」
真顔で頷くトリセツに、ニックは大きく首を傾げる。ニックの目利きでも確かに元はかなり上等な武具だったのだろうということくらいはわかるが、錆びたり欠けたりしているそれらが今も武具として使えるかと言われれば無理だろう。
つまるところ、これらは鋳つぶせば稀少な金属を再利用できるかも、という程度の価値しか見いだせない。そしてその金額すらもハイドロイア全体の売却益からすればそう大したものではないだろう。
「武具の価値自体は問題じゃないんです。重要なのは、ここに描かれている紋章でして……」
「紋章?」
トリセツに言われて、ニックが改めて武具を注視する。すると朽ちて大分わかりづらくはなっているが、確かに剣の柄や盾の表面に何やら模様が描かれていることがわかった。
「ふーむ……」
その紋章を眺めながら、ニックはしばし考え込む。国が自国の騎士に与える装備に自国の紋章を刻むのは珍しいことでもなんでもない。であればトリセツが困る理由はこの紋章そのもの……正確にはそれを掲げる国家ということになる。
「確かに何処かで見た記憶のある紋章だが……何処だったか」
勇者パーティの一員として世界中を旅してきたニックであれば、当然目にした紋章の数は両手の指ではとても足りない。更にそういう細かいことはムーナやロンに任せていたこともあって、必死に頭をひねるもなかなか答えに辿り着けない。
そしてそんなニックを前に、トリセツがあっさりと答えを口にする。
「これ、獣王の紋章なんです」
「獣王……ああ、そうか!」
言われてしまえば簡単だ。ニックの脳内にはかつて獣王と謁見した際の光景がありありと蘇る。その背後に掲げられている旗には、確かにこの紋章が描かれていた。
「なるほどなるほど……ん? しかしそれの何が問題なのだ?」
「あれ? そちらはご存じじゃないんですか? この紋章は獣人の国ではなく、あくまで獣王という称号を持つ個人のみが使用することのできる紋章なんです。つまり、この武具を身につけていたのは間違いなく歴代いずれかの獣王陛下ということになるんですが……そうなると、この武具の扱いが問題になるんです」
「ふむん? かつての獣王が身につけていた武具か……なら今代獣王に返却すればいいのではないか? まず間違いなく感謝されると思うが」
獣人にとって、武は誉れである。かつて強大な魔物に挑んで敗れた獣王がいたとして、それを勇敢だったと讃えられることはあってもここで死んだ責任を問われることなどない。いわんやその武具を返却したとなれば、返ってくる返答は感謝の意だけであろう。
だが、そんなニックの言葉に対するトリセツの表情はこれ以上無いほどに渋い。
「いやまあ、そうなんですけどね。ただ我が国と獣人の国とではかなり遠いですから、今までまともな国交などありませんでした。そこでこれを返却するとなると、大規模な使節団を組んだりすることになると思います。
また獣人国からも色々と調査が入るでしょうから……こう言っては何なんですが、ハイドロイアの死体がそのまま『獣王陛下を殺した魔物』として保護対象になってしまうと思いますので、ニックさんに報酬をお支払いすることができなくなりそうなんです」
「ああ、そういうことか」
ここまで説明されて、ニックはようやく納得したと頷いた。確かにそういう経緯であれば、あのハイドロイアは単なる魔物として解体、換金してしまうわけにはいかないだろう。かといって見込み売却益が莫大だっただけに、その分を別の予算から回すことなどとてもできない。
勿論その場合はニックには国から別途報奨が用意される可能性が高かったが、単なる町の役場職員であるトリセツにはそんな保証ができるものではない。故にトリセツとしては「町として報酬が払えない」という事実だけが残ることになったのだ。
「そういうことなら、儂は別に報酬は無くても……いや、そうか。それだけではすまんのだな」
