父、拳を振るう
活動報告にも書きましたが、10月12日 00時44分に前話の後半に大幅な変更を加えてあります。それ以前に前話をお読みいただいた方は、お手数ですがもう一度読んでいただければと思います。
「……私は夢でも見ているのでしょうか?」
「申し訳ありません姫様。私にもこれが夢では無いと断ずることは、どうにも……」
姫と呼ばれた女性が馬車の窓から顔を出し、護衛の者達と見つめる先。そこには高笑いをあげながらワイバーンの群れを屠る中年の筋肉親父の姿があった。
「ガッハッハ! どうしたどうした? その程度か?」
『待て、待つのだニック! 貴様一体何をやっているのだ!?』
ワイバーン達にとって、空は己の領域である。だが思い切り大地を蹴ったニックは易々と彼らと同じ高さに跳び上がり、その頭を殴りつけた。
轟音を立てて地面に落下するワイバーン。その光景に驚きはするも、今のニックは自然落下するのみの死に体。その大きすぎる隙をワイバーン達が見逃すはずが無く、ニックの巨体に群がるが……ニックはその場で空気を蹴って再び跳び上がった。
「何? 何とはなんだ?」
『ま、魔法! 魔法だな! そうか、魔力を固めて足場にしているのだろう!? 純粋な飛行魔法の他に、そういう技術は確かにアトラガルドにもあった。貴様にそのような才能があったとは全く気づかなかったが――』
「違うぞ? 単に空気を蹴っているだけだ」
『馬鹿を言うなぁぁ!!!』
オーゼンの魂の叫びに、さしあたって五匹のワイバーンを殴り飛ばしたニックは一旦地上に降りる。ズシンという地響きと共にもうもうと土煙が立ち上るが、当然ニックは無傷だ。
「はぁ……いいかオーゼンよ? この世にあるあらゆるものは踏むと硬くなるのだ。それはいいか?」
『む? そ、そうだな。同質量の物体であれば密度が高まるほど硬く重くなるのは当然だ。だがそれが何だと言うのだ?』
「自分で答えを言っているではないか! つまり空気であろうと凄い勢いで足を踏み込めば一瞬足場に出来る程度には固まるのだ。儂はそれを踏んで跳んでいるにすぎん」
『……いや。いやいやいや。そんなこと……理論的には可能なの、か? だ、だがそれ程のエネルギーを人体が発揮する方法が……そもそもそんな勢いで体を動かしたら摩擦や抵抗が――』
「そんな難しいことはわからんが、とりあえず儂は出来るのだから良いではないか! 細かい事は気にするな! ほれ、もう一度行くぞ!」
『細かい!? 細かいで済ませてしまっていいのか!? そ、そうだ。これはきっと我が知らないだけで、ニックが無意識に魔法を使っているのだ。フフフ、我であればどんな微細な魔力放出とて見逃さぬ。ほーれ、やっぱり……』
「ふんっ! はっ! とぅあ!」
『……微塵も魔力反応が無いが、まあ、あれだな。きっとこれは夢であるか、我の調子が悪いのであろう。はっはっは』
「何だ、お主も調子が悪いなどということがあるのか? 魔導具の修理を頼める知り合いとなるとかなり限られるが――」
『全て貴様のせいだこの大馬鹿者がぁ!』
「ねえ、ガドー? 何故あの方はお一人で話しながら戦っておられるのでしょうか?」
「……申し訳ありません姫様。私にも皆目見当がつきません」
「そうですか。ですが……何だか楽しそうですね」
「姫様?」
三人の護衛の隊長であるガドーが、ニックから護衛対象である女性の方に顔を向け直す。するとそこには楽しげな表情でニックの姿を見つめる姫の姿があった。
「見て下さい。まるで踊るように空を駆け、いとも容易くワイバーンを撃ち落としていく……まるで子供がはしゃいでいるようですわ」
「そう言われると、そんな気もしますが……」
無邪気な姫と違って、護衛の目に映るニックの姿は異形そのものだった。自分達が逃げ切ることすら許されず蹂躙されるがままだったワイバーンが、まるで虫でもたたき落としているかのように容易く地面に叩きつけられていく。そのあまりに圧倒的な戦いぶりは、憧れや畏敬を通り越して恐怖すら覚える。
