父、誘いを受ける
「ああ、こちらにいらしたんですね」
「む?」
祭りが終わって二日。近隣の情報を集めたり軽い仕事をこなしたりしつつ久しぶりの海辺の生活を満喫していたニックに、突然声をかけてくる人物がいた。目の前の海鮮パスタをぴゅるりと口に吸い込んでからニックが振り向けば、そこには祭りで見知った顔がいる。
「トリセツ殿ではないか。何か儂に用か?」
「ええ。ちょっとニックさんにお願いしたいことがあって探していたんです。あ、ここ座っても?」
「勿論だ。おーい!」
目の前に座ったトリセツのために、ニックが店員に声をかける。やってきた店員に軽い食事を注文すると、トリセツが改めてニックの方に顔を向けた。
「改めまして、海の漢祭りの特別賞、おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
この二日で浴びるほどに言われた祝福の言葉に、ニックは朗らかに笑って返した。そんな機嫌の良さそうなニックを前に、トリセツは冬場にもかかわらずかいた額の汗を拭いながら切り出す。
「それでですね。『漢の中の漢』に選ばれたニックさんに、是非ともお頼みしたいことがあるのですが……ニックさん、海賊とかって興味あります?」
「海賊?」
トリセツの言葉に、ニックは思わず首をひねる。
「海賊と言うと……船を襲って乗客や積み荷を奪う、あの海賊か?」
「はい、その海賊です。どうでしょう? 海賊」
「話が全く見えんのだが……何か? 海賊が出るから倒して欲しいとか、そういうことか?」
眉根を寄せたままパスタを啜るニックの言葉に、トリセツは一瞬キョトンとした表情をしてからすぐに両手を顔の前で振って激しく否定する。
「いえいえ、違います! ああ、すみません。この町の住人以外にお願いするのは久しぶりなので、うっかりしておりました。海賊と言っても勿論本物ではなく、演技というか芝居というか、見世物としての海賊という奴ですね」
ここまで言うと、トリセツが一旦言葉を切る。丁度運ばれてきたサンドイッチを軽くひとつまみすると、仕切り直しとばかりに再びトリセツが口を開いた。
「ニックさんはご存じないと思いますので、きちんと最初から説明しますね。毎年このくらいの時期になると、三つ向こうの港町から出ている大型の旅客船がこの辺りを通りかかるんです。
で、お祭りの生まれた経緯をお話しした時に説明したと思いますが、この時期は海が荒れがちになるので、漁師達はあまり漁に出ることがなくなります。そんな時間を持て余しているのに働くこともできないという漁師達がこの旅客船を絡めてなんとかお金を稼げないかと考えたのが、この海賊興業となるわけです。
要は海賊のフリをして旅客船を襲い、お客さんに楽しんでもらおうということですね」
「ほほぅ。そんな事をやっておるのか」
トリセツの話に感心しながら、ニックがグビりとジョッキの中身を飲む。昼間ということもあり酒精のほとんど無いホットワインだが、ほのかな温もりが喉を過ぎていくのが心地よい。
「そうなんです。ただ、ここからが肝心でして……海賊船はこの町の所有物ですし、その乗組員は漁師の方がやるんですけど、船長だけはその年の祭りで選ばれた『町一番の海漢』の方にやってもらっているんです。せっかくお祭りで活躍してくれたわけですから、そのくらいの役得はあってもいいでしょうしね」
「うん? なら船長役はマケカクではないのか?」
当たり前に浮かんだその疑問をニックが口にすると、トリセツの表情が僅かに曇る。
「普通ならそうです。というか、そのつもりでお話を持って行ったんですけど……」
「マケカクに何かあったのか?」
「それがですね……マケカクさん、どうも風邪を引いてしまったようなんです」
「風邪!?」
「はい。まあ寒空の下あれだけ海中で活動していたわけですし、体力だって消耗しているでしょうから、体調を崩されるのも無理はないとは思うんですが……」
「あー、そうか。まあ彼奴も色々あっただろうからなぁ……」
困り顔のトリセツに、ニックは若干遠い目をする。
(そう言えば、夜に帰ってきた時はいくらか顔が赤かったようにも思えたが……なるほど、それも原因だったか?)
あの後マケカクとマチョリカが何をしていたかを、ニックは知らない。が、察することができないほど朴念仁ではない。身も心も疲れ果てたところでそういうことを、しかも野外でやっていたとなれば確かに風邪くらいは引くかも知れない。
「それでまあ、ならば代役を誰にするかと言う段になって、ニックさんの事が話題にあがりまして。『漢の中の漢』に選ばれたニックさんなら船長役としては申し分ないですし、冒険者ということであれば立ち振る舞いも様になっているだろうから多少急な話でも大丈夫だろうと。
どうでしょう? 勿論報酬はお支払い致しますから、受けていただけませんか?」
「ふーむ……」
トリセツの申し出に、ニックは唸りながら海鮮パスタの最後の一口を咀嚼する。それをゴクンと飲み込んで浮かべるのは、ニヤリと笑った楽しげな顔。
「わかった! その役、是非とも引き受けさせてもらおう!」
「おお、そうですか! ありがとうございますニックさん」
立ち上がったトリセツが伸ばした手を、ニックもまた握り返す。そうして固い握手を交わしたならば、トリセツは安堵の表情を浮かべて目の前のサンドイッチをぱくつき始めた。
「いやぁ、受けていただけてよかったです。これでひとつ肩の荷がおりました」
「そんなに大事なのか?」
「ええ。何せこれはうちの町の中だけでなく、向こうの町との契約ですからね。不履行になったりしたらかなりの額の違約金を支払わなければならないのです。
もしニックさんが引き受けてくださらなかった場合はカチカクさんにお願いすることになったと思うんですけど、あの人も結婚を控えていたり弟さんの仕事の穴埋めのために忙しいですからね。五年連続で船長をやってもらっているので安定感はあるんですが、無理を言ってお願いするのはどうにも気が引けて……」
「あー、それはまあなぁ」
春に結婚するというなら、漁に出られない今の時期こそ挨拶回りやら何やらで忙しいことだろう。更に妻になる女性が妊娠していたり、風邪で倒れた弟の分の仕事をなんとかし、更に海賊船の船長までとなれば、いくらなんでも無茶が過ぎるだろう。
「まあ、安心してくれ。受けると言ったからには全力で当たらせてもらおう」
「ありがとうございますニックさん。でしたら、この後お時間とか大丈夫ですかね? 大丈夫であれば、詳しい内容を役場の方で説明させていただきます」
「今日は特に仕事もないから、大丈夫だ。ならばトリセツ殿が食い終わったら行くとしよう」
「あ、すみません! すぐ食べますから、ちょっとお待ちを はぐっ! もぐもぐもぐ……」
「おいおい、そんなに慌てることはあるまい!?」
勢い込んでサンドイッチを口に詰め始めたトリセツに、ニックは驚いて声をかける。
「ふぃえ、わはしごごもひごとがひっはいふまっへるんへふ! ごくんっ……よし、じゃあ行きましょう!」
「う、うむ……あー、おい! 金はここに置くぞ!」
「ありがとうございましたー!」
さっと立ち上がったトリセツに続き、ニックもまた食堂を後にする。そうして二人は連れだって、町の役場へと向かっていった。