神狼の巫女、勝負を決める
「はぁ……はぁ……大体片付いた……かな……?」
如何に魔力で強化されたとは言え、所詮は村娘。ニックが影で浪漫について熱く語っている間にも繰り広げられていた戦いに肩で息をするギセーシャだったが、その戦局もそろそろ終盤を迎えようとしていた。
「グギュルアァァァァァ!!!」
「うわ、でっかい……!」
『あれがこのゴブリン達のボスなのだ!』
村の外周に倒れ伏す数十のゴブリンの死体。それを踏み越えて現れたのは、ひときわ大きなゴブリンだ。その叫び声にまだ生き残っていたゴブリン達が体を震わせ、その場から数歩下がっていく。
「グギュルルルルルルル……グガァァァァァァァ!!!」
「速っ!? 痛っ!」
他のゴブリン達より二回りほど大きいにも関わらず、そのゴブリンの踏み込みはギセーシャの予想を超えて速い。そのせいで回避が間に合わずやむなく攻撃を受け止めたギセーシャだったが、抜け毛の魔法パワーで防御力があがっているとはいえ、体術の心得など付け焼き刃にすら満たない。膝を使って衝撃を殺すことすらできず、もろに衝撃を受け止めたギセーシャの顔が苦痛に歪む。
「うぅぅ、痛い……でも、お返しっ!」
「ギュフ!?」
うっすらと目に涙を浮かべながら、ギセーシャは攻撃を受け止めた右手ではなく、左手をゴブリンの腹部目がけて突き出す。そうして手のひらから放たれた魔力弾はゴブリンを吹き飛ばすが……
「グギュルルルルルルル……」
「嘘っ、あんまり効いてない!?」
『多分アイツはホボゴブリンなのだ!』
「ほぼ!? ほぼゴブリンってどういうことですか!?」
『ホボゴブリンは、ゴブリンのちょっと強い奴なのだ!』
「ええ……? ほぼって、何が混じってるんだろう……」
ちなみに、ホブゴブリンはゴブリンの進化種であり、通常のゴブリンとは種族そのものが違う。対して現在ギセーシャ達が対峙しているのは純粋な上位種で、通常五〇匹前後の群れを率いるゴブリンチーフであり、単純な戦闘能力はゴブリンチーフの方がいくらか高い。
「えいっ! やあっ!」
『ちゃんと狙うのだギセーシャ! でたらめに撃っても当たらないのだ!』
「いえ、これで狙ってるつもりなんですけど……きゃっ!?」
『ギセーシャ!? 大丈夫なのか!?』
「あうぅ……だ、大丈夫です……」
かろうじてよけた棍棒が眼前の地面に打ち付けられ、その衝撃で尻餅をついてしまったギセーシャがお尻をさすりながら言う。それだけの隙を晒しながらゴブリンチーフが攻撃してこないのは、ギセーシャの使う攻撃の正体が掴めないことと、このまま普通に戦えば自分の勝利が間違いないと確信しているからだ。
『なあギセーシャ。やっぱり我が戦うか? 我がやればあんな奴一発だぞ?』
疲労の色が濃いギセーシャの顔を見て、ワンコが心配そうに言う。苦戦しているのはあくまで素人のギセーシャを無理矢理戦わせているからであり、ワンコが離れて攻撃すればそれこそ一撃で片が付く。
もっとも、攻撃をしてしまえばワンコの不完全な月食では正体を隠しきれない。だからこそやむを得ない防御以外で絶対に手を出すなと言われていたが、傷つき倒れるギセーシャを見てワンコの我慢は限界が近かった。
「……いえ、それには及びません」
だが、そんなワンコの気遣いをギセーシャは首を振って否定する。
「確かにワンコ様が戦えば、きっとすぐに片が付くのでしょう。でもこれは私が、村を守りたい私自身がやらなきゃいけない戦いなんです。だからお願いします、もう少しだけ私に力を貸してください」
『ギセーシャ……わかったのだ! 我はギセーシャの主だから、生贄のお願いはしっかり聞いてやるのだ!』
「ワンコ様……ありがとうございます」
ワンコの言葉に、ギセーシャは小さく笑う。そんなギセーシャの背中からも、彼女を応援する村人達の声が聞こえてくる。
「頑張れミコミコミーン! ……モーンじゃったか?」
「馬鹿、ムーンじゃムーン! ピコピコムーンじゃ!」
「いや、ミコミコムーンだろ? あれ? もふもふ? と、とにかく頑張れー!」
