父、切り落とす
「参ったな。精々シーサーペントくらいだと思っていたんだけど、まさかハイドロイアとは……」
「何だ、お主では勝てなそうか?」
「そうだね」
挑発的とも思えるキンニクック船長の言葉に、ナルシスは悪びれる様子もなくそう答える。できないことをできないと認めることを恥だと言って受け入れられないような輩が金級冒険者にまでなれるはずもない。
「陸にあがってくれるか護衛対象がいないか、せめてどっちかが叶えば戦いようはあるけど、今の状況じゃボクにはちょっと荷が重いね……っていうか御前? 奥方も、どうして避難しないんですか?」
ジロリと視線を向けたナルシスに、彼の雇い主たる老人は愉快そうに笑う。
「ふぉっふぉっふぉ。何を言うかと思えば。お前がここに留まるのなら、この船でここより安全な場所はあるまい?」
「まあそうですけど……じゃあ、そちらの人達は?」
「わ、儂を誰だと思っているのだ! 名誉あるミエハリス家の当主だぞ!? このようなご老人方を残して儂だけがおめおめと避難することなどできるものか!」
「そうです! ちちうえは強くてかっこいいんです!」
ナルシスの言葉に、ミエハリス男爵とその息子が答える。ただし男爵の足はガクガクと震えており、誰が見ても無理をしているのは明白だ。
だがそれでも貴族は貴族。あえて面子を潰す必要などないし、ましてや自分の雇い主に対する善意……息子を前にした見栄も多分に含まれているだろうが……で頑張っているのだから、それを責めるのは無粋であり美しくない。
そして何より、この程度の足手纏いをどうにか出来ないと思うほど、ナルシスは自分を過小評価はしていなかった。
「わかりました。じゃあ皆さんは決してボクの背後から出ないように。流石にバラバラに行動されると守り切れませんからね」
「お前達もだ! 乗客の誘導が終わったら速やかにエンギダー号に戻り、いざという時に備えろ!」
「はいよ船長!」
「船長、ご武運を!」
「ほら、魚を拾うのは大概にしろ! さっさと戻るぞ!」
キンニクックの言葉に、海賊役の漁師達もエンギダー号へと戻っていく。エンギダー号はハイドロイアの反対側にてナミマ・プカーリ号と係留しているため、これでナルシスの守りが破られない限りはエンギダー号も無事だ。
「このボクに海賊船のお守りまでさせるつもりかい?」
「どうせ護衛で動けんのなら、任せても構わんだろう? 代わりに儂があのデカブツを仕留めてやる」
「できるのかい?」
「無論!」
ナルシスの問いに、キンニクックが笑顔で断言する。そこに浮かぶのは自信を超越した確信であり、その顔を見たナルシスはフッと小さな笑みをこぼす。
「わかった。なら残念だけど、ハイドロイアはキミに譲るよ。精々華麗に美しく倒してくれたまえ」
「ははは。華麗かどうかは保証できんが、任せろ! では行ってくる!」
「行く? 行くって……おぉい!?」
ニカッと笑ったキンニクックが甲板を蹴ると、そのまま海上へと飛び出していく。思わず呼び止めてしまったナルシスだったが、キンニクックが沈むこと無く海の上を走って行く様を目の当たりにし、流石に少しだけ顔を引きつらせた。
「本当に何なんだあの男は……? 御前、何か知りませんか?」
「さあのぅ。お前が知らんというのなら、私が知るはずもなかろう」
「ですよねぇ。ああ、彼とは本気で戦ってみたかったなぁ……」
滅多に巡り会うことのない、自分が本気を出しても勝てるかどうかわからない相手。キンニクックとの手合わせをうっとりと思いだしながら、ナルシスは未練をため息に乗せてほぅと吐き出した。
「さあ、やるぞオーゼン!」
『うむ。しかしまた大物をひっかけたものだな。やはりここでも貴様の厄介ごとを呼び込む力は健在か』
周囲から人目が無くなったことで、素に戻った……そもそも大した演技はしていなかったが……キャプテン・キンニクックことニックが、海上を駆けながらオーゼンに向かって話しかける。そんなニックの正面ではハイドロイアが三つ首を軽く後ろにそらせると、すぐに水の吐息を放ってきた。
『来たぞ!』
「ハッ! ぬるいわ!」
三つの口から発せられた吐息が束ねられ、一本の太い水の槍となってニックに襲いかかる。だがニックの振るう魔剣『流星宿りし精魔の剣』は、そんな水槍をあっさりと切り飛ばした。
『やはり魔法の力で形を構成しているのか。まあ単に勢いよく吹き出しただけであんな形になるわけないから、当然と言えば当然だが』
魔剣に斬られ水しぶきとなって周囲に飛び散るその様に、オーゼンが冷静に吐息の正体を分析していく。それとは対照的に興奮する声をあげたのはニックだ。
「見ろオーゼン、今の一発で星が三つになったぞ!? これなら適当に吐息を斬り続ければ、ひょっとして七つ星までいけるのではないか?」
『貴様という男は……いや、無理だろう。あの魔物の体内の魔力の動きからして、今の攻撃をそこまで連発できるとは思えん。そもそもゼロから三つ星になるのと、三つ星から七つ星になるのとでは必要になる魔力量がまるで違うのだぞ?』
「ぐぅ、そうか……ならまあ、普通に倒してしまうか」
『守るべきものも背後にあるのだ。それが無難であろうな』
自分より遙かに巨大な魔物を前に、のんびりとそんな会話を交わすニックとオーゼン。その間にもハイドロイアは自らの首を振り回し、質量兵器としてその頭でニックを殴りつけたりしていたのだが、高速で水上を走り回るニックにはどれほど頭突きを繰り出しても命中することは無い。
「よし。ではまず一つ!」
水上を走っていたニックが不意に跳び上がり、三つ首の一つに向けて魔剣を振るう。ヒトナミーナに気づかされて以後きちんと剣を振る鍛錬も積んできただけに、その一閃はハイドロイアの極太の首を見事に切断することができた。
「おお、綺麗に切れたぞ!」
『魔竜王とは比べるべくもないが、これもなかなかの魔力を宿した魔物だからな。通常の剣であればとっくに砕け散っていたであろうが』
「怖いことを言うなオーゼン……二つ!」
「プォォォォォォォォ!!!」
三つの星が輝く魔剣は、更にもう一つの首も飛ばす。そこでようやく四つ目の星も淡く輝き始めるが、ニックがそれを気にするより前に、最後に残った首から渾身の水の吐息が吹き出される。
「プォォォォォォォォ!」
「食らわぬ!」
ごく近距離から放たれた、必殺の一撃。だがニックは空中にてギュルンと体を回転させ、その勢いだけで自分の体に命中した吐息を弾き飛ばしてしまった。
「そして……これで終わりだ! 三つ!」
手にした魔剣に回転の勢いを乗せ、空を蹴って最後の首へと突進するニック。そのまま剣を振り抜けば、最後の首も見事に宙を舞った。
「ハッハー! どうだ! この儂の勝利だ!」
『そうだな。これほど巨大な魔物を、特に盛り上がりも何も無くいとも容易く倒してしまったな……まあ貴様らしいが』
死したハイドロイアの背に着地し、魔剣を掲げたニックが高らかに勝利を宣言する。そのあまりにもあっけない幕引きにオーゼンはいつものことかと呆れ声を出し、そしてそれを船上から見ていたナルシスは――
「えぇぇぇぇ……何だいそりゃ……」
この世の理不尽を目の当たりにし、珍しくあまり美しくない感じの声を漏らしていた。