父、持ち帰る
巨大な獲物をひっさげて帰ってきたエンギダー号の姿に、祭りの興奮がようやく落ち着いてきた町は再び大騒ぎとなった。単なる演技であるはずの海賊興行がまさかの大収入をもたらしたことで、海賊役をやっていた男達の関係者のみならず、町中の人々がこれでもかというほどに沸き立つ。
「アンタ! 一体全体どうしたってんだいありゃ!」
「へへ、どうよ? 俺もまだまだ捨てたもんじゃねぇだろ?」
とある熟年夫婦の夫は目をむいて驚く妻に子供のような笑顔で応えて見せ……
「父ちゃんスゲー! お土産は!? 俺にお土産は!?」
「他の町に寄ったわけじゃないんだから、土産なんてあるわけねーだろ?」
「えぇぇ……」
「……が! 臨時収入はバッチリだ! 家に帰ったら母ちゃんを連れて美味いものを食いにいくぞ! ついでに何でも欲しい物を買ってやる!」
「やったー! 父ちゃん最高!」
とある親子の父は飛びついてくる息子を笑顔で抱き留め……
「へっへっへ。これだけ稼げりゃ今年は娼館に通い放題だぜ。これで今年こそミツガセララちゃんを俺の虜に……」
「お前まだ……いや、お前がいいならいいんだけどよ……」
とある漁師仲間の男は、尻の毛までむしり取られるであろう友人のだらしない笑みに苦笑を浮かべて肩を叩く。
無論中には「こんなことなら自分が行っておけば」と悔しがる者もいたりはしたが、金というのは巡るものであり、これだけの魚や魔物素材があれば町全体の景気が上向くことは間違いない。
また儲けた者達も、漁という自然相手の仕事をしているだけに儲けすぎたときの対処法……下手な恨みを買わないようにきちんと周囲に利益を分配する術……を心得ているので、結果として大きな諍いなどが起こることもなく、町中には笑顔と活気が溢れている。
そして勿論、それをもたらした最大の功労者である筋肉親父の元にも駆けつける人影が存在していた。
「オッサン!」
「おお、マケカクではないか!」
船内にて既に着替えを終え、いつもの格好に戻って下船したニックに対し、その姿を見つけたマケカクが大きく手を振りながら走り寄ってくる。
「どうやら元気になったようだな。うむ、やはり若いと治りが早いな」
「ああ、お陰様でな……って、違う! そうじゃねーよ! あれ何だよオッサン!」
「すっごいでっかい魔物! 船よりでっかい魔物なんて初めて見たよ!」
勢い込むマケカクの隣では、マチョリカが物珍しそうに魔物の方を眺めている。その巨体は未だにエンギダー号に縄でつながれたまま海の上に浮かんでおり、知らせを聞いてやってきたトリセツや冒険者ギルドの面々がどうやってそれを引き上げるかに頭を悩ませているのだが、それは今のニックが知るところではない。
「何と言われても、魔物だが……確か、ハイドロイアだったかな?」
「ハイドロイア!? ハイドロイアって、あの伝説の!?」
「どの伝説かは知らんが、多分そうなのではないか?」
「多分って……いや、俺も名前を聞いたことがあるだけで実物を見たことなんてねーからわかんねーけど」
雑に答えるニックに、マケカクもまた微妙に眉根を寄せつつ答える。
「へー。この辺の漁師さんなのに、マケカク君も知らないの?」
「そりゃ知らねーよ。海の魔物ってのは基本的に陸から離れれば離れるほど数が増えて強さも増すから、俺達が普段漁をしている辺りじゃそもそも魔物を見かけること自体が稀だしな。
てか、俺達は冒険者じゃねーんだ。あんなデカブツ、遠くからちらっと影を見ただけで一目散に逃げ帰るぜ?」
「いや、冒険者だって逃げるでしょ。あんなのと戦うとかあり得ないし」
「そうか? そんなに強くもなかったぞ?」
ニックの何気ないその言葉に、マケカクとマチョリカが二人揃ってジト目を向けてくる。
「オッサン……まあオッサンだしな」
「実際こうして倒してるんだから、別に見栄張ってるとかじゃないのがまたおっちゃんだよねー」
「ぬぅ、何故そんな顔をするのだ!?」
『貴様が非常識極まりない存在だからだ、愚か者め』
「ぐっ……」
不意に腰の辺りから飛んできたツッコミに、ニックは口をへの字に曲げる。だが三対一ではどうにも分が悪く、ニックは何とか話題を変えようとする。
