父、お見舞いする
『なあ貴様よ。先ほど置いてきた貴金属はかなりの価値があるのではないか?』
仕立屋を後にしたニックに、腰の鞄からオーゼンが声をかけてくる。ニックが無造作に置いてきた宝石やら何やらはオーゼンから見ても明らかに高級品であり、あんなに気軽に渡せるものとは思えなかったからだ。
「ん? そうだな。割とあるとは思うが……」
そんなオーゼンの言葉に、ニックはさして興味もなさそうに答える。ニックがああいう物を持っているのは、貨幣が価値を持たないような場所での取引に使うためだ。そのため宝石以外にも稀少な魔物の部位や珍しい薬草などの類いもニックの魔法の鞄には入っている。
『随分適当だな。あれほどの財をそんな気軽に出してしまってよかったのか?」
「別に問題あるまい。服と同じでさしあたって使い道もなかったし、別にくれてやったわけではなく、飾りに使ってくれと置いてきただけだしな。
ほれ、そんな事より着いたぞ」
そう言ってニックが足を止めたのは、海にほど近い所にある一軒の家の前。祭りの時に聞いていたマケカクの家だ。
『あの者達の家か。見舞いにでも来たのか?』
「一応な。そう大事はないとは思うが、儂が代役を引き受けたのだから、一声くらいはかけておくべきだろうと思ったのだ。失礼、どなたかご在宅かな?」
ニックがドンドンと扉を叩くと、程なくして扉が開かれる。そこに立っていたのはマケカクの兄、カチカクであった。
「あ、ニックさん。どうされたんですか?」
「おお、カチカクか。いや、マケカクが体調を崩したというから、ちと様子を見にな」
「そうでしたか。アイツなら奥の部屋で寝てますから、適当に見舞ってやってください。自分はちょっとこれから出かけないといけないんですが」
「そうか、わかった。ではあがらせてもらうとしよう」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
カチカクと入れ違いになるように、ニックが家の中へと入る。そのまま人の気配のある部屋の前まで辿り着くと、ニックはそっと扉を開けた。
「おーいマケカク。体調はどうだ?」
『あ、おい貴様、きちんとノックを――』
果たしてそこにあったのは、ベッドで体を起こしたマケカクと、そのマケカクに「あーん」をしているマチョリカの姿だった。
なお、当然だがマチョリカは露出過多な鎧の下にきちんと厚手の服を着込んでいる。鍛えた体を見られて褒められるのが好きなのは確かだが、だからといって別に寒いのが好きなわけではないので当然だ。
「ぶほっ!? お、オッサン!?」
「あーっ! もう、きちゃないなぁ。ほら、大丈夫マケカク君?」
ニックの姿に思わず吹き出したマケカクを見て、マチョリカがこぼれた麦粥を綺麗に拭き取っていく。
「ああ、悪いマチョリカ……てかなんでオッサンがここに!? ノックくらいしろよ!」
「いや、カチカクに寝ていると聞いたから、起こさぬように気を遣ったのだが……どうやら邪魔をしてしまったようだな」
「じゃ、邪魔とか!? そんな、そんなんじゃねーし……ゲホッ、ゲホッ!」
「興奮しないの! ほら、寝て? ね?」
「うぅぅ……」
マチョリカに支えられ、マケカクがベッドに横になる。その顔は大分赤いが、決して照れているだけではない。横になったマケカクの額に絞った濡れ布巾をマチョリカが乗せているのを見て、ニックは彼女に声をかける。
「お主が面倒を見ていたのか」
「うん。こうなったのも半分くらいあたしの責任ってのもあるしね。マケカク君初めてだったから、もう一回もう一回って凄かったし」
「マチョリカお前!? それは……ゲホッ、ゴホッ」
「ほらほら、大人しく休まなきゃ駄目だよ? それとも眠れないなら、膝枕でもしてあげようか?」
「い、いらねーよ! くそっ……」
悪態をつきながらも、マケカクが大人しく目を閉じる。荒い息は徐々に収まり、程なくして静かな寝息を立て始めた。
「ふむ、寝たか……マチョリカよ、マケカクの容態はどうなのだ?」
「うーん。あたしの見立てだと元の体力があるからこれ以上悪くはならないと思うけど、でも二、三日は寝てた方がいいって感じかな?」
