聖女、思い出す
「お久しぶりです……と言うべきでしょうか? 神よ」
『否定:情報の同期は正常に行われており、リアルタイム通信も安定して稼働中』
茶目っ気で「神」と称することにした本体から、冷静な突っ込みが返ってくる。その無個性かつ無機質な感じが初期の頃の自分を見ているようで、ピースの胸になんとなく懐かしいという思いがよぎる。
「そうですわね。とは言え代替わり以外で本体を起動するなんて千数百年ぶりですし、代替わりだって二二年前。ならやはりお久しぶりと言うべきでは?」
『……肯定』
僅かな沈黙の後、その言葉が返ってくる。情報処理や思考速度の問題のはずなのにそのタイミングがまるでふてくされているかのようで、ピースは思わず小さく笑ってしまった。
「フフッ」
『疑問:失笑の理由』
「大した理由ではありませんわ。どうしても知りたいと言うのなら、代替わりまでお待ちください。私が私である限り、この想いは私だけのものですわ」
『肯定』
「さ、ではいつまでも遊んではいられませんわ。まずは町中で暴走している人達の数を正確に把握することから始めましょう。私達の大事な町を聖都ではなく性都にしないために!」
『失笑』
「ぐっ……と、とにかく始めますわ!」
思いついたことをそのまま口にしてしまった自分の迂闊を呪いつつ、ピースは目的のためにしばし自らの意思を本体と同期させていく。その結果彼女にもたらされたのは、遙か昔に置いてきた、何よりも大切な『思い出』の再生だった。
「うぉぉ、やっと見つけたぜ! これが制御端末か……でもなんで人型? って、言うまでもねぇ! 浪漫だ! 浪漫だよなオイ! あー、なに、慰安用? あーそう。まあソウダヨネ……」
「これ動いてるのか? くそっ、燃料があれば……あーあー、聞こえるか? 聞こえたら右手をあげて……あ、無理? なら瞬きとかでも……」
「登録名称はこれか。ピース・ゴールディ……万能触媒で動いてる端末、欠片ってことか? うわ、センスねぇな。俺ならもっとイカす名前をつけるんだが……いっそ変えちゃうか? どうせ俺が直すんだし。って、プロテクトかかってるやーん! まあ普通そうだろうけどさ」
「お、この施設の名前も変えられるじゃーん! なら……そうだな。俺の浪漫がジョバっと漏れるってことで、モルジョバとかどう? モ・ル・ジョ・バ……っと」
『エラー:卑猥な単語が含まれています』
「何だよ卑猥って! 卑猥って言う奴が卑猥なんですー! くっそ、絶対これで登録してやるからな! 見よ、我が英知『ミエール・ゴーグル』! こいつでお前を丸裸にしてやるぜぇ!」
『エラー:対象の存在が卑猥です』
「誰が卑猥だゴラァ!」
「フッフッフ、やってやったぜ。なるほどこうやって回避すりゃいいのか。これならこのピースちゃんとやらの名前もいけるか……?」
「あー、すまん。どうやらお嬢さんの名前は変えたら駄目らしい。まあ登録してある管理者の名前と違う名前になったらそりゃ駄目だよな。
だからまあ、その埋め合わせってわけじゃないが、同じ名前をもう一つ登録しておいてやる。町の名前とセットの奴だ。大事にしてくれよな」
「……………………」
ふと、ピースが目を覚ます。戻った思考で確認すれば、目の前の壁に『検索終了』の文字と共に町の地図が表示され、その上には奇行に走る人々が光点にて示されている。
「はぁ……何度体験しても、これには慣れませんわ」
涙で濡れた頬を指先で拭いつつ、ピースはそっとそう呟く。それは新たなピース・ゴールディの最初の記憶であり、初代の彼女の大切な思い出。代替わりすれば別人となる彼女達が、唯一どうやっても引き継いでしまう魂の根幹。
「まあ、それはそれとして……対象者は四九二人!? 二次感染があるとはいえ、一週間でこれほどとは……チャラケッタ様は随分と勤勉な農夫でいらっしゃること」
皮肉を込めてピースが呟く。彼女の実体験の伴わない性知識では、何をどうすればこれほどの人数に感染を広げられるのか想像もつかない。
