父、打ち砕く
「オス……え、何ですか今の!?」
『メッセージが一件:再生します』
初めて聞く単語に戸惑うピースを一切考慮することなく、無機質な声はそのまま何かを再生し始める。ピースの頭に浮かんだのは、思い出に沈んだ「あの日」の続き。
――「恋する乙女が無限のパワーを発揮するのはお約束だろ?」――
ビシッと親指を立てて言うのは、ヨレヨレの白衣を羽織った年若い人間の男。ニヤリと笑うさえない笑顔は、全てのピースの愛の原点。
「……ありがとうございます。やっぱりお父様は最高ですわ!」
ピースから吸い出される黄金の血液が、それを境に七色に輝き始める。体中に力が漲り、今なら空すら飛べる気がする。
「さあ、一気に片付けてしまいますわ!」
『Emotional Energyの急激な増加を確認。万能触媒の変換効率 九二三パーセントに増加。都市防衛機構MOLJOBA 稼働率一〇〇パーセント』
「いっけぇぇぇぇぇぇ!!!」
「これがピースの言っていた魔法とやらか? 何とも凄いな」
『信じられんほどの魔力が渦巻いているな。一体どこからこれだけの力を引き出しているのであろうか?』
町に飛び出したニック達は、その辺に跋扈する変質者のうち、怪我をしそうな者や町を飛び出しそうな者だけを選び、抱え上げては近くの詰め所に運ぶという作業を繰り返していた。それは地味ではあっても確実に効果をあげ、町中の騒ぎは少しずつ沈静化していく。
が、そこで現れたのが町全体を覆う水だ。最初は誰もが戸惑ったものの、その水は冷たくもなければ感触すらなく、見えるだけで何の実害があるわけでもない。
やがて水が渦巻き始め、自分が押し流される錯覚で尻餅をつく者が続出したが、それもまた一時のこと。幻の水が人や物の中を通り過ぎる度に少しずつ黒く濁り、代わりに水が通り過ぎた人はすっきりとした気分になったことで、これは聖女の浄化の奇蹟ではないかという話が誰の口からともなく出て、その噂はすぐに広まっていく。
「……はっ!? 俺は一体……!?」
「えっ、何で私裸なの!? キャァァァァ!?」
「うぅ、お尻痛い……何でこんな真っ赤になってるの……?」
それに伴い、さっきまで奇行に走っていた者達も徐々に正気を取り戻していく。慌てて周囲から布をひったくる者、そのまま泣き崩れてしまう者、呆然と天を仰ぐ者など、その反応は様々だ。
『おお、どうやら魔法が終わるようだぞ』
オーゼンの指摘にニックが顔をあげれば、渦巻く水が町の中心へと集まっていくのが見える。まるで竜巻のようになった水流の中央には全ての汚染が凝縮したかのような黒い球が浮かんでおり……地の底へと吸い込まれるように消えていた水の流れが、不意に止まる。
「む? 何だ?」
『止まった……いや、詰まったと言うべきか?』
「くぅぅ、固い……っ!」
七色の光に満たされた小部屋で、ピースは必死に踏ん張る。だがチャラケッタの抱いた人数があまりに多すぎたせいか、集まった汚れを大地の底に排出する最後のところが上手くいかない。
「何故ですの!? 力自体はまだ少し余裕がありますのに……っ!」
『推論:浄化対象の半分に万能触媒が含まれていたため、浄化の力に反応して汚れそのものも増幅、凝固してしまったと思われる』
「そんな!? ではどうすれば?」
『検討中…………解決策を提示します』
ピースの眼前、明滅する壁の上にいくつもの「解決策」が提示される。だがそのどれもが時間、あるいは消費する万能触媒の量から現実的な案とは呼べない。
「ここまできて、どうしたら……っ!?」
『完全に動きが止まってしまったな』
「ふーむ。これで終わりという感じではなさそうだが……やはりあの黒い球が悪いのではないか?」
空で渦巻くだけで一向に減らなくなった幻の水と、さっきから微動だにしない黒い球を前にニックが呟く。
『その可能性は高いが……我らにはどうしようもあるまい。あれほど高度な魔法を行使しているとなると、我であっても迂闊には割り込めんぞ?』
「うぅーむ……詰まっているなら、殴って壊すのでは駄目か?」
『それは……普通の人間が口にしたなら「馬鹿なことを言うな」と一蹴するところだが、貴様だからな。術を行使中の聖女殿に話を聞くわけにもいかんし、やるというなら止めはせんが』
「うむ。ではやってみるか!」
思い立ったら即実行。ニックは大地を蹴って空高くへと飛び上がると、目の前にある直径一メートルほどの黒い球を殴りつける。だが当然そこには何の手応えもなく、虚しく拳に空を切らせたニックはそのまま地面へと着地した。
