父、試みる
「限界!? 限界とはどういうことだ!?」
『ええい、騒ぐな! きちんと説明してやるから、まずはその帰還用の転移陣に乗るのだ』
「む、わかった」
床の上で光る転移陣は、今にも消えそうな感じで点滅を繰り返していた。ならばここで問答をしている余裕はないと、ニックは急いで転移陣に飛び乗る。するといつもより少し強めの酩酊感に襲われ……それでも次の瞬間には、きちんと山の中の遺跡に戻ることができた。
『どうやら大丈夫だったようだな。ギリギリだが……』
「ああ、ちゃんと戻ってこられたぞ。それでオーゼン、お主は大丈夫なのか?」
『心配するな。それを今から説明する……』
当座の危機は脱したこともあり、とりあえずニックは近くの木の根元に腰を下ろす。内部での時間経過はほとんど無かったため、太陽が中天に輝くにはまだしばらくの時間がかかりそうだ。
『今回我が行ったのは、試練の内容の差し替えだ。内部に残っていた情報を無理矢理にまとめ上げ、今回の試練を「我にかかった封印を解除する」というものに変更した。その際に達成判定まで我の中に書き込んだことで、試練を達成せずとも外に出られるように調節したのだ』
「ほぅ! そんなことができるのか!」
『普通はできん。というか試練の内容に干渉することそのものが通常ならば不可能だ。ただ今回は試練の内容が我に干渉するものであったこと、そして何より、貴様が強引に我を引き抜いたせいで情報の流れがズタズタに寸断されてしまったからこその例外という訳だな』
感心するニックに、オーゼンは苦み走った口調で言う。実際これほどの無茶が通ったのは情報伝達の途中で引き抜くという最悪の行為の結果、本来働くはずの機密保持や改ざん防止などの機構が正常に動作しなかったことと、オーゼンが有効化している「王能百式」の数が極めて少なかったからこその所業だ。
もしもう少し使える「王能百式」の数が多かったならば、ただ外に出るだけでも今の何倍も無茶をする必要があったことだろう。
「そうか……では儂がこれからすべきことは、お主の封印とやらを解除すればよいのだな?」
『そうだ。ただしそれまでは「王能百式」を発動させることはできぬし、別の「百練の迷宮」に挑むこともできぬ』
「むぅ、まあ仕方あるまい。で? その封印の解除はどうすればいいのだ?」
『……一応試練なのだから、そこは自分で考えようとは思わぬのか?』
オーゼンからの厳しい言葉に、ニックは困り顔でポリポリと頭を掻く。
「そう言われてもなぁ。今までの試練のように部屋の中に必ず解法があるというなら考えるが……ここで儂が考えてどうにかなるものなのか?」
『それはまあ、無理だとは思うが』
「なら聞くしか無いではないか! 無論今回のことは儂に大きな責任がある。儂にできることなら大抵のことはするぞ?」
ドンと胸を叩いてみせるニックに、オーゼンは思わずため息を……気分的に……つく。
『はぁ。まあ、うむ。自らの無力を認めることもまた王の資質か……安心せよ。そこも手を打ってあるからな』
「ほぅ?」
ピクリと眉を持ち上げたニックに、オーゼンは得意げな声を出す。
『封印の種類を変更したのだ。通常の魔術的な封印だと貴様はおろかこの時代の魔術師ではどうやっても解除できぬ可能性が高いからな。故に今我にかかっているのは正確には封印ではなく……呪いだ』
「呪い……? それはまた面倒なところを選んだな」
『仕方なかろう。「能力を一時的に喪失する」という特性をもち、かつこの時代にも解除方法がある状態変化というと、咄嗟にはそれしか思い浮かばなかったのだ』
その他の選択肢としては、例えば「破損」からの「修復」や「停止」からの「再起動」などがあったが、アトラガルド時代に広く一般に普及していたような魔導具すら修理できない現代で「破損」は「封印」よりも厄介であったし、「停止」はこうして話すことすらできなくなってしまうので、事前説明のできないあの状況では選択の余地がない。
