父、できたてを受け取る
「それで? 結局オーゼンの呪いは解けそうなのか?」
「むぅ、誤魔化されました……まあいいですけど」
ほどほどの頃合いを見計らって、ニックが改めてピースにそう切り出す。するとピースはぷぅっと頬を膨らませてみせるも、すぐに真面目な聖女の顔に戻って答える。
「結論から言えば、解呪は可能です。方法としては二つ……まずは今この場で、私の魔法で一気に呪いを吹き飛ばしてしまうことですね」
「ほう、そんなことができるのか? 随分強力な呪いだということだったが」
確かに聖女と呼ばれるピースの力は一般の神官とは比較にならないほどに強いが、それでも即座に解呪できると言われ、ニックは思わず驚きの声をあげる。
「できます。ただし問題があるというか……オーゼン様の呪いは、魂の部分に深く複雑に食い込んでおりました。これは人で言うなら体中の血管の中に呪いという名の毒血が混じって流れている感じですので、これを強引に解除した場合、血管に重大な損傷が生じる可能性があります」
「それは出来れば避けたいな」
ニックの言葉に、ピースもまた頷く。
「そうですね。どうしても緊急で呪いを解く必要があるならやむを得ませんが、私としてもお薦めは……はっ!?」
「む? どうしたのだ?」
突然声をあげたピースに、ニックが片眉を釣り上げて問う。
「いえ、ちょっと思いついたのですが、呪いが解けた場合、オーゼン様はまたニック様の股間に装着されたりするのですよね?」
「むぅ? まあ、そういうことも無いとは言わぬが」
『そうだな。我としては不本意極まりないが、今までの流れからしてきっとまたそうなるのであろうな……』
質問の意図がわからず首を傾げるニックと、何処か諦めたような口調のオーゼン。そんな二人の反応に、しかしピースは己の考えに浸っているかのように言葉を続ける。
「ということは、ニック様の股間に接触したオーゼン様に私が触れ、そして私が触れたオーゼン様がまたニック様の股間に戻る……つまり私の手が間接的にニック様の股間に…………!?
わかりました。ここはオーゼン様に多少我慢していただくことにして、今すぐに解呪してしまいましょう!」
『一体何がわかったというのだ!? 断る! 断固として断るぞ!』
「ははは。そう慌てるなオーゼン。冗談に決まっているであろう?」
『そ、そうなのか!? いや、しかし……』
軽く笑うニックに、オーゼンは疑惑の意識をピースに向ける。
「ホホホ。モチロンデスワー」
『ぐぅぅ、信用できぬ……』
とぼけた顔でそっぽを向くピースに、オーゼンは唸り声をあげる。
『と言うか、冗談だとしても、その発言は聖女としてどうなのだ? 信徒が見たら失望しそうだが……』
そうして返したオーゼンの言葉を、ピースは余裕の笑みを浮かべて受け止めた。
「そんなことありませんわ。先ほどのお話でもしたとおり、我々は決して清廉潔白なだけの存在ではありませんもの。
汚れ無き純白は、孤高であり孤独です。誰もがそれを汚すことを畏れ、手を触れることさえ躊躇われてしまう。でも、そんなのは私は嫌なのです。
皆と触れ合い、語り合い、共に生きることこそが人として健全な姿であり、救いを求める人々と寄り添うことこそが私の生き甲斐、私達の信念。だから私達は黄色い法衣を着るのです。人の営みと共に汚れ、それでも尚白くあろうと努力するが故に。
ですから私がちょっとくらい愛しい人と触れ合いたいとお茶目な思いつきを口にしたとしても、そのくらいで非難されたりはしませんわ」
『む、むぅ。立派なことを言っている気はするのだが……』
聖女と少女、ピースの持つ二つの側面にオーゼンはひたすらに戸惑う。
「まあその話はまた後でもよかろう。それで、二つ目の解呪の方法は?」
「あ、はい。そちらは私の用意する聖水にオーゼン様を浸し、徐々に体内から呪いを浄化していく方法ですわ」
「ふむ。前に立ち寄った教会でも同じ事を言われたが、その時は一〇年かかると言われたぞ?」
