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父、送り出す

『うむ、実にいい考えだ。では今すぐその発想を空の彼方に投げ捨て、貴様は黙って追加の肉を焼くがいい……おふっ!?』


 腰から聞こえた不躾な言葉に、ニックは無言で鞄を叩く。


『ええい、いいから我の言うことを聞くのだ! 貴様がその顔をしてそういうことを言う時は、大抵ろくでもないことを考えついた時なのだ! 叩くな! やめよ!』


『おいニック? さっきから何をやってるんだ?』


「あー、いや。何でもない。ちょっと蜘蛛の巣が絡んでいたのだ」


 無言でバスバスと鞄を叩き続けるニックに、サビシがいぶかしげな顔をする。ニックがそれを曖昧な笑みで誤魔化すが、魔物が村に迫っていると聞いたギセーシャはそれどころではない。


「あの、それより早く! 早く村に行かないと! 村のみんなが……」


「そう慌てるなギセーシャよ。儂もなんとなく予想はつくが……おいサビシよ。村にゴブリンの群れがやってくるのは、いつぐらいの話になる?」


『ん? そうだな。このままの速さで移動するなら、明日の夜くらいか?』


「やはりそのくらいか。なら時間的猶予は十分にあるから、まずは落ち着いて話を聞くのだ」


「はい……」


 今は既に夕方であり、ギセーシャからすれば今から避難するなら本当に着の身着のままで逃げるしかない状況だ。だがニック達からすれば、ゴブリンの群れなど瞬きする間に駆逐できる程度でしかない。その認識の差に戸惑うギセーシャの頭を優しく撫でると、ニックは少し前から思っていたことを口にした。


「では、魔物の対処だが、その前提として、この数日儂がギセーシャやワンコ達と過ごして感じたことから話したい。この二人の暮らしぶりを見ていて思ったのだが……やはりギセーシャがこのままここで暮らすのは無理ではないかと儂は思う」


『ええっ!?』


 ニックの言葉に、ワンコが驚きの声をあげる。


『そんなこと無いのだ! 我はギセーシャと仲良くやっているのだぞ!?』


「はは。それはわかっておるが、そういうことではない。色々と教えてはみたが、もっと根本的な問題として、特に鍛えているわけでもない村娘の体では、このような場所での長期滞在は難しいのだ。ましてやこれから冬に向かうのだしな」


『そうなのかギセーシャ?』


「それは……」


 ワンコのつぶらな瞳に見つめられ、ギセーシャは言葉を詰まらせる。今はよくてもわずかでも体調を崩せばおそらく自分はそのまま死ぬだろうということは、ギセーシャ自身が何よりもわかっていた。


『おいニック、どういうことだ? 俺に挑めるほどに強いニンゲン達が、こんな豊かな山の冬すら乗り越えられないはずがないだろう?』


「お主に挑んだのはかなり上位の冒険者達だぞ!? そんな者達と一緒にするな。と言うか、儂がここにいなかったらギセーシャは文字通りの生贄になっていたはずだ。その時のワンコの気持ちを考えてみよ!」


『うぐっ……』


 語気も荒いニックの声に、今度はサビシが言葉に詰まる。自分がこれまで出会ってきたニンゲンと、魔物としての常識を踏まえた結果、まさか安全な巣と豊富な餌があって冬を越えられない存在がいるなどとは思わなかったからだ。


『だが、ならばどうするというのだ?』


「一番いいのはここに職人を呼び、人が住める環境を整えることだ。だがそれをすれば遠からずここにワンコがいることが知れ渡り、腕に自信がある冒険者がやってくることだろう」


『そんなもの認められるか! お前には悪いが、息子の安全とニンゲンの命なら、俺は迷わず息子の安全をとるぞ』


 さっと体を起こしたサビシが、グルグルと威嚇するように喉を鳴らす。戦えば勝てないとわかっていても、ここで息子を見捨てるような選択肢はサビシには無い。


「お主も落ち着け。そんなことはわかっておるし、それを解決する方法こそが儂が今思いついたことなのだ!」


 無論、その答えはニックにも予想できたことだ。だからこそニックは自らの頭に浮かんだ素晴らしい思いつきに思わず顔をにやけさせてしまう。


『ほぅ。そんないい方法があるのか? ならさっさと話せ!』


『我も教えて欲しいのだ! ギセーシャとはこれからもずっと一緒にいたいのだ!』


「お願いしますニックさん!」


「いいとも。だがその前に……ギセーシャよ。これから話す作戦には、お主の努力が必要不可欠となる。明日の夜、村に魔物が押し寄せるまでに儂の教えることをきっちりと出来るようにならねばならんし、何よりお主には大きな犠牲を払う覚悟をしてもらわねばならん。