そうなると最も無難で解決法が存在しそうなのが「呪い」だったというわけだ。
「呪い、呪いか……」
『どうだ? 以前に貴様に聞いた話では、強大な呪いを解呪したこともあるのだろう?』
「それはそうだが……参ったな」
オーゼンの言葉に、ニックはしばし考え込む。呪いを解く最も簡単で一般的な方法は、その呪いをかけた大本を叩くことだ。だが今回の場合オーゼン本人が呪いにかかることを選んでいる……いわば呪いの大本がオーゼン自身にあるので、その手段はとれない。
次に効果のある手法は、呪いにかかった人、あるいは物に呪いに対抗できるだけの力を与えることだ。これはオーゼンが人間ならば見惚れるほどの肉体美に鍛え上げることで並の呪いなど跳ね返させることができるが、物質であるオーゼンに筋肉は無い。
そして魔法道具の技術者ではないニックには物質の対呪性能を強化する手段などこれっぽっちも思いつかず、本当にどうにもならない状況でなければ、オーゼンの中身を他人にいじらせる手段は選びたくなかった。
「ふーむ。ならまあ、とりあえずは近くの町の教会にでも行ってみるか」
『む、そうか。まあ色々試してみるがよい』
オーゼンはそれ以上は何も言わず、故にニックは近くの町まで出向いて教会にてオーゼンを神官に見せる。だがお布施を貰って解呪を試みた神官は、力なくその場で首を横に振った。
「お役に立てず申し訳ありません。これは私の力ではどうにも……」
「そうか……」
「私の見立てでは、この魔法道具は信じられないほど強力な呪いに縛られております。なので私が提案できる方法としては、桶に聖水を満たしてそこにつけ込むことくらいでしょうか? 日に三度聖水を入れ替え、それを一〇年も続ければ、あるいは……」
「それは流石になぁ」
聖水の購入費用はどうとでもなるが、いくら何でも解呪に一〇年は長すぎる。そしてそれを聞いたオーゼンは、自らの選択を後悔し始めていた。
『すまぬ。我の見立てが甘かったか。まさかここまで解呪が困難だとは……』
教会を出て通りを歩くニックに、腰の鞄からオーゼンが話しかけてくる。その落ち込んだような声に、ニックはそっと鞄に手を添えた。
「そんな声を出すなオーゼン。お主はこれが最善だと判断したのだろう? それは間違っておらぬ。他の手段であれば一〇年どころか一〇〇年かかってもお主を解放してやることはできなかっただろうからな」
『だが……』
「ハァ。わかった。少し気は進まぬが、最後の手段をとるとしよう」
短く息を吐いたニックが、空を見上げて吹っ切れたような表情をする。
『何だ? 貴様が気が進まぬという時点でいい予感が全くしないのだが……』
「はは。お主に影響があるようなことではない。ただ儂があまり進んでは会いたくない相手と会わねばならぬというだけでな」
『貴様が会いたくない相手とは……正直我には想像もつかんが』
「悪人とかそういうことではないぞ? ただ色々としがらみが多いというか、あとやたらと押しが強いというか……まあいい。丁度ここからはそれほど離れておらんし、早速向かうとしよう」
言って、ニックは町を出るべく門の方へと歩いて行く。だがその足取りが心なしか重い気がして、オーゼンはそれを問わずにはいられなかった。
『おい貴様よ、一体何処に向かい、誰に会うというのだ?』
「向かうのは聖都モルジョバ。そして会うのは世界最高の神官にして神の声を聞く黄金の聖女、ピース・ゴールディだ」
言ってニックはかつて共に旅をした聖女の顔を思い出す。あらゆる命の母の如く優しく微笑むその笑顔は、ニックがこの世で唯一苦手とする女性の顔であった。