帝国、動き出す
「そうか。援軍を出してくれたのはザッコス帝国だけか……」
魔族領域と国境を接する小国のひとつ、ギリギリス王国。その小さな城の玉座にて、国王ワリト・ギリギリスは部下からの報告に小さなため息をついた。
魔族領域に接しているギリギリスは、常に魔族領域から溢れてくる魔物の脅威に晒されている。そのため軍のおおよそ半分は常に魔族領域の側で警戒に当たっており、今もこの国を、ひいては基人族の生存権を守るために兵士達は日夜戦いに明け暮れている。
だが、ここ数年は軍の維持が厳しくなってきている。魔王の台頭による魔族の活動の活性化と、それに合わせるように魔物の襲来も増え、元々ギリギリだったこの国の防衛能力は、遂に限界を迎えようとしていた。
故にワリト王は周囲の国々に援軍を求めた。仮に友好国であろうとも他国の軍を自国の国内に招き入れるなどどう考えても下策だが、背に腹は代えられない。負ければ全てを失うのだからと、恥を忍び覚悟をもって、ワリト王は各国に親書を持たせた使者を送る。
だがそうまでして送った親書の返答は、どれもこれも芳しくないものばかりだった。
「隣国のガケプチーノやセトギワナはわかる。かの国もまた我が国と同じく国境を魔族領域に接しており、軍備に余裕がないのはわかっているからな。
だが、内地の国々が全く答えてくれないとはどういうことなのだ?」
「おそらく、自覚がないのでしょうな。人は窓越しの惨劇には恐れを抱かないと申しますし」
ワリトの漏らした呟きに、側に控える大臣が苦々しい表情で答える。
「愚かなことだ。我が国が敗れれば、一気に魔物が内地へとなだれ込むのだぞ? その時になってから慌てて対処したとしても遅いのだ。五〇〇でも一〇〇〇でもいい。それぞれの国が少しずつでも兵を出してくれれば、十分に守り切れるというのに……」
「それもまたかの国々が軍を出さない理由でありましょう。結局はどこも『仮想敵国』でありますからな。手の内を明かしたくないと思うのも無理からぬことかと」
「本当に……本当に人は愚かだ。正直者が損をして、他者を出し抜く欲深い者ばかりが得をするようになっている。何故こんな仕組みになってしまったのだ? 力でまとまる獣人や、誇りでまとまる精人達が羨ましい」
「陛下……」
「長く続いたギリギリスの国も、余の代で終わりかも知れんな。せめて国民を受け入れてくれる先があればいいが……それも難しかろう」
人は何よりの財産であると同時に、足手纏いの大飯ぐらい、そして潜在的な敵にすらなりうる。かなりの額を積まなければ国一つ分の難民など受け入れてくれる先はなく、そしてそんな金があるならそもそもこんなことにはなっていない。
「それでも、帝国は兵を出してくれたではありませんか? ならば……」
「僅か一〇〇の兵でなんとする? 確かに兵を出してくれたことはありがたい。だがその数では『自分たちは助けようとした』という大義名分を得るためだけのものにしか思えん。こんなことを言うべきではないのかも知れんが、いつもの帝国の『見栄っ張り』にしか余には思えんよ」
「しかし、帝国の宰相殿によれば、少数なれど極めて強力な武装をした兵だと」
「あの妙にゴツゴツした鎧がか? そうだな。そうであればよいな……」
謁見の間に挨拶に来た部隊長の姿を思いだし、ワリト王は遠い目をして息を吐く。今までの鎧とは見た目からして違うそれは、武人ではないワリトからすると単に動きづらいだけにしか見えなかった。
「『ぼうけんのしょ』によれば、勇者殿は着実に成長しておられる様子だが、それでもまだ魔王の討伐には時間がかかるであろう。そも一〇代の娘に世界の命運を任せることこそ恥なのだが……ああ、平和は遠いな」
うなだれた拍子にずり落ちそうになった王冠を手で押さえ、ワリト王はすっかり細くしわがれた手をギュッと握り、己の無力を噛みしめていた。