「どうしますか姫? 今ならあの男を囮にすれば、町までたどり着けると思いますけど……」
と、そこで三人の護衛のなかで唯一の女性が姫にそう声をかける。だが姫はチラリとその護衛に視線を向けると、すぐに首を横に振った。
「マモリア、それをする必要があると、本当に思いますか?」
「ですよねー。アレはちょっと強すぎるでしょ」
「シルダン! お前はもうちょっと口調を……まあ確かにその通りだが」
姫に同調するようにウンウンと頷いた最後の護衛に、ガドーが注意をしようとして断念する。それ程にニックの戦いぶりは鮮烈であり、護衛達ですら目を奪われることを止められないのだ。
「今は信じましょう。あの方の勝利を」
「ですな。まああの御仁が負ける要素が見当たりませんが……」
「むしろどうやったら倒せるのって感じだよねー」
「ワイバーンがあんなに簡単に……アタシ達の苦労って一体……」
「頑張ってください。ニック様……」
誰も見えない馬車の中で、姫は一人祈るように胸の前で両手を組む。その願いの先にいるニックは……未だワイバーンを蹂躙し続けていた。
「オーゼンよ、今いくつだ?」
『今ので丁度三〇匹目だな。そろそろ奴が動くのではないか?』
「お主もそう思うか? ならば……来たようだな」
「グァァァァァァァァ!!!」
幾度目かの飛翔を終え、地上で好戦的な笑みを浮かべるニックの前に一匹のワイバーンが姿を現す。他のワイバーンが緑色の体色だったのに対し、そいつだけは土色の鱗を持ち、その体もその他のものより二回り以上大きい。
「変異個体……では無いな。エルダー種か? ワイバーンにそんなものがいるとは聞いたことがないが」
『体に宿す魔力量が通常個体の三倍近い。コイツがこの群れの王で間違いないであろうな』
「だな」
オーゼンの言葉にニックは短く答える。エルダー種とは、通常個体が何らかの理由で長い時を生き延びることで生じる強化個体だ。進化や変異の様に別モノに変わるほどの変化ではないが、その能力は間違いなく通常種とは一線を画す存在である。
「にしても、蛇の次は蜥蜴か。どうも最近はそっち方面の魔物と縁があるな」
『その調子なら、次はドラゴンでも出てくるか?』
「ワッハッハ! それはいい。適当なのを狩れば当分は金に困ることもないであろうしな」
『冗談のつもりなのだが……そうか、貴様にとってはドラゴンも所詮はその程度か』
「グルァァァァァァァ!!!」
呆れるのにも慣れたとばかりのオーゼンに、ニックはただ笑うのみ。だがそんな彼らを見て、ワイバーンの王はひときわ大きな咆哮をを放った。小さく矮小なはずの存在がいとも容易く眷属を屠るどころか己を無視して笑っているなど、王の矜持が許すはずがなかったのだ。
「おっと、すまんすまん。待たせたな。では続きを始めるか」
『おい貴様。油断は……しておらんようだな。まあ、あれだ。ほどほどにするが良い』
「応よ! 存分に楽しませてもらうとしよう!」
余裕と油断は似ているが違う。圧倒的な経験と実力に裏打ちされたニックの悠然たる立ち姿に、野生の獣としての危機感を最大限に有するが故にワイバーンの王はむやみに飛びかかることができない。
この時、このまま全てを捨てて巣に戻れば群れの再建は可能だったのかも知れない。如何に卵の奪還を優先する本能があったとしても、仮に敵がドラゴンであれば普通に諦めて逃げ帰るのだ。強者を前に逃げないものなどあっという間に淘汰されてしまうだろう。
だが幸か不幸かエルダー種となり幾ばくか知能が発達したワイバーンの王は、それと共に得てしまった自尊心のために退くことを選べず、それ故に眷属のワイバーン達も逃走を選べない。
「来い!」
「グルァァァ!」
勇者の父にしてアトラガルドの至宝に見出された、その実ただの村人であるニック対ワイバーンの王の戦いが、今ここに幕を開ける――





