船客達、海賊に襲われる
ウミベノ王国所属の大型帆船ナミマ・プカーリ号。乗員乗客合わせて二〇〇名ほどが乗り込むその船はこの世界では珍しい「人を運ぶこと」を主とした旅客船だ。険しい山道を突っ切るような日数で平坦な街道を進むより快適な移動の出来るこの船の人気はなかなかのもので、大貴族や豪商が乗るような一等船室を除けば、乗るには多少の幸運が必要になる。
そして今、この船に乗り込んでいるミエハリス男爵もまた、そんな幸運に恵まれた一人だった。
「ちちうえ、今日も波がすごいですね!」
「そうだな息子よ。やはりこの時期の海は荒れるようだな」
二等の個室という割とよい船室のなかで、男爵は丸窓から外を眺めてはしゃぐ息子に笑いかける。息子の六歳の誕生日に船旅をねだられ、運良く……あるいは運悪く乗船券を手に入れることができてしまったため、多少無理をしてこの部屋を取ったのだ。
(やはり個室にして正解だったな。せっかくの船旅に大部屋では父の威厳が保てんわい)
一等船室は全て完全個室だが、二等は四人部屋と個室に分かれている。息子との二人旅のため別に四人部屋でも構わないと言えば構わなかったのだが、そこは貴族としての体裁が「相部屋」というのを許せなかったのだ。
ちなみにだが、三等は八人部屋のみであり、四等ともなると部屋ですら無い広間での雑魚寝となる。三等まで下がれば一般庶民でも頑張れば乗れる金額になるが、いかに弱小貴族とはいえ、そこしか空いてなければ流石に船に乗ることはなかっただろう。
「でも、波ばっかりでちょっとあきてきました」
「はは、そう言うな息子よ。船旅とは心のゆとりを楽しむものなのだ。波に揺られながら空を流れる雲を見つめ、心と体をゆったりとした時に浸す。
お前もいずれ儂の後を継いで領主となればわかる。この緩やかな時は何よりも貴重な宝だとな」
「そうですか……むぅ、僕にはまだよくわかりません」
「今はそれでいいとも。だがまあ、そうだな。退屈だと言うなら、また甲板で釣りでもしてみるか?」
愛する我が子の頭を撫でながら言った男爵の言葉に、しかし息子の表情は優れない。
「つりは全然つれないのが楽しくないです」
「あれもまた根気がいるものだからな。とは言え出発してから幾日か経つのだ。そろそろ周囲の魚も釣られなれていないようなものが増えるはず。この辺ならば簡単に釣れるかも知れんぞ?」
「本当ですか? それならやってみても――っ!?」
その時、突然船の外からドーンという爆発音が響く。息子が慌てて丸窓から外を覗くと、そこには真っ黒な旗に髑髏のマークが記された一隻の船が浮かんでいる。
「ち、ちちうえ! かいぞく! かいぞくせんがいます!」
「海賊だと!? そんな馬鹿な!?」
興奮する息子の言葉に、男爵はやや大げさに驚いてみせる。当然だが、男爵を含む乗客は全員この海賊が「仕込み」であることを知っている。知らないのはこの襲撃を楽しませようと秘密にされている子供達くらいだが、だからこそここで悟られるわけにはいかない。
『そこの船、聞こえるかぁ! 俺たちゃ泣く子も黙る海賊団だ! 命が惜しけりゃ抵抗するな! 今すぐ全員甲板にあがってきやがれぇ!』
「ちちうえ! かいぞくが僕たちをよんでいます!」
「そうだな。まずは相手の出方を見るため、儂達も甲板に出てみることにしよう」
「かいぞくの言うことを聞くのですか!?」
「悪党の言いなりになるのは癪だが、この船には力なき平民達も乗り合わせているからな。栄えあるミエハリス家の貴族として、そういう者達を見捨てることはできんだろう?」
「はい!」
最近妻に「もうちょっとお痩せになった方が宜しいのでは?」と言われ始めてきた腹を引っ込めながら言う男爵に、息子はキラキラした目を向けて返事をする。その尊敬の眼差しに気をよくした男爵は、息子を連れ立って甲板へと歩いて行った。
「これで全員かぁ? へっへっ、今回もなかなか金になりそうじゃねぇか」
当たり前だが、甲板に乗客全員が出てこられるほどの場所は無く、船室は上等なものほど甲板に近い。つまるところこの演目を間近で楽しめるのは精々二等船室の客くらいまでであり、それ以下の船室の客達は人の隙間から覗き込む程度になる。
だがまたも幸運な事に、ミエハリス男爵は最前列左翼というかなりの好位置につくことができた。その場にいた上品な老夫婦が、ミエハリスが子連れであることを見て取ったことで場所を譲ってくれたのだ。
「こんな老人の前に立ってくれるなんて、貴方のお父上は勇敢ですね」
「はい! ちちうえはすごいです!」
おそらくは自分よりずっと上位の貴族であろう老婦人の言葉に、男爵の息子は得意げな顔で答える。男爵としては息子が何か粗相をしないかと気が気では無かったが、穏やかに微笑む老人の方が気にするなと言わんばかりに頷いてくれたのを見て、目の前の海賊達に意識を戻す。
(どちらの貴族家の方かわからんが、このご厚意を無にするのは却って無礼。ならばここは全力で演じるのみ!)
