神狼の巫女、名乗りをあげる
「おい、もっと火を焚け! とにかく明かりを確保するんだ!」
普段は静かな山の麓の村に、その日は喧噪が満ちていた。それというのも狩りに出ていた男達が、遠方からこちらに近づいてくる魔物の集団を発見したからだ。
「どうだい、様子は?」
「オババ様!? 何でまだこんなところに! さっさと避難してくださいよ!」
「ヒェッヒェッ。今更こんな年寄りが避難してどうするんだい。大してでかくもない村の倉庫は、女と子供でもう一杯だよ」
驚いて声を上げる村の若者に、長老はそう言って笑う。
「ほうじゃほうじゃ! それともこんな年寄りを助けるために冬の備えを捨てるのか? そんな馬鹿なこと言い出しおったら、このワシが拳骨をくれてやるぞ!」
「その通りじゃ! 昔みたいに泣いても尻たたきはやめてやらんからな!」
「じいさん達まで……」
一見すれば差別のような言葉だが、それを口にするのが追い出される側の老人達であれば、その覚悟に異を唱えることなどできるはずもない。自分が生まれたときから世話になっている老人達の言葉に、若者は呆れたような笑みを浮かべる。
「それより、お主こそ避難したらどうじゃ? 倉庫はもう一杯じゃが、長老の家なら多少は持つのではないか?」
「それこそまさかだよ。一番体が動く俺達が村を守らないで、誰が守るってんだ!」
「息巻きおってからに若造が! だが一番槍は譲れんぞ? 若いのはワシら年寄りの後じゃ!」
農具を手に意気をあげる若者達に、老人達はそういって一歩前に出る。勇ましく楽しげなやりとりだが、その実この場にいる全ての者は理解していた。今日この時が、自分たちの死ぬときだと。
狩人の言う話では、魔物の種類はゴブリンで、その数は少なく見積もっても五〇から六〇、実際にはまだまだ奥まで列が続いていたため、ひょっとしたら一〇〇を超えるかも知れないと言うことだった。
ゴブリン。村の若者が農具を手に一対一で戦うならば、十分勝機のある相手。そんなものが子供や年寄りまで含んだ村の総人口より大量に押し寄せるとなれば、どうなるかは目に見えている。
「バチがあたったんかいのぅ」
年寄り達の一人が、ふとそんなことを口にした。その顔に浮かぶのは死への畏れではなく、ただひたすらに後悔。
「あんな若い娘っ子を生贄にして助かろうとしたから、神様がワシらを見捨てたんじゃないだろうか?」
「さあのぅ。じゃがどうせ死ぬなら、あの時戦っておけばよかったのぅ。一人を差し出してのうのうと生き延びた挙げ句がこれなら、あの子を守って戦って死にたかったのぅ」
「いい加減にしないかい!」
後ろ向きな言葉ばかりを並べる老人に、この場で最も年を経た長老が一喝する。
「今この時ワシらが生きておるのは、ギセーシャが……ワシの孫がその身を賭して守ってくれたからじゃ! ならばワシらは最後まで抵抗し、一人でも多くを生き残らせねばならん! でなければあの子が何で死んだのか!」
「す、すまぬオババ様よ。ワシらが間違っておったわ」
「ほうじゃのう。あの時は逃げ帰っちまったが、今度は逃げる場所もない。ワシを食ろうたゴブリン共を、腹の中から突き破ってやるわい! カッカッカ!」
既に帰らぬ者となった娘の気持ちを思い、老人達の心が奮い立つ。
「きたぞー!」
と、そこに森の方から声があがる。生贄を出した日以来妙に静かだった山の奥から重く響く足音に、ある者は農具を、ある者は素手の拳を握りしめる。
「グギュルルルルルルル……」
現れたのは、背中が曲がった老人達と同じくらいの背丈の魔物。血走った目でこちらを睨み、大きな口からは涎がこぼれている。
「ホッ! 怖いは怖いが、あの魔物に比べりゃ屁でもないわい!」
「ほうじゃ! これならいくらでも戦えるぞい!」
「無理すんなじいさん達! くるぞ……っ!」
醜悪な緑の小人と村人達。その戦端が切って落とされようとしたまさにその時。
「そこまでよ!」
「何!?」
「グギャ?」
