負け男、敗北する
やっとのことで絞り出された、幼なじみからの愛の告白。その気持ちを受け止めたオサナの顔に、本来あるはずの喜びや恥じらいの表情は無い。
だからこそオサナは迷う。戸惑いためらい、だがどうすることもできず……そっと上目遣いでマケカクの顔を見つめると、その口を開いた。
「……あのね、マケカク。私もマケカクに言いたいことがあるって言ったの、覚えてる?」
「ん? 当たり前だろ? それがどうかしたか?」
「実は、その……ね? 私のお腹に、赤ちゃんがいるの」
「……………………は?」
オサナの言葉に、その場にいた全員の動きがとまる。喧噪に包まれる祭り会場において、この一角だけがまるで時が止まったような静寂に包まれ……
「う、う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「あっ!? ちょ、マケカク!?」
叫び声をあげながら、マケカクが凄い勢いで走り去っていく。その背に思わず手を伸ばしたオサナだったが、ためらいからか後ろめたさからか、その手がマケカクに届くことはなかった。
「お、お、オサナ? え、それどういうこと?」
そんななか、激しく動揺しているカチカクがオサナの方に顔を向ける。
「どうって? 言葉通りの意味だけど?」
「いや、でも、俺そんなの聞いてない……お、俺の子、だよね?」
思わずそう口走ってしまったカチカクの口を、オサナがむぎゅっと捻りあげる。
「当たり前でしょ! 私のことなんだと思ってるのよ!」
「ひ、ひらい! ふみはへん! ほへんははい!」
「あー、何だ。つまりお主達は実は夫婦だったりするのか?」
困惑顔で問うニックに、カチカクは顔の前で激しく手を振って否定する。
「いえ、違います! と言ってもまだというか、春になったら結婚しようって話はしてたんですけど……今日マケカクに伝えるのもそのことじゃなかったのか!?」
「んー、最初はそのつもりだったんだけどね。ほら、私このところ体調があんまりよくなかったでしょ?」
「ああ、そうだね。だから俺も祭りの参加は見合わせたし、今日も家でゆっくり休もうって話だっただろ?」
「うん。でね、今朝もいつもの薬師のおばちゃんのところに顔を出したんだけど、色々話をして調べてもらったら……その、お腹に赤ちゃんがいるって言われて。そうしたら私嬉しくなっちゃって、この機会にカチカクさんとマケカクに一緒に伝えたらビックリするかなぁって。
あと、順調なら来年以降は子育てで大忙しだろうから、このお祭りを楽しめるのも今年で最後かなって思ったってのもあるけど」
「そ、そうか。そうだったのか……俺が父親に……はは……」
喜びに手を震わせるカチカクの姿を、オサナが優しい瞳で見つめる。それ自体はとても目出度いことであり、周囲で話を聞いていた野次馬達からも祝福の声があがる。
が、そんな空気を壊したのはマチョリカの抗議の声だ。
「ねー! あんた達が幸せなのはわかったけど、マケカクはどうするの? 一人で走って行っちゃったんだよ!?」
「あっ!? そ、そうだマケカク! 大変だ、すぐに追わないと……オサナ?」
慌てて駆け出そうとしたカチカクだが、オサナの手がそれを引き留める。
「追いかけて……どうするの? 私、今マケカクにどんな顔をしていいかわからない……」
「オサナ……それは……」
「もーっ! 行かないならあたし先に行っちゃうからね! おーい、マケカクくーん!」
躊躇う二人に、マチョリカが待ちきれず走り出す。そしてこの場に残ったニックは、カチカク達二人にそっと語りかけた。
「本当に追わぬつもりか?」
「ニックさん……だって、突然告白されて、私もビックリしていきなりあんなこと言っちゃって……私だってそうなんだから、マケカクだって今は私と顔を合わせたくないだろうし」
「オサナ……そうだな。あいつにも一人になる時間が必要かも」
「ふーむ。確かにそれは間違ってはおらぬだろう。だが、儂は追うべきだと思うぞ? 何を言っていいかわからぬなら、何も言わずともよい。マケカクが話したいことを黙って聞き、何も言わぬなら側にいるだけでもいい。
確かに時間は問題を薄め、解決してくれることもある。一人になりたい時があることも事実だ。だがお主達がマケカクの家族として今後も過ごすのであれば、今この時こそ追うべきなのだ」
ニックの真剣な言葉に、カチカクもオサナもまっすぐにニックを見つめ、その言葉の続きを待つ。
「すぐに手当をすれば綺麗に治る傷が、時に任せたことで古傷になってしまうことは間々ある。それはいつまでもじくじくと心を苛む傷になることもあれば、まるきり痛くも痒くもないものになることもあるだろう。
だがどうなるにせよ、今を逃せばきっと傷が残る。お主達三人の歩む未来に、そんな無粋なものは必要なかろう?」
ニヤリと笑って言う筋肉親父に、カチカクとオサナが顔を見合わせ頷き合う。
「ありがとうございますニックさん。俺達、マケカクを追います」
「ありが――ひゃあ!?」
カチカクに続いてオサナが礼の言葉を言おうとしたところで、不意にニックがオサナとカチカクをひょいと肩に担ぎ上げる。オサナはまだしも、カチカクは一九〇センチ近い身長の成人男性だけに周囲から驚きの声があがるが、それを為したのがあの筋肉親父だとわかると、すぐに皆が納得した。
「ニックさん!? 何を!?」