「ふんっ、この薄汚い海賊共め! この儂、ミエハリス男爵がいる限り、貴様等のような無法者の好きにはさせんぞ!」
腰からスラリと剣を抜き、ミエハリス男爵が構える。それにニヤリと笑って答えるのは、いかにも悪そうな顔をした海賊の男だ。
「へぇ、あんた男爵様か。でかい口を叩くからにゃ、覚悟してもらうぜぇ!」
海賊の男もまた剣を抜き、男爵に向かって対峙する。そのまま互いに剣を打ち合えば、キィンという小気味よい音が甲板中に響き渡った。
なお、当然だが二人の剣はどちらも刃を潰してある。それどころか刀身の中を肉抜きして空洞にしているため、重さは通常の鉄剣の半分なうえに叩くと綺麗な音が響くようになっている。
その分強度は恐ろしく落ちるが、どうせ一回限りの使い捨て。使い手も少なくとも海賊側は万が一にも相手に怪我をさせないように力加減をしているため、それを誤魔化すためにも派手な音が鳴るのは都合がいい。
軌道のわかりやすい大ぶりな攻撃を繰り返すことで素人と素人の剣が見事に打ち合い、その度にキンキンと音が鳴ることで素人が見る分にはまるで英雄同士が戦っているかのような臨場感がそこに生まれていた。
「ちちうえ、すごい!」
「あらあら、本当に。お父上は強いのね」
「ふぉっふぉっ。これなら海賊などすぐにやっつけてしまうかも知れんのぅ」
はしゃぐ息子と、それを温かく見守ってくれる老夫婦。そんな人々の視線を背に受け一層男爵が張り切れば、それを皮切りにしたように甲板のあちこちで剣戟が始まった。無論全員仕込みであり、恋人にいいところを見せたい青年や、まだまだ若い者には負けないと張り切る老人もいる。
その中に唯一混じっていた「本気」の存在は、一二歳ほどに見える少年だ。
「おおっと、なかなか強いなボウズ!」
「うるさい! 我が家は代々騎士の家系なのだ! 海賊如きの剣に遅れなどとるか!」
「おー、怖い怖い……いや、マジで怖いぞこれ!?」
僅かに剣を打ち合わせただけで、その少年と対峙していた海賊の顔に本気の焦りが生まれてくる。少年とは言え正当な剣術を学んでいるためか、大人であっても所詮は漁師でしかない海賊役の男がドンドンと押されていったからだ。
「ちょっ、待て! ホントに待て!」
「誰が待つか悪党!」
「おいおいおいおい!? うおっ!?」
事情を知らない少年が本気で剣を振るうのに対し、海賊役の男は子供、しかもほぼ間違いなく貴族と思われる相手を前に、過剰なほどに気を遣わざるを得ない。ついうっかりであろうとも、貴族の子供を傷つけたりしたら物理的に首が飛ぶのがわかりきっているからだ。
そして、そんな及び腰を少年騎士は見逃さなかった。力強い踏み込みからの横薙ぎで、海賊役の男の剣が宙高くに跳ね飛ばされてしまう。
「とどめだ!」
「ひえっ、お助け!?」
少年騎士が、海賊役の男に向かって剣を振りかぶる。勿論彼の両親は相手が本物の海賊でないことは知っているので、息子の行動を止めるべくその肩に手をかけようとしたが……それよりも一瞬早く。
「そこまでにしてもらおうか」
「っ!?」
甲板中に響き渡る、低く重い声。誰もがその身を震わせ動きを止める中、海賊船の奥の方から一人の『漢』が姿を現す。
「だ、だ、誰だ!?」
「儂か? 儂は……」
身長二メートルを超える巨体が、ナミマ・プカーリ号の甲板を踏みしめる。他の海賊達とは存在の格そのものが違う筋肉船長は、必死に己の怯懦に抵抗する少年騎士にニヤリと笑って答える。
「儂はこのエンギダー号の船長。キャプテン・キンニクックだ!」
堂々たるその名乗りに、甲板中の人々の魂が震えた。