父、告げ口をされる
やっとの思いで教会へ辿り着いたニック。そのまま聖女に面会を申し込みいつもの部屋に通されると、出迎えてくれたピースがニックの顔を見て不思議そうに首を傾げた。
「いらっしゃいませニック様。本日は随分と遅かったですが……何かあったのですか?」
「うむ。宿を出てからここに来るまでの間に、数えきれぬほどのご婦人に声をかけられてな……」
「まあ! ニック様ったら、随分とおモテになるのですね。私も是非そのお一人にお加えくださいませ」
「勘弁してくれ。まったく、まさかこんな手に出られるとはな」
楽しげに手を上げるピースを見て、ニックは苦笑しながら近くの椅子に腰掛ける。すすめられる前に座り込むのは無作法ではあるが、流石のニックも今日ばかりは気疲れしていた。
『貴様に対する嫌がらせというなら、これ以上無い効果であったな。昨日の今日でそれを調べ上げて実行したというのなら、我としてもあの王子の評価を改めねばならん』
「王子……チャラケッタ様ですか? あの、ニック様? 本当に何が……?」
「あー、実はな……」
問うピースに、ニックが語る。当然ニックは路地裏に身を隠していたチャラケッタ達の気配に気づいていた。なので最初はごろつきでもけしかけてくるのだろうと一応の警戒をしていたのだが、やってきたのはまさかの女性。
しかも、その女性達にはニックに対する悪意が全く無かった。チャラケッタの方針が「油断を誘って寝首を掻く」などではなく本当に「不特定多数の女を抱かせてそれを聖女に報告する」ことだけだったため、頼まれた女性達は全員が一般人。
そうなるとニックとしても邪険に扱うわけにもいかず、結果としてその対応にはただ殴る事の何倍も神経を削られた。
「あれなら暗殺者でも送られた方がよっぽど楽であった……それなら殴れば終わるからな」
『相変わらず貴様という漢は……まあ確かに騙されたり操られたりしたわけでもない一般人の大群というのは、貴様からすれば一番やりづらい相手であろうな』
「まったくだ」
「お疲れ様でしたニック様」
大きく息を吐いたニックに、ピースがお茶を入れたカップを差し出す。それをニックが飲むのを見てから自身もまたカップにお茶を注ぎ、優しい香りのするそれをコクリと一口飲み込んでから、ピースは改めてニックに向けて頭を下げた。
「私の事情に巻き込んでしまい、申し訳ありませんでしたニック様」
「いや、これはお主のせいではあるまい。首を突っ込んだのは儂の勝手であるし、オーゼンの件でも世話になっているからな」
「ありがとうございますニック様。やはりニック様はお優しいですわ……こう言っては何ですけど、私としてはニック様に守っていただけるきっかけを作ってくれたことを、チャラケッタ様に感謝したいくらいです」
「おいおい、ピースよ……」
「フフッ、冗談ですわ……にしても、チャラケッタ様はニック様に女性をけしかけて、一体どうするおつもりだったのでしょうか?」
苦笑するニックに口に手を当て笑うピース。だがすぐに浮かんだその疑問に彼女は小首を傾げてみせる。
「ふーむ。それが儂にもわからんのだ。先ほどオーゼンはああ言ったが、実際には単に嫌がらせ目的でこんなことをしたとは思えんのだが……」
今回の騒動は、ニックとしては疲れはしたが別に嫌だったわけではない。これが連日続くなら流石に辟易するだろうが、あれだけの女性を集め続けてニックをうんざりさせるだけというのは、いくら何でも費用対効果が悪すぎる。
『実は貴様に対する懐柔策だったということは無いか? 女を差し出し抱かせることで、貴様に聖女殿から手を引かせようとした……どうだ?』
「あー、それはあるかも知れんな。まあどっちにしろ儂にそんなつもりは――」
「ウェーイ!」
ニックの言葉を遮るように、聞き覚えのあるかけ声と共に乱暴に部屋の扉が開かれる。そこから姿を現したのは、今まさに噂をしていたチャラケッタ王子その人だ。
「チャラケッタ様!?」
「ウェーイ聖女ちゃーん! 愛しの俺ちゃん、チャラケッタ王子様が今日もやってきたぜ! ウェーイ!」
「そんなことは欠片もありませんが、それで本日はどのようなご用件でしょうか? 現在来客中ですので、手短に――」
「ウェーイ! それだよそれ! その来客っていうか、そこのオッサンについて聖女ちゃんに耳寄りな情報を持ってきたのさ!」
「ニック様の情報、ですか?」
首を傾げるピースに、チャラケッタがニックを指さし得意げな顔で言い放つ。
「そうそう! そのオッサン、なんと今日だけで何十人もの女に手を出したんだぜ! 寄ってくる女の尻を撫で胸を揉み、そりゃあもうやりたい放題!」
「まあ、そうなのですかニック様!?」
「待て待て待て! 儂はそんなことしておらんぞ!? というかピースはさっきまで儂の話を聞いていたではないか!」
チャラケッタの言葉を慌てて否定するニックだったが、チャラケッタの言葉はとまらない。
「嘘言うなよオッサン! 俺ちゃんは見てたんだぜ? オッサンが幼女に手を出して抱いてた様子をな! ウェーイ!」
