父、当選する
「ふむ、ここか」
サビシに場所を教えられ、ニックが辿り着いたのはとある山の中腹にあった小さな遺跡……というか建物の残骸であった。
『うむ、ここは間違いなく百練の迷宮への入り口だな。ほれ、そこに転移陣がある』
オーゼンの言葉に、しかし魔力視のできないニックにはその存在はわからない。とは言えオーゼンが嘘を言う理由もないので、それはそれとしてニックは改めて周囲を見回す。
「そうか。しかし今回はまた随分とボロいというか……建物の規模も小さいな。お主の話ではかつては王を目指すものが何十人もの従者を連れて訪れた場所なのだろう? それがどうしてこんな規模なのだ?」
『ん? ああ、「百練の迷宮」の入り口は、一部を除いて固定ではないのだ。アトラガルドの時代であればこの程度の建造物や転移陣など簡単に作れたからな。なので中には入り口を見つけることそのものが試練となる場合も……っと、話がそれたな。
まあとにかく、ここはそういう隠された入り口の類いなのだろう。であれば後は以前のように達成まで長時間かかることも考慮し、しっかり準備してから転移陣に乗るのだ』
「ははは。同じ轍は踏まんよ」
オーゼンの忠告に、ニックは肩から提げた魔法の鞄を叩いて答える。その中には大量の食料や水を生み出す魔法道具なども収納されており、普通に飲み食いしても半年程度は持つ備蓄がある。これで準備不足だと言われたらそれはもう笑って受け入れるしかないだろう。
「では行くか!」
『うむ!』
声をかけて、ニックが一歩を踏み出す。するといつものように軽い酩酊感が襲い……次の瞬間。
『パンパカパーン!』
「うぉっ!? 何だ!?」
迷宮内部に飛ばされたニックの頭の上から、突如として賑やかなファンファーレの音が鳴り響く。
『おめでとうございます! 貴方は当「百練の迷宮」にて記念すべき一万人目の挑戦者です! それを記念して今回の試練は免除となります! そのまままっすぐ転移陣へとお進みください』
「これは何という幸運か! ふふふ、どうやら試練は免除らしいぞオーゼン?」
『そんな馬鹿な話があるか! 試練が免除だと!? そんなことあり得るはずが……いや、そうでもない、のか?』
ニックの言葉に猛然と抗議するオーゼンだったが、その勢いが少しずつ失われていく。
(確かに試練の中には運を求めるものもあった。とは言えここまで完全に運だけに依存した試練など……だが……)
オーゼンが迷う理由はもう一つ。本来「百練の迷宮」に入った段階で降りてくるはずの試練の内容が、今は一切伝わってこないのだ。つまり謎の声の言う通り試練は既に終わっているか、あるいは――
「むぅ。どうするのだオーゼン? と言うか、結局あの転移陣に乗る以外にはできそうなことが見当たらないのだが……」
迷うオーゼンを余所に、ニックは部屋を見回しそう口にする。実際ニックが今居る部屋はそう広いものではなく、正面先の床の上に転移陣が輝いている以外には何も無い。
以前のように天井を壊すことはできるだろうし、そうなればまた「緊急事態」として台座の間に強制転移させられる可能性は高いが、流石に追い詰められた状況でもないのにそんな「反則」に手を染めるのはニックとしても憚られた。
『そう、だな。選択の余地がないのなら、進んでみるしかあるまい』
「よし、決まったな。では行くぞ?」
オーゼンの意思も確認してから、ニックが意を決して目の前の転移陣へと足を踏み入れる。すると再び軽い酩酊感に襲われ、次にニックが姿を現したのは……謎の言葉の導き通り、試練達成後に訪れる台座の間であった。
「ふむ、普通に着いたな」
『ああ、着いた……』
「……置くぞ?」
『うむ……』
あまりにも拍子抜けな結果に、ニックもオーゼンも気持ちの置き場所に困る。とは言えこのまま立ち尽くしても埒が明かないのは事実なので、ニックがおもむろに台座のくぼみにオーゼンをはめ込み……その瞬間。