「ああ、一般に流通している聖水の浄化力を考えれば、そのくらいはかかるかも知れませんね。ですが私が用意する聖水であれば、おそらくは一〇日ほどで解呪ができると思います」
『一〇年が一〇日だと!? 貴殿の作る聖水とは、それほどに強力なのか!』
あまりの効果の違いに驚きの声をあげるオーゼンに、ピースは小さく笑みを浮かべる。
「勿論私の作る聖水の浄化力が強いというのもありますが、それぞれの力関係というのもありますね。
例えば呪いの力が九、聖水の浄化力が一〇だとすれば、両者を使えば呪いは一日に一だけ解呪されることになります。ですが聖水の浄化力が二〇あれば、一日に一一も呪いが弱まる。倍の力で一〇倍以上の効率ということですね。
要は呪いの力を超えていればいるだけ加速度的に解呪にかかる時間が減るわけですが、オーゼン様が纏っておられる呪いはかなり強力なので、それを大きく上回れるのは私の作る聖水しかなかった……というところでしょうか」
『なるほど。実に合理的な説明だ』
「で、そちらの場合もオーゼンに何か不都合が起きる可能性はあるのか?」
「いえ、聖水による浄化であればありません。強いて言うならオーゼン様の体が普通の金属だった場合、長時間水に触れていると錆びるかも……ということはありますが、その辺は大丈夫ですよね?」
『無論だ。よほど強力な腐食毒などでもなければ、我の体が錆びる事などあり得ん』
「なら問題ありませんわ」
自信満々に言うオーゼンに、ピースがニッコリ笑って答える。
「では決まりだな。無論きちんと喜捨はするから、聖水の方をお願いできるか?」
「お任せください。丁度……んっ、神の啓示も降りてきたようですし」
プルりと体を震わせると、ピースがそっと席を立つ。
「では、少々失礼致しますわ」
「うむ、頼むぞ」
ニックに向かって一礼すると、ピースが隣の部屋に移動する。後ろ手に閉めた扉に浮かび上がった複雑な魔法陣の効果により、ニックであってもその部屋で何が行われているのかを知る方法は無い。
『……なあ貴様よ。あの娘は何をしに言ったのだ?』
「うん? 何って、そりゃ聖水を作りに行ったのだろう?」
『聖水? その部屋で聖水を作っているのか?』
「そうらしいな。儂も詳しいことは知らんが」
聖水の作成は極めて神聖な行為であり、その具体的な作成方法は教会によって完全に秘匿されている。なかでも聖女ピース・ゴールディはひときわ特別で、その身に神の啓示が降りたときのみ、外部から完全に隔絶された小部屋にてその聖水を作り上げていた。
逆に言えば作りたいからといって作れるわけではないため、彼女の作った特別な聖水は常に品薄の状態であった。
「お待たせ致しました」
そうしてニック達がしばらく待つことで、ピースが硝子製の小瓶を手に部屋から出て来た。
「こちらが聖水になります」
「おお、これが……」
差し出された小瓶を手にし、ニックがそれをまじまじと観察する。小瓶の中身はほのかに輝く黄金色の液体であり、できたてだからかあるいはピースの手の温もりか、ほんの僅かに温かい。
「しかし、この量ではオーゼンを浸すのはとても無理ではないか?」
「それは問題ありません。通常教会で私が作ったとして頒布しているものは、これを更に一〇〇倍に希釈したものです。単純な浄化能力で言うなら、一万倍に薄めても普通の聖水と遜色はありません」
「そうなのか!? それは何というか……凄いな」
ニックの掛け値無しの賞賛の言葉に、ピースが嬉しそうに笑う。
「はい、凄いんです。なので適当な手桶に水を張ってからそれを一瓶入れてかき混ぜ、そこにオーゼン様を浸せば効果としては十分ですわ。ニック様には毎日一瓶こうしてできたての原液をお渡ししますので、その都度水を張り替えればよいかと」
「わかった。ありがとうピースよ。感謝するぞ」
「いえいえ、お役に立ててなによりです」
『一体これはどうやって作られているのであろうか……?』
心からの感謝を述べるニックと、嬉しそうに笑うピース。ただその場でオーゼンだけは、己が身を浸す聖水の正体に様々な思想を巡らせるのだった。