父、常識を疑われる
「うぉぉ、イテェ! 鼻が! 俺ちゃんのサイッコーに形のいい鼻が!?」
「お主にも言い分はあるのかも知れんが、嫌がる女性を――」
鼻を押さえて痛がるチャラケッタを前に、ニックが真面目な顔で言葉を紡ぐ。だが当のチャラケッタはその言葉を一切聞くことなくひたすらに騒ぎ続ける。
「うほぉぉぉ、超イテェーよ! ねえ聖女ちゃん、これ大丈夫? 俺ちゃんの鼻潰れてない?」
「え!? ええと、ちょっとだけ赤くなっているような……」
「嫌がる女性を――」
「マジで!? 回復! 回復魔法を! 世界の財産たる俺ちゃんの美貌を保つために、ここは聖女ちゃんの愛に溢れた回復魔法をウェーイ!」
「はぁ。じゃあ、えっと……これで宜しいですか?」
「嫌がる……」
「ウェーイ! さっすが聖女ちゃん! ソッコー痛くなくなっちゃったじゃーん! じゃ、外に馬車を待たせてるから早く行こうぜ! お礼もかねて何か美味しいものでも食べたら、その後は俺ちゃんの宿で朝までウェーイしようぜ! ウェーイ!」
「あの、本当に困りますから……」
「…………あー、何だ? ひょっとしてお主達仲がよかったりするのか?」
「あったり前だろ? 俺ちゃんと聖女ちゃんは相思相愛だぜ! ウェーイ!」
「違います! そんなことはあり得ません!」
二人の関係性が今一つ掴みきれず困った顔で問うニックに対し、チャラケッタとピースが全く逆の表情、言葉で答えを返す。それが更なる混乱をニックにもたらすが、そんなニックに対しチャラケッタがいぶかしげに声をかける。
「てか、オッサン誰よ? そんなところ立ってたら邪魔っしょ! 俺ちゃんもメッチャぶつかったし」
「儂か? 儂はニック。ピース殿の作った聖水を受け取りに来た銅級冒険者だ」
ニックの自己紹介に、チャラケッタはあからさまに見下した態度をとる。
「銅級!? その年で銅級、そのくせ聖女ちゃんの聖水を受け取りに来たって……ああ、どっかのパーティの使いっ走りみたいな? うっわ、キツいわー」
「儂のことはどうでもよかろう。それよりお主は誰なのだ?」
「ふぁっ!? え、嘘だろ!? 俺ちゃんのこと知らないの!? 負け犬街道まっしぐらな人生のうえに常識まで無いとか終わってね?」
返すニックの問いに、チャラケッタは異常なまでに驚いてみせる。その反応にニックが言葉を返そうとしたが、それより先にピースが二人の間に割って入り、ニックに向かって口を開いた。
「ニック様。こちらの方は隣国イッケメーン王国の第二王子、チャラケッタ様です」
「ウェーイ! 俺ちゃんのこと知らないとか常識を疑われるから、しっかり覚えとけよオッサン?」
「むぅ……」
『王子。これが王族か……』
おそらくはピースと同じく二〇代そこそこだと思われる男の自己紹介に、ニックとオーゼンが閉口する。王族としての威厳もなければ大人としての落ち着きもなく、かといって子供扱いするには年を取っている青年を相手に、どういう態度で接するべきかが今一つ定まらなかったのだ。
「さ、そんじゃ話も終わったから、早速行こうか聖女ちゃん!」
「ですから、そうはいかないと言っているではありませんか!」
そして、ニックの反応などチャラケッタは一切気にしない。再び強引にピースを連れだそうとするチャラケッタだが、その行く手には未だに筋肉親父が立ちはだかっている。
「待て待て。すまんがピース殿は今儂と話をしているのだ。何か緊急事態だというのであればやむを得まいが、そうでないのならばきちんと順番は守ってもらいたいのだが?」
「ウェーイ! なら何の問題もないっしょ! 俺ちゃんのお誘いより優先されるべきことなんてこの世にある? いいや無いね! てことだからさっさとどいてくれよオッサン」
「その答えでは、はいそうですかとは譲れんな」
毅然とした態度を取るニックに、ここで初めてチャラケッタがきちんとニックの顔を見る。その瞳に浮かぶのは、道に落ちている邪魔な小石を見るような苛立ちの色だ。
