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神狼の巫女、別れを告げる

「神狼の巫女様万歳!」

「山の守り神様万歳!」


 見事な勝利を飾ったギセーシャに対し、村人達が口々に賞賛の声をあげる。いち早く魔物が駆逐されたことを告げに行った村人により倉庫に避難していた人達もこの場に集まっており、今この場にはソコの村の村人が一堂に会していた。


(うわぁ、みんないる。懐かしい……ってほどじゃないけど、でも不思議な気分)


 そんな光景を、ギセーシャは何処か他人行儀な視点から見つめていた。みんな自分の知っている顔なのに、誰一人自分がギセーシャだと認識していない。その寂しさを振り払うように、ギセーシャはあらかじめ教えられていた勝利後の口上を頭の中で二、三度繰り返してから口にする。


「この山に災いを為す者は去りました。以後貴方たちが私に対する感謝と畏敬の念を忘れない限り、この山、ひいてはこの村に災いが訪れることは二度と無いでしょう」


「それは、その……この前山にやってきたばかりの、あの恐ろしい魔物も?」


 村で会う度に小さな木の実を「おやつじゃ」と言ってくれた顔なじみの老人が、恐る恐るといった様相で問う。一方的に生贄を要求し「差し出さなければ村に災いが訪れる」と言い放った魔物と、村を救った存在が同一だと考える者はこの場にはいない。


 だからこそギセーシャはニッコリと笑って言う。たとえ顔は認識されずとも、笑ったという雰囲気はしっかりと村人達に伝わっている。


「そうです。彼の魔物は去りました。私が守護する限り、もう二度とこの村が生贄を要求されることはありません」


「そうか! そうか……なんで……いや、これはあまりに身勝手な願いじゃな」


 その言葉に老人はまず喜び、次に悔しげな顔になり、そして最後は苦笑する。村が助かった喜びと、もう少し早く来てくれれば生贄を出す必要がなかったのにという悔しさ、そしてそこまでを望むのはあまりにも自分勝手だという自嘲の笑み。


 そんな老人の表情に、ギセーシャは思わず自分の手が伸びそうになるのをグッと堪える。


 本心を言えば、今すぐにでも名乗り出たかった。自分が生きていることを知らせて、皆の心の重しを取り払ってあげたかった。


 でも、それはできない。自分が生きていると知られれば、ワンコと寄り添って暮らすことは出来なくなる。短い間とはいえギセーシャとワンコの間には絆のようなものが生まれつつあったし、もっと現実的な問題としてはギセーシャが約束を破って村に帰ったりしたら、その後ワンコがどう出るのかがわからない。


 そしてもっとずっと単純なこととして、約束を守って村を救う力を貸してくれたワンコを裏切るつもりなど、ギセーシャにはこれっぽっちもないのだ。


「では、私も去ります。以後は――」


「お待ちくだされ!」


 だからこそ、告げるのは真実ではなく別れの言葉。断腸の思いでそれを口にするギセーシャだったが、言い終わるより前に懐かしい声がそれを遮る。


「オババ様!?」

「長老!? 何を!?」


「ええい黙らんか! 神狼の巫女様。私はこの村の長老でございます。村人全てを代表して、今一度お礼を……おおっと」


「危ない!」


 人の輪から歩み出て来た長老が足下をふらつかせ、ギセーシャは思わず彼女の体を支える。手が触れ合い、二人の顔が近づいたところで……老婆はギセーシャにだけ聞こえる声で、そっと耳元に呟いた。


「オヌシ、ギセーシャじゃな?」


「な、何を!? 違います! 私はギセーシャじゃありません!」


 咄嗟のことで、ギセーシャはつい大きな声で否定してしまう。慌てて周囲を見回せば、それを聞いた村人達が一斉に首を傾げているのがわかる。


「巫女様がギセーシャじゃと? オババ様、遂に惚けたか?」


「しかし言われてみれば、あの服はギセーシャちゃんが着ていた服のような……じゃが耳と尻尾が生えているしのぅ」


「そ、そうですよ! 私はそのギセーシャとかいう人とは全くの別人です! 私はあくまで神狼の巫女であり、ただの村娘と一緒にされるなんて……えっと……心外! そう、甚だ心外です!」