 どうだギセーシャよ。それでもやってみるか?」


 腰を落として視線の高さを合わせ、ニックがまっすぐにギセーシャの顔を覗き込む。


「犠牲……それは私だけですむ話ですか?」


「そうだ」


「だったら――答えは決まっています」


 目を伏せほんのわずかに逡巡したギセーシャが、それでもまっすぐにニックを見返して言う。


「私の覚悟は、生贄に選ばれたその時から決まっています。ワンコ様が思っていたのと違う、ずっと素敵な神狼フェンリル様だったおかげでこうして生きながらえていますけど、本来なら私はあの時死んでいたはずなんです。


 そんな私の努力で、私だけが犠牲を払うことで村を、そしてワンコ様を救えるのであれば、私は何でもします。どうかその方法を教えてください」


『いいのかギセーシャ!? 我はギセーシャに辛い思いはさせたくないぞ? おいニック、オマエ我のギセーシャに何をさせるつもりなのだ!』


「そう怖い顔をするな。そりゃ体を動かすから痛かったり苦しかったりはするかも知れんが、そう酷いことをするつもりはないぞ?」


『いい加減勿体つけるな! お前はこの娘になにをさせるつもりなのだ!』


 そろそろしびれを切らしてきたサビシに、ニックはニヤリと笑って答える。


「では説明しよう。これが儂の考えた作戦だ!」





「どうした? 動きが甘いぞ、もう一回だ!」


「はいっ!」


 ニックの話した作戦は、ギセーシャにとってかなり厳しいものだった。自分に出来るとは思えず、また可能であればやりたくないことでもあったが、ニックからその必要性を力説され、かつ自身が「出来ることは何でもやる」と言ったこともあり、今は必死にニックから特訓を受けている。


『頑張るのだギセーシャ!』


『こら、気を散らすな息子よ! ニンゲンを心配している暇はないぞ!』


『キャイン! うぅ、わかりました父上。我も頑張るのだ……』


 そしてその隣では、自分もギセーシャの力になりたいと申し出たワンコがサビシから月光狼ムーンウルフとしての力の使い方を教えられている。まだ一歳のワンコが覚えるにはかなり早い内容なため進捗は思わしくないが、隣で頑張るギセーシャの姿に励まされ、ワンコもまた努力を重ねる。


 だが、時の流れは無情であり残酷だ。一日にすら満たない特訓の時間はあっという間に過ぎ去り、魔物が村を襲うまで、猶予はおよそ一時間。最後の休憩を互いに身を寄せ合ってとったギセーシャとワンコは、神妙な面持ちでニック達の前に立った。


「では、今から作戦を開始する。ギセーシャよ」


「はい」


「儂がお主に教えられることは、時間の許す限り教えたつもりだ。それでも完璧にはほど遠く、成功しても失敗してもお主は大事なものを失うことになるだろう。


 故に、今一度だけ問おう。全てを捨てて逃げるのではなく、未来を得るために犠牲を踏み越え戦う意思はあるか?」


「あります」


「何故だ? お主を生贄として差し出した村だぞ?」


 意地悪なニックの問いに、しかしギセーシャは微笑む。


「確かに私は村を救うための生贄に選ばれました。でも、私は村の人達を恨んでなんていません。だってみんな、私のために泣いてくれたんです。その人達をこれ以上泣かさないために、私は生贄になったんです。


 守りたい人達がいて、守ろうとしてくれた人達がいて、でもどうしようもない現実があって……あの時は受け入れるしか無かったけれど、今はそれを変えられる機会を得られました。なら私はそれに全力を尽くしたい。それが私の……生贄であるギセーシャとしての、きっと最後の望みだから」


 覚悟のこもった強い瞳と、透き通るように透明な笑顔。その有り様を見て、ニックもまた笑みを返す。


「わかった。ならば存分にやってくるといい。儂等は見守ることしかできんが、その全てを見届けると約束しよう」


『お前も頑張ってくるのだぞ息子よ』


『わかりました父上! 神狼フェンリルの名に恥じないよう頑張ります!』


『お、おぅ、そうだな』


「それでは、ニックさん。サビシ様」


『行ってくるのだ!』


 完成にはほど遠い幼く未熟な力を携え、迫る運命に抗うために、子供達が戦場へと旅立っていく。それがギセーシャという少女が生きた、最後の時間となった。

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