「将軍、あいつら本当に役に立つんですかね?」
「さあなぁ。随分やる気はあるみたいだから、単なる捨て駒部隊ってわけじゃなさそうだが」
ギリギリス王国、国境付近の砦。やっと現れた援軍の奇妙な出で立ちとその少なさに、兵士達の間では様々な噂や憶測が飛び交っていた。
「ま、どっちだかはすぐにわかるだろ。このところ一日も休まず魔物が押し寄せてきてるからな。一体どれだけ増えてるんだか……」
「あー、俺も繁殖してぇなぁ! 綺麗なねーちゃんをずらっと並べてさぁ!」
「素っ裸のメスゴブリンならあの森にいくらでもいるぞ? 突っ込むなら止めないが?」
「ちょっ、勘弁してくださいよ将軍。どっちの意味でも御免です」
いくらゴブリンが単体では弱い魔物だろうと、数百数千といる中に突っ込んで生きて帰ってこられるのは一握りの英雄だけだ。そしてメスのゴブリンになど、突っ込もうにも反応しない。あのすえた体臭に発情できるのは、同じゴブリンかもしくは「穴さえあれば何にでも発情する」というオークくらいのものだろう。
「魔物の集団を確認! ゴブリン、ウルフ、あとは……オーガ!?」
と、その時。ボロボロの砦の見張り台から大声が飛んでくる。同時に警鐘が激しく打ち鳴らされ、砦の中がにわかに騒がしくなる。
「数は!?」
「ゴブリン一〇〇〇、ウルフ八〇〇、それにオーガが五〇です!」
「何だその数は!? くそっ、奴ら勝負を決めに来たのか!?」
現在砦に駐留している部隊はおおよそ二〇〇〇。ただし連日の小競り合いで負傷者の数も多く、まともに戦えるのはその半分もいない。これだけの数で攻められては、如何に防御に徹するにしても勝ちの目はかなり厳しい。
「とにかくまずは矢で削れ! ありったけ――」
「その必要はありません」
砦を守る将軍の言葉を、奇妙な鎧を着た男が遮る。ザッコス帝国から派遣されてきた一〇〇人の兵士達、それを束ねる隊長だと自己紹介を受けた男だ。
「ここは我らにお任せを。全員、出撃!」
「「「ハッ!」」」
「ちょっ、おい!? くそっ、射撃は中止だ! 急げ!」
将軍の返答を待つことなく、ザッコス帝国軍が一斉に砦から打って出る。友軍を誤射するわけにはいかないとすぐに攻撃中止を命じる将軍だったが、その表情は苦いを通り越し怒りすら感じられる。
「こっちから先制攻撃できる機会を潰しやがって! これでろくでもない戦果だったらただじゃおかない……………………っ!?」
悪態をつく将軍の目の前で、帝国兵達が剣を掲げて何かを唱える。するとその武具に青白い光が宿り、一〇〇の兵士達がまるで彗星のように戦場に散っていく。
「なんだあの動き!?」
「すげぇ、魔物共が鎧袖一触じゃねーか!」
「これが帝国の新兵器……」
ギリギリス王国の兵達が絶句するなか、帝国兵達はあっという間に魔物の軍勢を平らげていく。どう見ても動きづらそうだった鎧は青い光を尾に引きながら風のような速さで戦場を駆け、青く輝く刀身は分厚いオーガの皮膚すら易々と切り裂き……
「総員、私に力を集中しろ!」
「「「ハッ!」」」
隊長の男が剣を掲げてそう叫ぶと、周囲にいた帝国兵達が隊長に向かって自らの剣の切っ先を向ける。するとそこから青い光が伸び、隊長の男の剣に向かって収束していく。
「魔力反転! 切り裂け、反魔剣!」
剣に集った光が血のような赤に変わった瞬間、隊長の男が横薙ぎに剣を振るう。するとまるで空が裂けたかのように、残っていた全ての魔物が腰の辺りで両断された。
「動作に問題なし。宰相様によい報告ができそうだな……総員、帰還する!」
「「「ハッ!」」」
全ての魔物を物言わぬ肉塊に変えたことで、帝国兵達が砦へと戻ってくる。その圧倒的な活躍に砦中の王国兵達が沸き立つなか、ただ一人将軍だけは薄ら寒い予感に背筋を震わせるのだった。
「こりゃあ……世界が変わるぜ……?」