『運すら味方にできぬ者が座れるほど王座は甘くない。だが運のみで座れるほど王座は軽くない。己を王に相応しきと言うならば、己の力のみでそれを証明せよ』
『ぬがっ!?』
「オーゼン!?」
突如として台座に青白い光が走り、オーゼンが悲鳴のような声をあげる。咄嗟にニックがオーゼンを台座から引き抜いたが、その瞬間バチッと音がして部屋の明かりが明滅する。
「オーゼン! 大丈夫か!?」
『ぐっ……がっ……ニッ……ク……』
「そうだ、儂だ! 大丈夫かオーゼン!」
『いや……これは……かなりマズいことになった……』
「マズい!? マズいとは何だ!? また山か? それとも発条を巻けばいいのか!?」
『そういうことではない。少し落ち着け! …………ふぅ』
焦るニックをオーゼンが一喝し、しばしの沈黙の後その言葉が続けられる。
『今の現象だがな。どうやら我の……「王能百式」の力を一時的に封じるものだったのだ。それで、本来ならこの後改めて試練が与えられ、我の力に頼らず貴様のみでそれを達成すれば元に戻ったのだが……』
「だが……何だ?」
オーゼンの言葉に不穏なものを感じ、ニックが思わず唾を飲む。
『貴様が無理に我を引き抜いたせいで、迷宮の機能が不具合を起こしたのだ。今のままでは正規の試練が開始されず、我の力が封印されたままということになる』
「何だと!? い、いやしかし、それならばあんなに簡単に外れるようにしておかなければよいではないか!」
『馬鹿者! さっきの我を無理矢理外せるのは貴様くらいだ! 迷宮の壁を破壊できるほどの力の持ち主が外せぬ固定などできるわけがなかろう!』
「ぐぅぅ…………す、すまん…………」
オーゼンの叱責に、ニックががっくりと肩を落とす。
『……いや、我も言い過ぎた。正式に謝罪する。貴様が我を心配してくれたことは我にもよくわかっているのだ……ありがとうニックよ』
「オーゼン……」
オーゼンからの優しい言葉に、ニックは手にしたままのメダリオンを優しく見つめる。だがそこから少し視線をあげれば、未だに青白い光をバチバチと飛ばしている台座の悲惨な姿が目に映ってしまう。
「なあオーゼン、これ今からでもこっそりはめ直したら駄目だろうか?」
『無理に決まっているではないか愚か者!』
「そうか……と言うことは、これからどうなるのだ?」
王能百式の空き枠が増えないことは、ニックとしては大した問題ではない。オーゼンの自意識が消えてしまうなら別だが、能力が発動できないだけというのならそれも許容できる。だがここから出られないというのは流石に困る。
そんなニックの言葉に、オーゼンはわずかに思案してから答える。
『ふむ……さっきはああ言ったが、やはり我をもう一度台座に戻せ』
「大丈夫なのか? 何だかバチバチいっておるが……」
『大丈夫では無いかも知れぬが、やってみるしかなかろう。ほれ、さっさと我を元の場所に戻すのだ』
「むぅ……」
気は進まなかったが、それ以外に有効な手段が無いのも事実。ニックは慎重に台座のくぼみにオーゼンをはめ直すと、再びオーゼンの体の表面を青白い光が走って行く。
『ぬっ、ぐっ……』
「オーゼン! 無理はするなよ? いざとなれば壁でも天井でも壊して――」
『いいから黙っておれ! くぅ、ここか……?』
作業に集中するオーゼンを、ニックは黙って見守り続ける。殴っても事態が解決しない歯がゆさ、己の無力さにニックが拳を握りしめることしばし――
『ぐはっ!?』
「オーゼン!」
バチンという大きな音を立てて、不意にオーゼンが台座からはじき出された。すかさずニックが空中でそれを受け止めると、オーゼンの疲れ切った声がニックの頭に直接響いた。
『すまぬ……これが我の限界のようだ……』