父、着替える
「漢たるものぉぉ、我慢強くなければならないぃぃぃぃ!!!」
「「「ワァァァァァァァァ」」」
やたら気合いの入ったアナリスの言葉に、会場が沸く。全参加者が『腕比べ』を終えたことで、祭りは二つ目の競技へと移り変わろうとしていた。
「海の漢には理不尽がつきもの! 荒れる天候、いない魚、無理して突っ込むのは勇気じゃない! 漢には忍耐が必要だぁ! ということで、第二競技『漢の我慢比べ』を開始しまーす!」
「はい。『漢の我慢比べ』ですが、こちらは単純明快、服を脱いで冬の海に入ってもらいます。と言っても勿論全裸というわけにはいきませんから、こちらで薄衣を用意してあります。そちらに着替えてもらう感じですね」
「はいはーい! しつもーん!」
と、そこで会場側から声があがる。元気よく手を上げているのは、露出戦士のマチョリカだ。
「あたしみたいな格好の場合、そのまま海に入ったら駄目? わざわざ鎧を脱いで薄衣に着替えるとか面倒なんだけど」
「あー、そうですね。重い上に金属鎧となるとむしろ不利になりそうな感じですが、その辺は構わないので?」
「いいよー!」
「なら問題ありません。まあこれもそんな厳密な規定とかはないので、気になる場合は現場の係員に聞いていただければと思います」
「やったー!」
トリセツの言葉に、マチョリカが嬉しそうに声をあげる。実際常連の男性参加者は薄衣など羽織ること無く下着一枚で海に入る者も多いので、漁師が仕事着で使うような水生魔物の皮でも着込まない限りはそううるさく言われることはない。
「はい、ではトリセツさんが奥さんに怒られるやりとりも終わったところで、『漢の我慢比べ』、早速始めていきましょー!」
「ええっ!? 何故!?」
トリセツのやや薄まってきた頭髪がふわりと海風に靡くなか、こうして第二競技『漢の我慢比べ』が幕を開けた。
「それでは皆さん、着替えはこちらでお願いします。脱いだものは職員が預かりますので、預かり証は無くさないようにお願いします」
「むぅ……」
参加者達が一斉に着替えを始めるなか、ニックはその一画にて唸り声をあげる。
「お、どうしたオッサン?」
「む? ああ、マケカクか。いや、儂に合う大きさの薄衣が無くてな」
「あー……」
ニックの言葉に、やってきたマケカクが納得の声を出す。薄衣は大小いくつかの大きさが用意されており、一番大きなものならば一八〇センチほどの成人男性でもブカブカになるほどの大きさであったが、それでもニックの巨体が纏うには至らなかった。無理に袖を通せばピチピチどころか間違いなく破れることだろう。
「ならおっちゃんもそのまま入れば……ってそれは流石に無理か」
「マチョリカか。無理とは言わぬが、他の者達との差が大きすぎるのはあまり好ましくないからな」
続けてやってきたマチョリカに、ニックは苦笑しながらそう答える。ニックの着ている鎧は当然の如く猛烈に重く、普通の人間がこんなものを着て海に入れば瞬きするまもなく水底まで沈んでいく。
勿論ニックであればそんなもの一切気にせず水に浮くこともできるが、周りが裸に近い状況でニックだけ全身金属鎧というのはあまりにも異質すぎる。
「ならオッサンも俺みたいに下着だけになればいいじゃねーか。オッサンならそのくらい余裕だろ?」
「そうなのだが……いや、そうか。そうしよう」
ニックが悩んでいたのは、別に裸がどうということではなく「オーゼンをどうするか」だった。薄衣ならば適当に身につけておけるが、流石に下着の中にオーゼンを突っ込むのは気が引ける。であればどうするか……答えはひとつしかない。
心を決めたニックが着替えのための天幕に入り、出てきた時には……その股間に黄金の獅子頭が燦然と輝いていた。
「うっわぁ、おっちゃん凄いね」
「くっ、ま、負けた……」
「はっはっは。さあ、海に行くぞ!」
目を丸くして驚いたマチョリカに、何故かがっくりと膝をつくマケカク。そんな二人を先導するようにニックは海へと歩いて行く。
「……どうしたオーゼン? 今日は随分と静かだな?」
『フッ。我は貴様と違ってきちんと学習しているのだ。この流れとて我にとっては想定済みの事態に過ぎん。ふふ、ふふふふふ……』
「そ、そうか。ならばいいのだが」
若干うわの空なオーゼンの声に、ニックは少しだけ申し訳ない気持ちになる。だが実際問題として見ず知らずの他人にオーゼンの入った鞄を預けるのは避けたかったのだからどうしようもない。
(ぐぅぅ、何故だ? 何故我はこんな気持ちになっているのだ……!?)