「そうか。ではやはり海賊の船長役は無理だろうなぁ」
「マケカクったらすっごく悔しがってたけどねー」
クスクスと笑いながら、マチョリカの指先がそっとマケカクの前髪を撫でる。その慈しみに溢れた態度は、この二人が知り合ったばかりだとはとても思えない。
「まあ、マケカクなら来年も『町一番の海漢』を十分に狙えるであろう。来年は来年でお主にいいところを見せようと張り切るだろうしな」
「はは、そこまで先のことはわかんないけどねー」
「ほぅ、そうなのか?」
ニックの問いに、マチョリカは苦笑して答える。
「男女の仲なんて水物だもん。冒険者なんてやってれば尚更だよ。気の合う相手と一夜限り、なんて珍しくもないし。
でも、だからこそこの一瞬が愛おしいの。恋も命も、いつ燃え尽きるかわかんない。なら今の幸せを最高に楽しもうって思えるんだよ」
「そうか。それもまた一つの生き方であろうな」
ニックにとって、妻への思いは死してなお薄れることすらない永遠のものだ。だが刹那を生きる冒険者だからこそ、今を満喫したいという考えを否定するものではない。
「ならば儂は、その最高の時が末永く続くことを祈ろう」
「ありがとおっちゃん。そうだね、最高がずっと続いたら、最高の最高だもんね」
屈託のない笑顔を浮かべるマチョリカに、ニックは精のつく食材を魔法の鞄からいくつか取り出し手渡すと、静かにその場を後にした。宿へと戻る道すがら、ニックの足取りはどことなく軽い。
『随分と機嫌がよさそうだな?』
「わかるか?」
『わからいでか。貴様とどれだけ共に過ごしていると思っているのだ?』
「はは、そうだな。娘と別れてからの旅の間、もう幾度となく思ったことではあるが……誰かが誰かを想う姿というのは、本当によいものだと思ってな」
『ふむ。それには全面的に同意する』
ニックの頭の中に、この一年あまりの旅で関わってきた沢山の人々の姿がありありと思い浮かぶ。母のために危険な森へ薬草を採りにきた獣人の少女、後輩を守って戦い抜いた期待の銀級冒険者。弟のために危険を冒した王女もいれば、友を思うドワーフの少年、己を捧げた双子姫の片割れ、秘めた思いを貫き通した弱腰な冒険者に家族のために恐怖を乗り越え頑張った少女などなど、この旅で知り合った人々を思い返せば、その出会いと別れは全てが宝物のように輝いていた。
「娘との旅の間にも、儂等は無数の人々を救ってきた。だが勇者という特別な立場のせいで、どうしても個人との関わりは薄くなってしまう。
それが一人になって旅をすることで、儂は勇者パーティの一員ではなく、ただの冒険者として触れ合うことができるようになった。この経験は何より貴重で尊いものだと儂は胸を張って断言できる」
そこで一旦言葉を切ると、ニックはスッと空を見上げた。高く澄んだ冬空には白い雲がたなびき、眩しいほどの太陽の日差しがニックのことを照らしている。
「いつか勇者の使命を果たしたならば、娘ともこういう旅をしたいものだ。肩書きにとらわれることなく、自由で楽しい、ありのままの旅を」
『フッ。何を言うかと思えば……そんなもの、貴様であれば簡単であろう? 貴様に殴り壊せぬ障害がこれっぽっちも思い浮かばぬ以上、その旅に必要なのは貴様が「そうしたい」と願う気持ちだけなのだからな』
「オーゼン……言うではないか! そうだな、いつになるかはわからんが、そんな日を楽しみにしておくことにしよう。無論その時はお主も一緒だぞ?」
『我もか!?』
驚きの声をあげるオーゼンに、ニックは笑いながら腰の鞄をポンと叩く。
「当然ではないか! 世界はまだまだ広いのだ。お主にもたっぷりとそれを見せてやらんとな」
『それは何とも……賑やかな旅になりそうだ』
会ったことはなかったが、ニックの娘が淑女のような存在だとはオーゼンにはどうしても想像できなかった。だからこそニックによく似た賑やかな娘を思い浮かべ、その騒がしい旅路に思いを馳せる。
ニックとオーゼン、二人の胸の内には、温かく楽しげな未来が見上げた冬の日差しの如く輝いていた。