「うぅぅ……」
一度しか名乗らなかったせいか、微妙に名前が違う気がする。それでも自分を応援してくれている気持ちには違いはないので、村人達の期待を背負ってギセーシャは戦う。
「はぁ……はぁ……また魔力が……ワンコ様、おかわりをお願いします」
『わかったのだ!』
だがそれでも、実力の差は如何ともし難い。左の頬に新たな肉球マークを刻み、ギセーシャは大きく息を吐く。
(どうしよう? こっちの攻撃はあんまり当たらないし、当たってもそれほど効いてない気がする……でも向こうの攻撃は毛を巻いてるところで受けても凄く痛いし、段々よけるのも難しくなってる……)
『ギセーシャ、これでおかわりは二回したのだ。これ以上は無理だぞ?』
念のために確認したワンコの言葉に、ギセーシャは無言で頷く。身の丈に合わない膨大な魔力を扱うには、ギセーシャの体はあまりにも脆弱過ぎる。そのため今のギセーシャの体では魔力充填は三度……戦い始める前の一回に加え、二度のおかわりが限界だと言うのがニックとサビシの共通の見立てだった。
「わかってます。これで……決めます!」
そしてそれは、ギセーシャ自身が一番わかっている。二度目のおかわりをしたことで攻撃を受けていない部分もギシギシと痛みを発しているし、少しずつ頭痛も酷くなっている。
そして、魔力は使えば減る。つまり最後のおかわりをした今この瞬間こそが、ギセーシャが全力を出せる最後の一撃。
(大丈夫。怖くない……だって私はあの時に……)
「やぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
『ギセーシャ!? 何をするつもりなのだ!?』
フェイントも何もなく、ただまっすぐにゴブリンチーフに向かって走り出したギセーシャに、ワンコが思わず驚きの声をあげる。だがギセーシャは足を止めること無くただ全力でゴブリンチーフに向かって駆ける。
「グギャギャギャギャ……」
そんな愚直な突進に、ゴブリンチーフは嫌らしい笑い声をあげる。手にした棍棒を振り上げ、まっすぐに向かってくるギセーシャ目がけて思い切り振り下ろし――
(生贄に出たあの日の夜に……私は既に死んでいるんだから!)
「とどけぇぇぇぇぇぇ!!!」
「グギョォォォォ!!!」
ゴブリンチーフの腹に向かって、ギセーシャが両手を突き出す。だがそれが触れるよりも、ゴブリンチーフの振り下ろす棍棒がギセーシャの脳天に叩きつけられる方が大分早い。無情な現実は少女の命を散らすべく打ち下ろされ……そして棍棒が砕け散る。
「グヒョッ!?」
『フン、そんなの痛くも痒くもないのだ!』
たとえ姿が認識されずとも、ギセーシャの頭にはワンコの実体が乗っている。ギセーシャの体だからこそ攻撃が通じていたのであって、ゴブリンチーフの力では生きている月光狼にダメージを与えることなど未来永劫敵わない。
「いっ……けぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「グフッ!? ギュフォォォォォォォォ!!!!!!」
呆けるゴブリンチーフの腹に、ギセーシャの手が触れる。両手にこもった全ての魔力をゼロ距離から全力発射され、ゴブリンチーフの体が派手に吹き飛ばされた。そのまま近くの木に激突し……地に倒れ伏したその巨体は、もはや動くことはない。
「ギャウ! ギャウ!」
「グギャル!? ギャウゥゥゥ!」
狂乱した群れを率いていた個体が死んだことで、残ったゴブリン達が一斉に森の中へと逃げていく。可能であれば追いかけたいところだったが、今のギセーシャにそんな力は残っていない。その様子をじっと眺め……そして最後の仕事をするべく、震える足に力を込めて立つ。
「悪は滅びました! ミコミコムーンの勝利です!」
「「「わぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」」
ポーズを決めたギセーシャの宣言に、成り行きを見守っていた村人達から大きな歓声があがった。