「つーか、さっきから何なわけ? 俺ちゃん王子だぜ? お前みたいなオッサンが俺ちゃんの邪魔するとか、許されると思ってるわけ?」
「王族だろうが何だろうが、順番くらいは守るべきではないか?」
「ウェーイ!? 本気かオッサン!? 俺ちゃん王族だって言ったよな? それなのにそんな正論吐いちゃうわけ!? そりゃ使いっ走りくらいしか任せられないわー。こんなのに絡まれて、聖女ちゃんかわいそー」
そう言いながら、チャラケッタがニックとピースに憐憫の目を向ける。
実際の所、チャラケッタの言い分はほとんどの場面で正しい。たとえ他国であろうとも王族と平民でどちらが優先されるかなど火を見るより明らかであり、王族が訪ねてきたとなれば平民との約束などいとも簡単に無かったことにされる。
だが、今この場はその「ほとんど」に含まれていない。
「申し訳ありませんが、今はニック様のお約束の時間で間違いありません。申し訳ありませんが、チャラケッタ様はまた後ほど面会の申し込みをしていただけませんか?」
「ウェーイ!? ちょっ、聖女ちゃんマジ!?」
「はい」
既に約束された聖女との面会は、たとえ王族であろうとよほどの緊急事態でなければ割り込むことはできない。これはそれを許してしまうとそれこそ一般の人々が一切面会できないような事態になってしまうこととと、きちんと根回しさえすれば優先的に面会の約束を結ぶことはできるためだ。
教会は権力に屈しない。だが決して靡かないわけでもない。より多くの人を救うために清濁併せ呑み、権力者とのほどほどの距離を維持するというのが教会の方針であり、チャラケッタが王族でありながらなかなかピースと面会の約束を取り付けられなかったのは、単に彼が国元を離れ好き放題にやっているせいでそう言う知識や人脈から離れていたためなのだ。
勿論、ピースが個人的にあまりチャラケッタに会いたくないと思っていることも関係が無いとは言えないのだが。
「え、マジで? 本気で!? あんなにお布施とかしまくってるのに、聖女ちゃんは超格好良くて世界一モテる俺ちゃんとの愛の会合より、こんなオッサンを選ぶってわけ!? ウェーイ!?」
「先ほどからそう申し上げているではありませんか。それにニック様は『こんなオッサン』ではありません。私がお慕い申し上げているとても素敵な殿方なのですよ?」
「ウウェウェウェーイ!?!?!? 聖女ちゃん、こんなオッサンが趣味だったの!?」
朱に染めた頬に両手をあて、腰をくねくねさせながら照れるピースの姿に、チャラケッタは顎が外れんばかりに驚き……そして改めてニックの全身を値踏みするように見回していく。
「へぇ、こんなのがねぇ……オッケー、わかった。じゃ、今日は俺ちゃん帰るよ。またね聖女ちゃん! ウェイウェーイ!」
そうして最後に手を振ると、予想を遙かに超えてあっさりとチャラケッタがその場を去って行った。再び静寂の戻った部屋にて、まずはピースがニックに向けて頭を下げる。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
「いや、儂はいいが……しかし、あれは何というか……個性的な男だったな」
「はい。あれで女性神官達には人気が凄いんですよ?」
「そうなのか? ふーむ、正直儂にはよくわからんが」
『少なくとも我ならば彼奴を王候補には選ばんな』
「あはははは……」
首を傾げるニックと辛辣な言葉を投げるオーゼンに、ピースはかろうじて苦笑いを返す。整いすぎるほどに整った容姿と王子という立場が大多数の女性にとって魅力的に映ることはよくわかるが、それでも自分があの王子の好意を受け入れる日が来るとは思えない。
何故なら、ピースもまた叶わぬ想いを抱き続けているから。決して届かないとわかっていながら、それでも未だ捨てることのできない願いは今日も聖女の胸を焦がす。
「っと、どうやら神の啓示が来たようです。早速聖水をお作り致しますね」
そんな想いを隠さず、偽らず。余すことなく笑顔に込めたピースは、そう言って個室へと移動していった。