特に金に困っているわけでもないニックがそう答えようとして、すぐに事態はそれだけではすまないことに気づく。実際トリセツの表情は未だ暗く、その重い口はなおも言葉を続けていく。
「はい……そういう話までいってしまうと、おそらく『ハイドロイアを実際に仕留めた冒険者』としてニックさんにも使節団にご同行いただくとか、最低でも国王陛下への謁見などが予定されると思います。
で、そうなると非常に申し訳ないのですが、ニックさんにはかなり長期間こちらの指示に従っていただく必要が出てきますので……」
「ぬぅ、それはできれば遠慮したいな」
立身出世を願う冒険者であれば願ってもない機会だが、ニックからすれば別に王になど会いたくもないし、ましてや長期間拘束されるのは困るとまでは言わずとも望ましくはない。
コモーノの時のような王族との直接の奇縁があるわけでも、エルフ国のように国王と友人であるわけでもない現状では、面倒な政治に絡みそうな場所に立つのは御免被りたいところだった。
「はは、やっぱりそうですか……そこでご提案なんですが、ニックさん、この武具を獣人国へ運ぶ依頼を受けてみませんか?」
「む? いいのか?」
トリセツからの提案に、ニックは少々驚いてそう問い返す。そこに含まれている幾つもの疑問は想定済みだとばかりに、トリセツはしっかり頷いてから言葉を続けた。
「はい。先ほども言いましたけど、我が国と獣人国は非常に離れていますから、国としてこれを返却する場合どうやっても利益より出費の方が多くなってしまうんです。他国を幾つも挟んだ先となると、人も物もやりとりするには向かないですからね」
「ああ、まあそれはそうだろうなぁ」
個人ならばまだしも、国の旗を背負った軍隊や商隊が関係の無い第三国を頻繁に通り抜けるというのは現実的ではない。高い関税をかけられるくらいならまだしも、下手をすれば戦争のきっかけにすらなりかねない。
「そこでニックさんです。上の方からハイドロイアの討伐報酬として、こちらの武具をお渡しするのはどうかと提案がありまして。そうすれば我が国としては人も物も動かすことなくハイドロイアの収入を丸々得られますし、ニックさんは獣人国まで行くという手間はかかりますが、この武具を獣王陛下に返却すれば名誉と共にかなりの報奨が受け取れると思います。
どうでしょう? 両者にとって得な提案だと思うのですが」
「なるほどなぁ」
うかがうようなトリセツの表情に、ニックは内心苦笑する。一見すると確かに両者に損の無い取引に見えるが、実際にはニックに支払われる報酬は確定ではなく獣人国任せであり、またそこに向かう道中でニックが背負うリスクに関しては一切考慮されていない。
「わかった。ではそうすることにしよう」
だが、ニックはそれを笑顔で受け入れる。そもそも金に困っているわけでもないし、ニックからすれば獣人国への道中など何の脅威もありはしない。それに何より、ここで断ればトリセツが困り果てるのが目に見えていたからだ。
「そう、ですか……よかった。本当によかったです」
「では、これは儂が持っていくぞ?」
言ってニックは蓋を閉めると、その木箱ごと魔法の鞄へと収納する。そうして部屋の外に出ようとしたところで、背後から大きな声がかかった。
「ニックさん!」
「ん? 何だ?」
「ありがとう……本当にありがとうございました!」
ビシッと姿勢を正し、トリセツが深々とニックに頭を下げる。所詮は役場の一職員。トリセツにできることはこれが限界であり、だからこそその行為に思いの全てを乗せている。
「フッ。気にするな。これもまた儂が自分の好きでやっていることだからな」
「ニックさん……貴方は正しく『漢の中の漢』です。今年ここに来てくれたのが、貴方でよかった」
抜けた髪が床に舞い落ちていることすら気にせず、トリセツが笑顔でそう告げる。己に与えられた室内という戦場で、許される限り精一杯を戦い抜いたその『漢』に、ニックもまた笑顔を返し、冒険者ギルドを後にするのだった。