なお、オーゼンがうわの空だったのはしばらく「王能百式」が封じられていたこともあり、ニックの股間に宿るのが少しだけ落ち着く気分になってしまった自分への疑念であることはニックにとって知る由のないことである。
「待てよオッサン! 先に海に入るのはこの俺だ! うほぉぉぉぉぉぉぉ!」
そんなニックを走って追い越し、マケカクが先に海に飛び込む。大きな水しぶきと共に観客から拍手が起こり、同時に先に海に入っていた者達からの歓迎の言葉もかかる。
「遅かったじゃねーかマケカク! 今年は俺の方が早かったな!」
「抜かせ! その分の俺の方があがるのが遅けりゃ問題ねーんだよ!」
最後まで残ることこそが一番『漢』として評価されるなか、号令をかけて一斉に海に入るとかではないので、一見すれば先に入っている方が不利だ。だがそれをきっちり理解し、それでもなお先陣を切るからこそ『漢』。先を越された形になった顔見知りに、マケカクは強気な態度で言い返す。
(そうとも。力じゃ勝てなかったが、根性なら……心ならあのオッサンにだって負けねぇ!)
「冷たっ!? ちょっ、これ予想より大分冷たい!」
「おお、これはなかなかに冷えるな」
そんなマケカクに僅かに遅れて、マチョリカとニックも海へと入っていく。浅瀬の方はあまり長く耐える気のない人達の場所なので、当然マケカクのいる沖の方まで移動すると、奇しくも三人が同じ場所に集まった。
「来たか二人とも。頑張るのはいいけど、無理すんなよ? 特にマチョリカ。女はあんまり体を冷やさない方がいいって聞くぜ?」
「へぇ、心配してくれるの? でもだいじょーぶ! あたしの女子力はこの程度の寒さじゃ萎えないんだから!」
「……女子力?」
自然な笑顔で言うマチョリカにマケカクは若干首を傾げる。だが無理をして強がっているようにも見えないので、マケカクは次いでニックの方にも顔を向ける。
「オッサンもだぜ? その年で腰を冷やしたら大変なことになるんじゃねぇか? もう何年も前だけど、友達んとこの爺様がそれで偉い目にあったって言うぜ?」
「はっは。確かに体が冷えると血の巡りが悪くなるからな。とは言えこの程度なら問題あるまい。サム・イーネンに比べれば大したことはないからな」
「サム・イーネン?」
「ああ、この辺だと知られておらぬのか。もっと西の方にある冬山でな。こう、ハーッと吐く息が即座に凍り付くと言えばわかるか? そんな場所だ」
「そんなところがあるのか!?」
ニックの言葉に、マケカクは驚きの声をあげる。この町とその周辺しか知らないマケカクにとっては息も凍る山など酔っ払いの与太話くらいにしか思えないが、あれだけの岩を持ち上げられた人物が今更自分を大きく見せるホラを吹くとは思えない。
「世界ってのは広いんだなぁ」
「そうだよ、世界は広いの! だからきっと、何処かにはあたしの理想の旦那様もいるはず!」
「ははは……」
元気にそう言ってみせるマチョリカに、マケカクは乾いた笑いを返しながらこっそりと水中で拳を握る。この短時間で自分が如何に小さい存在なのかを思い知らされ続けて、その顔が一瞬悔しさで歪む。
「……………………」
そんな若者特有の葛藤を、ニックは親の目線で温かく見守っていた。