もっとも、この数は実は対象者全ての感染源がチャラケッタというわけではなく、謎のヤバい水を知らずに服用している幾人かの人物によって広げられた感染者の総数ではあったのだが、それは聖女の知るところではない。
「とは言え、町の中で収まっているのは僥倖ですわ。それに今の段階で見つけられたことにも。もしこの力の存在に気づかずに過ごしていたら……」
今回はチャラケッタがピースの聖水を飲み干すという行為で発覚したが、種の力の発動条件は闇と光の力の均衡を崩すこと。つまり本来なら闇の方をきっかけとするはずであり、もしこれが気づかないうちに世界中に広がっていて、大きな戦争の最中などに発動させられたら。
「何万? それとも何十万でしょうか? そんな被害が出る前に気づけたのですから、やはりチャラケッタ様には感謝してもいいかも知れませんね。
っと、対象の確認は終わりました。ではそろそろ始めましょうか。神よ!」
『要請確認:MOLJOBA 防衛モードに移行します』
「いきますわよ! オトヒメ、起動!」
『了解:領域浄化用幻水魔法 起動します』
ピースの声に従い、町中に大量の水が湧き上がる。そのまま全てを押し流すように渦巻き始める水流に町中の人々に混乱が生じたが、誰かが聖女の名を口にしたことでそれもすぐに収まる。
その水は幻。人も建物も何もかもを通り抜け、そこには冷たい感触も押し出す圧力も何も無い。
だが、その水は本物。人、物、場所、そこに在る全ての汚れを巻き込み、ただそれだけを己に捕らえて町の外から内に向かってグルグルと回りながら汚れをこそぎ落としていく。
「ぐぅぅ、やっぱりキツいですわね……」
文字通り憑き物が落ちた顔で呆ける人々を余所に、ピースは一人密室で唸る。大規模な魔法を発動したせいで、彼女の命そのものである万能触媒が大量に消費されていくからだ。
「これはちょっと、厳しいかしら……」
どんどん感覚の無くなっていく手足に、ピースは思わず弱音を吐く。歴代のピースの平均寿命は六〇年ほどだが、これは万能触媒を消費しない……聖女の必要ない時代に生きたピースがおおよそ八〇年ほど生きるのに対し、聖女の力を存分に振るったピースは三〇歳程度でその寿命を迎えているからだ。
そして、今ここにいるピース・ゴールディは今年で二二歳。勇者と同じ時代に生まれ、聖女として聖水を……己の血液たる万能触媒を定期的に消費しているせいで、今のペースでは彼女の余命はもう一〇年ほどだった。最低限の回復が終わったことを「神の啓示」という名の通知機能によって自覚させ、いつでも限界ギリギリまで搾り取っていたのだからそれも当然の結果だ。
そして、そんな状態からの今の万能触媒の大量消費。実感として削られていく己の寿命を感じながら、それでもピースは魔法の発動を止めない。
「人を癒やし、救うのがピース・ゴールディの存在意義。でも私が頑張れるのは、そんなもののためではありません。生まれ育ったこの町が好きだから……ここに生きる人達が、みんな私の大切な家族だから……っ」
あの日あの人に貰った、大事な大事な魂の欠片。長い永い時の中、幾百、幾千ものピースを愛し、育ててくれた人々がそれを真なる魂へと磨き上げてくれた。
だからピースは人を愛する。人のように赤子で産まれ、人の姿で生活し、人に交じって成長し、人の如く老いて死ぬ。全ての記憶は本体に保存されるけれど、今感じるこの気持ちは今を生きる自分だけのもの。
――「『心』の実装は俺には無理だったけど、いつかお前も恋とかできるといいな。ほら、そういうのって浪漫だろ?」――
「ええ、ええ! そうですとも! 貴方の願いは叶っております! だから今、もう少しだけ……私に力を貸してください! 大好きになったあの人に、逢い引きの約束を果たしてもらうために!」
震える拳に力を込めて、ピースの心が今一度奮い立つ。その瞬間彼女の頭の中に、無機質な音声が流れた。
『当該個体のEmotional Energy発生率が閾値を突破。恋する乙女の動力源を起動します』