 わざと少し怒ったように言うギセーシャに、目の前の老婆はわずかに微笑んでから深く頭を下げる。


「確かに、これは失礼なことを言ってしまいましたな。謹んでお詫び申し上げます。ですがギセーシャはワシの可愛い孫娘。その行く末がどうしても気になりまして……ひょっとして巫女様ならばご存じではありませんか?」


「それは……」


 老婆の問いに、ギセーシャは言葉につまる。何かうまい言い訳がないか考えて、でも何も思いつかなくて……出した答えは、ありのままを伝えること。


「ギセーシャという少女は、もうこの世にはおりません」


「なんと!」

「ああ、やはりか……」

「むごいことじゃ……ああ、口惜しい……」


 ギセーシャの言葉に、村人達が一斉に表情を曇らせる。だが唯一顔色を変えることなくまっすぐ自分を見つめ続けている老婆に、ギセーシャは更に言葉を続ける。


「勘違いしてはいけません。その少女は死んだわけではなく、単にこの世から消えてなくなったのです。惨たらしく殺されたわけではなく、新たな命と使命を帯びて別人となり健やかに暮らしているのです。


 この村で育ったギセーシャという少女はもう存在しません。それと同時にこの村が生きるために差し出した犠牲者いけにえもまた存在しなくなったのです。だからどうか気に病まないでください。たとえ別のモノに成り果てたとしても、きっと彼女はこの村の人々の事を思い続けていることでしょう」


 失ったのはかつての自分。得たのは村を守る力と約束。今この時ギセーシャという少女の時間は終わり、今この時ミコミコムーンという新たな少女の時間が始まる。


「そうですか……では最後に、せめてもの我らの感謝の気持ちをお受け取りください。巫女様、どうぞこちらに」


「? はい、なんです……っ!?」


 老婆に手招きされ、近寄ったミコミコムーンの体を不意に老婆が抱きしめる。その細く皺だらけの腕にどうしてと思えるほど、その力は強く優しい。


「ああ、ああ! 何も聞かぬ。何も言わぬ! そうせねばならぬ事情があるなら、ワシが墓まで持って行こう。じゃから何かあったなら、いつでも戻っておいで。どれだけ在り方が変わろうとも、ギセーシャはワシの可愛い孫娘じゃ!


 ……もはや会うこと敵わぬ愛しいあの子に、どうかこの想いを伝えてくだされ。そしてあの子に贈るのと同等の愛を、巫女様に捧げまする。この年老いたオババの心を、感謝の気持ちとしてお受け取りくだされ」


「オババ様……っ!」


 ミコミコムーンの腕が、ギュッと老婆の体を抱き返す。


 この村が危機に襲われない限り、ミコミコムーンがここにやってくることはもう無い。ならばこれが今生の別れ。大好きな家族の温もりを深く心に刻み込むと、最後はミコミコムーンの方から手を離した。


「では、今度こそ私は去ります。でも忘れないでください。私はいつでも、皆のことを見守っています。だから……どうぞお元気で!」


 グッと涙を堪えて、ミコミコムーンが村人に背を向け走り出し――


「痛っ!? 何ですかワンコ様? あ!?」


「……巫女様? どうかなされましたか?」


 何故か小走りで戻ってきたミコミコムーンの姿に、目を赤くした老婆が戸惑いの声をかける。


「あの、すみません。すっかり忘れてたんですが、お願いがあったというか……私を信仰する証として、生贄の少女を送り出した場所の辺りに社を建ててもらえませんか? 厠とかそういう、生活するのに必要なものを合わせて……あ、お金とかはその場所に置いておくんで……」


「ぷっ……くは! ふぁっふぁっふぁっ!」


 しどろもどろに言うミコミコムーンに、老婆のみならず周囲にいた村人達が一斉に吹き出す。ひとしきり笑い終えると、老婆が先ほどまでとは打って変わった楽しげな表情で言った。


「お任せくだされ。神狼の巫女様に相応しい社を建てさせていただきますじゃ! それと定期的に食材や料理もお供えさせていただきましょう。オババ特製のイモ餡もおつけしますぞ」


「あ、あれ大好き! ……コホン。それはとても美味しいと聞いたことがあるので、是非お願いします」


「お任せくだされ。さあ皆の衆! 巫女様のために立派な社をこしらえるぞ!」


「「「おー!」」」


 村人達の唱和を背に、今度こそミコミコムーンはその場を走り去る。どうやら今生の別れは、もうしばらく先になりそうだった。

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