この場には一人たりとていないはずの、少女の声が辺りに響く。慌てて周囲を見回す村人とゴブリンの狭間に、頭上からヒラリと人影が舞い降りた。
「ここは偉大なる神狼の神域。貴方たちのような魔物がいていい場所じゃありません。今すぐに退きなさい!」
「グギュゥ……?」
「何だ、獣人……? いや、それにしちゃ半端な感じだけど……?」
それは人の姿をしていながら完全な人ではなかった。その頭には狼のような大きな耳が生え、その尻には白く輝くふさふさの尻尾が揺れている。おまけに顔の所は何だかもやがかかっているかのようで、表情はわかるのにすぐに印象がぼんやりと霧散してしまう。
「グギャア! グギャア!」
「そう、退かないのね……なら力ずくで排除します!」
「お、おいアンタ! 何だかわからないがすぐ逃げろ! お前みたいな子供が遊びで戦えるほど魔物は弱くないんだぞ!」
「大丈夫です。だって私は……えいっ!」
「ギャウ!?」
かけ声と共に、白銀の体毛に包まれた手の先を少女がゴブリンに向かって突き出す。すると先頭にいたゴブリンの体が吹き飛び、近くの木に叩きつけられた。
「魔法!? アンタ、魔術師か!?」
「それも違います。私はこの山を守護する神狼の巫女! 偉大なる神狼様の力をこの身に宿し、邪悪を打ち払う最強の戦士! その名は……その名は……うぅ」
名を名乗ろうと言うところで、何故か少女は言葉を詰まらせる。苦しそうに顔を歪め、何度も何度もためらい……だが遠くから見守る視線を感じて、少女は遂にそれを口にする。
「あ、愛と正義のもふもふ戦士、魔狼少女ミコミコムーン! 山で悪さをする魔物達は、月に代わってマルカジリよ!」
「わおーん!」
不思議なポーズを決めた少女の宣言と同時に、その頭部から狼の遠吠えが響く。それを見て聞いた村人達の反応は様々だ。
「お、おぅ……すげぇな、色々と……」
「カーッ! かわええのぅ! めんこいのぅ!」
「なんじゃ? 最近はああいうのが流行っとるのか?」
(うぅぅ、恥ずかしい……っ!)
(顔を伏せたら駄目なのだギセーシャ! 言われたとおり堂々としていないと、作戦が成功しないのだ!)
思わず顔を伏せそうになるギセーシャに、頭の上に乗ったワンコが声をかける。
今のギセーシャの本当の姿は、ギセーシャの頭の上にワンコがダランと乗っかった状態だ。頭と前足が頭の上に引っかかっているが、体は首筋から背中にかけて垂れ下がっており、脇の下辺りの高さでは尻尾がパタパタと揺れている。
本来なら月光狼の持つ月食の能力でその存在を完全に隠すところなのだが、ワンコの未熟な力ではそこまで認識をずらすことができず、その結果が幻の耳と尻尾の幻影による矛盾の修正、そしてギセーシャがどうしてもと最後まで譲らなかった顔のぼかしであった。
「何だかよくわからんが、とにかくかわええぞお嬢ちゃん! 顔はよくわからんが、きっとかわええ気がするぞ!」
「ほうじゃほうじゃ! ウチの死んだ婆さんの若い頃にそっくりじゃ!」
「ワシもあんな孫娘が欲しいのぅ……」
(凄いぞギセーシャ! ニックの言った通り、大人気なのだ!)
(そうですけど。そうですけど……うぅぅ……)
村人に好意的に受け入れられた時点で、作戦の半分は完了している。だが肝心のもう半分……魔物の撃退はまだ始まってすらいない。
「グギャァァァァァァァ!!!」
「あ、危ない!」
妙な熱気に当てられて動きを止めていたゴブリン達が、いよいよもってギセーシャ達に襲いかかってくる。村人の声に反応したギセーシャが白銀に輝く腕を振り上げると、ゴブリンの持つ粗末な棍棒が腕に触れた瞬間はじけ飛んだ。
「ギャフ!? グギュウァァ!」
「どうやら我慢が足りないようですね……なら神狼の怒り、思い知りなさい!」
突然武器が爆発して混乱するゴブリンに対し、ギセーシャは凄絶な笑みを浮かべて拳を握った。
月光狼の巫女なので、ミコミコムーンです。色々混じってる感じですが、一切の他意はありません。