父、せがまれる
『ほぅ。ここが聖都が』
あの後普通に道を進み、辿り着いた聖都モルジョバ。入り口の門をくぐって広がった光景に、オーゼンは感嘆の――
『……何というか、普通だな』
と言うより、拍子抜けしたような声でそう言った。実際目の前に広がっているのは今まで幾つも通り抜けてきた町の景色とそう変わるものではなく、聖都と呼ばれるほどの荘厳さを感じさせるものは特にない。
「はは。確かに名前から感じる印象とは違うだろうな。儂もここに来る前は、聖都とはどれほど凄い場所なのだろうかと想像していたものだったが」
そんなオーゼンの反応に、ニックは笑いながら答える。
「とは言え、これは意図してこうしているらしいぞ。『聖都は特別な場所ではなく、何処にでもある普通の町である。ならばこそ世界中にある全ての町とそこに住む人々も、皆特別ではなく当たり前に救済されるべき存在である』という理念があるらしい」
『なるほど。特別でないことにこそ価値があるわけか……なかなかに深いな』
「もっとも、本当に他の町と何もかも同じというわけではないがな。見てみろ」
『む……?』
言われてオーゼンが改めて町並みを見回すも、これと言って変わったところは見受けられない。
「わからんか? 道の隅々に至るまで綺麗に掃き清められているであろう? 同じような作り、同じような町並みでも、そこに住む人々の在り方によって景色は変わる。そう言う意味では、ここは正しく聖都なのだ」
『そういうことか! これは盲点であった』
アトラガルドの都市では、この清掃された状態こそが当たり前であった。そのためそこかしこにゴミが落ちている「この世界の普通」こそが異常であったため、オーゼンはこの光景に違和感を抱けなかったのだ。
「無論、汚れぬわけではない。人が生活していればゴミはどうしても出るものだからな。だがこの町の人々はそれを自然に片付ける。それが日常だからこそ小さなゴミでも落ちていれば目立ち、目立つからこそすぐに片付け……そうして特別な努力をしているという意識すらなく、この町は清浄を保っているというわけだ」
『善は善を、悪は悪を呼び込む。特別ではなく当たり前に善を為す……なるほど確かに、ここはまごうこと無く「聖都」だ』
「だな。さ、着いたぞ」
しきりに感心するオーゼンの声を聞きながら、目的地に辿り着いたニックは足を止める。
目の前にあるのはここばかりは特別な大聖堂。豪華な飾り付けも精緻な彫刻も存在しないが、大きな石造りのその建物は、長い歴史を身に纏うことで神秘的な重厚感を醸し出していた。
「おはようございます。当教会にどのようなご用でしょうか?」
ニックが正面の入り口をくぐると、脇に立っていた若い神官がニックに声をかけてくる。
「黄金の聖女殿にお会いしたいのだが、おられるかな?」
「聖女様ですか? 失礼ですが、お約束は……?」
「いや、そういうのは無い」
「でしたら、聖女様がこちらにお出ましになるのは五の鐘の祈りの時間となります。その時間にここにいらしていただければ、聖女様と共に祈りを捧げることができますよ」
「あー、そうではなく。聖女殿と直接会って話をしたいのだが」
「それは……」
ニックの言葉に、若い神官は困ったような顔をする。黄金の聖女との面会を望む者はいくらでもいるが、その全てに対応することは物理的に不可能だ。そのためやむを得ず、聖女は事前に約束をした相手以外とは会わない取り決めになっている。
ちなみに約束自体は町の子供でも取り付けられるが、そういう「一般枠」は競争率が極めて高い。なので確実に会いたいとなると貴人からの紹介や大量の喜捨が必要で……結局の所その辺の「世の仕組み」は神の声を聞ける聖女と言えどどうすることもできなかった。
「では、聖女殿にこう伝えてもらえるか? 『かつての友ニックが、貴殿との面会を望んでいる』と。それで駄目なら諦めよう」