「はっはっは。まだ腹も目立たぬとはいえ、妊婦を走らせるなど『漢の中の漢』のすることではあるまい? さあ、どっちだ? 儂はどっちに走ればいい?」
「あっち! マケカクは失敗すると、いつもあっちの浜辺にある岩の上に座ってたわ!」
「あっちか! よーし、任せろ!」
オサナの指さす方向に、ニックの巨体が走り出す。人混みをすり抜け屋台を飛び越え、あっという間に祭り会場を駆け抜けていく。
「は、はや、はやい。はやすぎる……」
「ニックさん、そっち!」
アワアワ言いながら必死にニックの頭にしがみつくカチカクと、しっかりとニックの腕にしがみつきながら方向を指示し続けるオサナ。程なくして三人は岩の上にちょこんと座って海を眺めるマケカクの姿を見つけることができた。
「おお、ここにいたのかマケカク」
「オッサン……って、兄貴にオサナ!? うわ、みんなで来たのかよ」
「マケカク、俺は――」
必死に自分の思いを告げようとしたカチカクの言葉を、マケカクが手で制する。その意を汲んでカチカクもまた口をつぐむと、そっとマケカクの隣に腰を下ろした。
「俺さ……オサナのこと結構ガキの頃から好きだったんだ。でもだからこそわかってた。オサナが好きなのは兄貴なんだろうなって。俺を見る時と兄貴を見る時で、全然目つきとか違ったしな。
だから、俺は兄貴に勝ちたかった。兄貴に勝てるくらい凄い漢になれたら、きっとオサナも俺を好きになってくれる。だからそうしたらオサナに告白しようって、ずっと決めてた……そう決めて、逃げてたんだよ」
「……………………」
カチカクは何も言わない。ただじっと弟の隣でその言葉を聞いている。
オサナも何も言わない。二人の背後に立ち、幼なじみの思いの丈を真剣に聞き続ける。
「つまんねー意地なんか張らないでもっと早くに告白してれば、違う結果もあったのかも知れねーけど……でも実際には、いつの間にか兄貴とオサナは付き合い始めてた。もう二年……いや、二年半くらいか?」
「気づいてたのか!?」
「そりゃ気づくさ。兄貴は勿論オサナだって、生まれたときから一緒だったようなもんだぜ? 兄貴達は気を遣ってくれてたみたいだけど、わかるに決まってるだろ。
まあ、兄貴の部屋からオサナの……あれだ。ああいうときの声が聞こえた時は、マジで死にたくなったけどな」
「それは……何か、ごめんな」
「うぅ、今すぐ帰りたい……」
本気で申し訳なさそうな顔をするカチカクと、真っ赤な顔を両手で覆うオサナ。そんな二人をそのままに、マケカクはからからと笑う。
「はは。まあだから、あれだよ。確かに『何で俺じゃないんだ』って変な逆恨みをした時期とかもあったけど、今は別にそんなのはねーんだ。ただ、俺が前に進むにはどうしてもこの気持ちにケリをつけなきゃ駄目だった。
だからこそ俺は『町一番の海漢』に拘ったんだ。兄貴に勝って、堂々と胸を張れる自分になって、そうしたらオサナに告白して……それで振られたらスッキリできるかなって」
「……? じゃあ、なんでさっきは逃げたの? まさにその通りになったわけじゃない?」
オサナのもっともな疑問に、マケカクは苦笑しながら頭を掻く。
「いや、そうなんだけどよ。結婚するって話を聞かされる覚悟はしてたけど、まさか子供ができたなんて言われるとは思わなくってさ……自分でもよくわかんねーけど、気づいたら走り出しちまってたんだよ。で、そうなるとすぐ戻るってのも何か決まりが悪いっていうか……」
「なにそれ。マケカクっぽいけど」
「そうか。そりゃそうだよなぁ。俺だっていきなり聞かされてビビったもんな」
「え、兄貴も知らなかったのか!?」
「ああ。だからあの場で一番驚いたのは、絶対俺だと思うぞ」
「うわぁ……流石オサナだぜ」
「何が流石なのよ! マケカクのくせに!」
「ぐぁぁ! 痛い! 痛いから! やめろこの馬鹿女!」
オサナの小さな拳がマケカクのこめかみをグリグリと刺激し、たまらずマケカクが悲鳴をあげる。
「誰が馬鹿よ! お姉ちゃんに向かって!」
「だからなんでオサナが……いや、そうか。本当に姉ちゃんになるのか。うわぁ、それは何か複雑だな」
笑いながら、マケカクが立ち上がる。続くようにカチカクもまた立ち上がり、二人と一人の若者が正面から向かい合う。
「ふぅ。じゃ、もう一回仕切り直しだ。オサナ、俺はお前の事が好きだ」
「ありがとうマケカク。その気持ちにはちゃんと気づいてた。けど、もしもあの時……なんて話は絶対にしないわ。私が好きなのはカチカクさんよ」
「ああ、知ってる。間に合ってよかったぜ。まさか『姉ちゃん』に告白なんてできないからな」
「ふふ、そりゃそうよね」
肩をすくめて見せるマケカクに、オサナが思わず笑みをこぼす。だからこそ二人の結婚前にと勝利を渇望し、そして遂に『町一番の海漢』の称号を勝ち取ったマケカク。
最高に格好いい幼馴染みの男の子に、オサナは少しだけ寂しげに笑う。そんな自分の恋人の顔に嫉妬心をかき立てられて、優秀な兄が彼女を隠すように一歩前に出て言う。
「俺もだマケカク。お前がどんなにオサナのことを好きだったとしても関係ない。俺はオサナを愛している。お前には渡さないし……必ず俺が幸せにしてみせる」
「兄貴……ああ、兄貴ならできるさ。だから兄貴、オサナ。結婚おめでとう」
「ありがとう。マケカク」
「ありがと。マケカク」
敗北を勝ち取った漢の祝福に、寄り添う二人が感謝を告げる。そのまま三人で肩を抱き合い……その日、彼らは新たな『家族』となった。