「そ、そう言えば! こいつが来る前に、何故か大量の魚を引き連れた……いや、混じったか? とにかく魔物と魚の大群もやってきていたな。ああいうことはよくあるのか?」
「魔物と魚が一緒に? いや、そんなの聞いたことないぜ?」
苦し紛れだったニックの言葉に、マケカクが腕組みをして首をひねる。
「魔物だって魚を食うからな。一緒に移動するなんて普通じゃあり得ない。てかそもそも客船の航路にあんな魔物が出てくること自体が異常なんだけど……考えられるとしたら、何かに追いかけられてたから、とか?」
「ふむ」
マケカクの言葉に、ニックもまた自分なりに考えてみる。食う者と食われる者が共に行動するとなれば、その両方を餌とするような強大な捕食者から逃れるために必死に逃げていた……というのは、確かに理由としては実にわかりやすい。あの魔物と魚がハイドロイアという絶対的な捕食者から逃げていたのであれば、その必死の行動には十分に納得がいく。
「そりゃあんなでっかいのが後ろから来てたなら、他の生き物はみんな一斉に逃げ出すんじゃない?」
そんなニックの言葉を肯定するように、マチョリカもまた同じ結論を口にする。だがそれを聞いてもマケカクの表情は難しいままだ。
「それはまあそうだろうけどさ。でも、そしたらハイドロイアはどうしてこんな近海にやってきたんだ?
あれが伝説って呼ばれてるのは、もっとずっと陸地から遠く離れた場所に住んでるからなんだ。だから何らかの理由があって冒険者がわざわざ船団を組んで倒しに行くとかでもなきゃ見ないせいで伝説って言われてるわけで……そんな奴がここまで来る理由は?」
「うーん。あたしにはそう言う難しいことはよくわかんないけど、案外あのでっかいのも何かから逃げてたとか?」
「伝説の魔物が逃げ出す何かが起きたってことか? うわぁ、絶対考えたくないぜ……」
マチョリカの言葉に、マケカクがうんざりした表情を浮かべる。もしそんな事があったとしたら海で仕事をする漁師達には大問題だが、かといってそんなものをどうにかする手段などこれっぽっちも思いつかない。
『……なあ貴様よ。我にひとつ思い当たることがあるのだが』
と、そこでニックの腰からオーゼンがそんな言葉を投げてくる。無論それはニックにしか聞こえず、二人のいる前で堂々と答えるわけにもいかないニックは沈黙をもって返答を待つ。
『先の祭りで貴様が牙を折ったあの魔物、あれに干渉したせいでハイドロイアがこっちに来たのではないか? あれほどの存在が海の底で何らかの異常行動を見せれば、それこそ海に巣くう全ての魔物が反応してもおかしくないと思うのだが』
「っ!?」
「? オッサン、どうかしたのか?」
突然びくりと体を震わせたニックに、マケカクが首を傾げて問う。だが当のニックは露骨に引きつった笑みを浮かべてその視線を逸らす。
「いや、何でもないぞ!? うむ、何の問題もないし、きっと海の異常とやらもすぐに収まることだろう。そうだそうだ。そうに違いない!」
「??? まあ、そうだな。そうだといいよな」
「考えてもどうにもならないなら、あんまり気にしなくていいんじゃない? 少なくとも今日の所は臨時収入があった人が一杯出たってことでさ。
あーあ。残念だったねマケカク君? マケカク君が船長やってれば、今頃大金持ちだったんじゃない?」
「馬鹿言うなよマチョリカ。あんなのに出くわしたら、俺なんて一瞬で食われて終わりだぜ!? まさか風邪引いたことを感謝する日が来るなんて思ったこともなかったぜ」
「だねー。あたしもあれと戦うのは絶対無理だなぁ」
「ははは。心配するな。あのような魔物がこの町を襲うことなど無いからな! 無いぞ! 絶対に無いのだ! ハッハッハッハッハ!」
「お、おぅ……?」
『……後始末はしっかりとやるのだぞ?』
急に笑い出したニックをマケカクが不思議そうに見つめるなか、全てを知るオーゼンだけが呆れた声でツッコミを入れる。
この後一週間に渡って海上を途轍もない勢いで駆け抜ける謎の影を見たという報告がちらほら寄せられることになるのだが、それはまた別の話である。