「ぬぅ、すり抜けたな」
『まあ当然であろう。要は呪いを殴りつけると言っているようなものだからな。如何に貴様でも――』
「呪い……そうか!」
オーゼンのその言葉に、ニックは再び大地にて拳を握る。
『待て、何をするつもりだ?』
「フフッ、忘れたかオーゼン? 儂の拳は……世界を砕く! ウォォォォォォォォ!!!」
先ほどの数倍の力でニックが大地を蹴ると、目前に迫った黒い球に向けその腕を極限まで引き絞る。
「人を惑わす元凶よ! 儂の拳で……砕け散れぇ!!!」
バリンという音を立てて、拳の先で世界が割れる。理すらも打ち砕く最強無敵の拳の前に、黒い球もまた跡形も無く砕け散った。
『驚愕:絶句』
「凄い! 流石ニック様ですわ! っと、驚いている場合ではありません。すぐにオトヒメで破片を回収! 最後の術を行使します!」
『了解:領域浄化用幻水魔法 再起動……全汚染片の回収完了』
「では、これで終わりです! ビッグ・ベイン、起動!」
『了解:大浄脈 起動します』
「おぉぉぉぉ! やったぞオーゼン!」
『ああ、やったな……うむ、本当にやってしまったな』
黒い球が砕け散ってまもなく、再び渦を巻き始めた水流が町の中をひと撫ですると、それが再び竜巻のようになって地面へと吸い込まれ始める。その流れは今度は止まることなく、程なくして最後の幻水が地面へと吸い込まれ――
「聖女様の勝利だ!」
「モルジョバの町は救われた!」
「聖女様万歳!」
人々の歓声が町中に響き渡る。突然奇行に走り出した者達が全員正気に戻ったことから、聖女が町を救ってくれたという噂を信じぬ者など誰もいない。
「ふむ、どうやら本当に終わったようだな。では儂等もピースの元に戻るか」
『そうだな。情報を確認するためにも聖女殿の話は聞くべきだろう』
言ってニックは踵を返す。道行く全ての人々が聖女の名を口にするなか教会前まで辿り着いたが、そこには大量の人が押し寄せておりとても入れる様子ではない。
「ここは無理だな。上から戻るか」
『上……まあ貴様だからな。今更言うまい』
諦めた口調のオーゼンをそのままに、ニックは軽く地を蹴って跳び、出て行った時と同じ窓からピースのいた部屋へと飛び込む。するとそこには丁度奥の部屋から出て来たピースの姿があり、ニックの姿を見つけたピースがニックに向かって思い切り飛びついてきた。
「ニック様!」
「おっと」
「ニック様! 私やりましたわ! 町のため、人々のため、そして何よりニック様との逢い引きのため! 聖女ピース・ゴールディが見事やり遂げてみせましたわ!」
「ああ、そうだな。実に見事だった。流石はピースだ」
これでもかとニックにその身をすり寄せるピースを、今日ばかりはニックも受け入れるどころか手放しで褒め立てる。
「フフッ、もっともっと褒めてくださいませ! そして何より……約束は覚えていらっしゃいますよね?」
「むぅ!? 勿論覚えてはいるが……」
じっと自分の顔を見つめるピースの視線に、ニックは思わず苦笑する。
「はは、そんな顔せずともきちんと守るとも。後で予定を伝えてくれ」
「やりましたわ! 遂に、遂にニック様と逢い引き! ウフフ、何を着ていこうかしら……」
無邪気に喜ぶピースを前に、ニックは微妙な思いで小さく息を吐く。とにもかくにも聖女と筋肉親父の活躍によって、こうして聖都を襲った未曾有の変質者大量発生事件は幕を下ろした――
「……ウェーイ? あれ? 俺ちゃん何やって……ウェイ!?」
「ああっ!? 遂に、遂に正気に戻られたのですか王子!」
チャラケッタが目を覚ますと、そこは飾り気の無い殺風景な小部屋だった。地下と思われる石造りの部屋には妙にすえた匂いが蔓延しており、チャラケッタの腰にはテシタスが泣きながら縋り付いている。
「正気? 俺ちゃんはいつだって正気で本気……って、うぉぉ!? おいテシタス、何でこいつら尻に棒を突っ込んで倒れるわけ!?」
「色々あったんです。色々と……」
「ウェーイ……」
死んだ魚のような目をするテシタスに、チャラケッタはそれ以上何も聞くことができない。
「帰りましょう王子。イッケメーンに戻って、自国の美女を堪能しましょう。でないと自分はもう立ち直れません……」
「テシタス……ウェイウェイ。じゃ、まあ帰るか。何か尻が痛いし」
「王子……」
チャラケッタとテシタス。妙に内股気味の美男子二人組は、そうして静かにモルジョバの町を後にするのだった。