「あれは……まあ、確かにそう言われればそうだが……」
「ええっ!? そんな、ズルいですニック様! なら私も抱いてください!」
「おおぅ!? ま、まあ、構わんが?」
勢いよくピースに迫られ、ニックはあの少女にしたようにピースの両脇の下に手を入れ彼女の体を持ち上げた。一五〇センチほどほどのピースが二メートルを超えるニックの頭より上に持ち上げられ、その未知の視線の高さに口に手を当て驚きの声をあげる。
「うわっ、高い! いつもニック様が見ておられる世界は、こんな風なのですね」
「まあな。では降ろすぞ」
「はい。ありがとうございました」
「ウェイウェイウェーイ! 違うだろ! そういうことじゃなくて――」
「ほら王子、やっぱり無理ですって。あ、どうも皆さん初めまして。自分は王子の護衛をしております、テシタスと申します。以後お見知りおきをお願いします」
「ああ、これはどうもご丁寧に。私はピース・ゴールディと申します」
なおも騒ぐチャラケッタに、背後から鎧姿の男がやってきて声をかける。意外と丁寧な自己紹介に、ピースもまた礼儀正しく名乗り返した。
「存じておりますとも。この町にいる者で聖女様を知らぬ者などいないでしょうからね。ということで、どうです今夜?」
「えっ? 何ですか突然……お断りします」
「それは残念……さ、じゃあ帰りましょう王子。今日はもう無理ですって」
「ウェイウェイウェーイ! 待てよテシタス! 何でお前がちゃっかり聖女ちゃんに声かけてるわけ?」
「そりゃ上手くいったら儲けものですし。でも断られちゃいましたから、今日の所は退散しましょう。ね?」
「ウェーイ! あれだけの女集めて全敗しましたじゃ引き下がれねーだろ! つか何なんだよオッサン、どの女にも手を出さないとか、ひょっとして男色家なのか!?」
チャラケッタの怒りの矛先が、ニックの方へと向きを変える。自分が(正確にはテシタスもだが)用意した女を適当にあしらわれる度、チャラケッタはまるで自分が「この程度の女しか用意できないのか?」と見下されているように感じるようになっていき、その不満がここで一気に爆発したのだ。
「むぅ!? いや、儂は普通に女性が好きだが……」
「なら何で手を出さねーんだよ! 俺ちゃんなら全員まとめてパクッといっちゃってるぜ!?」
「儂とお主は違うであろう。儂は妻一人で十分なのだ」
「うっわ、最悪! ぜってー嘘だわ! 一人で満足とかモテない男の強がりだろ! 目の前で女が腰振ってたら飛びつくのが男ってもんだろウェーイ!」
「そんな男理論を語られてもなぁ」
ニックの冷めた視線に、チャラケッタはどんどん頭に血が上っていく。もはや聖女のことなど眼中に無く、ただニックをへこませたい一心で足りない頭を必死に回転させていく。
そして目に付いたのは……机の上に置かれた小瓶。ニックの来訪が予想以上に遅く、流石に無限に空き時間があるわけでもないピースがやむなく作成しておいた、今日の分の聖水だ。
「ウェーイ!」
「チャラケッタ様!? 何を!?」
不意にニックとピースの間を駆け抜けたチャラケッタがその小瓶を手に取り蓋を開け、あろうことか中身の聖水を一気飲みする。
「ウェーイ! どうよオッサン! これで今日の分の聖水は無しだぜ!」
「お、おぅ……」
得意満面な表情のチャラケッタに、ニックは微妙な顔で返事をすることしかできない。まさかそんなことをするとは思わなかったため、完全に虚を突かれた形だ。
「王子、確か今二一歳でしたよね? その年になってそれって……」
「い、いいだろ! これでこのオッサンは間違いなく一日足止めだぜ! ウェーイ!」
ニックが毎日聖水を受け取りに来ていることくらいは、たった一晩の調査でもすぐにわかった。なら今日の分を駄目にすればニックの滞在は一日延び、それだけニックをぎゃふんと言わせる機会が増える……チャラケッタの短絡的な思考はその程度のことしか考えていなかった。
そして……その誰も予期しなかった行動こそが、王子の身に不幸を招く。
「ウェイ……ウェイ…………っ」
「ちょっ、王子大丈夫ですか!? いい年してそんなことするから……王子?」
「ウェ……ウグェェェ……」
「王子!? 王子、しっかりしてください!」
チャラケッタの体から黒い煙が立ちのぼり、苦しげに呻く姿にテシタスが本気で慌てた声を出す。
「せ、聖女様! 王子が!」
「チャラケッタ様!? これは一体……!?」
目の前で起きていることが何なのか、誰にも何もわからない。全員が戸惑いただ見つめ続けるなか、チャラケッタがひときわ大きな声をあげる。
「ウェェェェェェェイ!!!」
プシュー
王子の体から勢いよく黒い煙が吹き出し、それが収まった後にいたのは……
「はぁ、何て清々しい天気なんだ。こんな日は木漏れ日の下で詩作などに耽りたいね」
「そんな、王子が……あの王子が…………綺麗な王子に!」
汚れを知らぬ少年のような笑顔を浮かべたチャラケッタの姿に、テシタスは思わずその場に膝をつくのだった。