「? わかりました。ではしばしお待ちください」
ニックの言づてを持って、若い神官が通路の奥へと消えていく。そのまましばし待っていると、走っていると言われないギリギリの速度で神官が戻ってきた。
「お待たせ致しました! 聖女様がすぐにお会いになるそうです」
「お、そうか。しかしそこまで急がずともよいのではないか?」
「そうは参りません。聖女様の時間は貴重ですから! と言うことで、こちらへどうぞ」
少しだけ早口になった神官に促され、ニックもまた大聖堂の奥へと進んでいく。城と違って単純な作りの通路を進んで階段をのぼり、その先の一番奥の部屋の前へと辿り着くと、おもむろに神官が扉をノックした。
「はい」
「聖女様。お客様をお連れ致しました」
「わかりました。入っていただきなさい」
「は。失礼致します……」
扉が開かれ、神官に続いてニックもまた部屋に足を踏み入れる。そこは簡素ながら手入れの行き届いた小さな客室であり、部屋の中でニックを待っていたのは老齢の女性神官と、もう一人。
「まあまあまあま! ニック様! お久しぶりでございます!」
輝く金髪をふわりと靡かせ、心底嬉しそうに笑う聖女が席を立ってニックを出迎える。そのまま駆け寄り自身の両手で優しく包み込むようにニックの大きな手を取ると、二二歳の大人の女性としてはやや小柄な体で精一杯背伸びをし、自分の顔をニックの顔に近づけた。
「お、おう。久しいな聖女殿」
「聖女殿だなんて、そんな他人行儀な! 私のことは以前のようにピースと呼び捨てになさってください。あ、ニック様になら、愛称であるピスとお呼びいただいても……きゃっ」
思わずのけぞってしまったニックに、聖女ピースは乙女のように恥じらいながら言う。だがそれに対するニックの反応は、ただひたすらに困惑だ。
「あー……まあ、あれだ。相変わらず元気そうだなピースよ」
「はい。ニック様もお変わりなく壮健なご様子で。さ、立ち話もなんですし、どうぞお座りになってください」
「うむ」
目の前の席を勧められ、ニックはその巨体で腰掛ける。やや小さいがしっかりとした作りの椅子はニックが座ってもきしみひとつあげることはなく、質素ではあっても決して安物ではないことを如実に物語っている。
「あ、貴方! ニック様を連れてくれてありがとう。もう下がってもよいですよ」
「わかりました。では、失礼致します」
聖女の言葉に、ニックを案内してくれた神官が部屋から出て行く。それを確認した聖女は、脇に控えていた老齢の女神官の方に視線を向け直す。
「モレーヌも仕事に戻っていいですわよ?」
「ご冗談を。聖女様を殿方と密室に残すなどできるわけないではございませんか」
「もぅ、モレーヌは相変わらず融通が利きませんね。ニック様はモレーヌが心配するような方ではありませんよ。むしろニック様にその気がおありなのでしたら、私としても歓迎したいというか……」
「いやいやいやいや! 今回儂は仕事を依頼しに来ただけだぞ!?」
頬を赤く染めるピースと獣を見るようなモレーヌの視線を受け、ニックが慌てて両手を顔の前で振る。ニックにそんなつもりが無いことは今まで何度もはっきりと伝えているが、それでピースの言動が変わることはない。
「まあ、そうなのですか? てっきり私に会いに来てくださったのだと思って、とても喜んだのですけれど……ですが、少しお話をするくらいはいいですわよね?」
「うむ? どうしても急ぎというわけではないから、まあそのくらいは構わんが」
「やりました! ではニック様のお話、たっぷり聞かせてくださいませ! モレーヌ、お茶をお願いします」
「畏まりました」
「フッ。本当にお主には敵わんなぁ」
子供のように無邪気に喜ぶピースに、ニックは苦笑しながらも求められるままに自らの冒険譚を語るのだった。