孤高の魔狼、名前を得る
明けて、次の日の朝。旅立ちの準備を整えたニック達の前には、しょんぼりと尻尾を垂れ下がらせる巨大な狼の魔物の姿があった。
『もう行ってしまうのか? せめてもう何日かゆっくりしていけばいいだろうに』
「ははは。儂だけならばそうしてもいいのだが、娘達が一緒だからな。まだまだやるべき事は多い。すまんがここに留まり続ける訳にはいかんのだ」
『そうか……』
「もーっ! そんなでかいナリして情けない顔するんじゃないわよ!」
あからさまに落ち込む巨狼に、フレイが頭をガリガリと掻きながら言う。
「別にこれが最後ってわけじゃないでしょ!? そのうちまた会いに来るわよ」
『本当か!? 本当にまた来てくれるのか!?』
「当たり前でしょ! アタシは勇者! 嘘なんかつかないんだから!」
力強く断言するフレイの言葉に、巨狼は大きく尻尾を振りながらニックの方に顔を向ける。ニックがゆっくりと頷いたことで、その巨大な口が嬉しそうに開いた。
『そうか! また会えるのか! ……オマエ達は俺を殺さないのだな。魔物の俺を。オマエ達の同胞を殺している俺を』
それは当然の疑問。昨夜の会話を聞いていたからこそ、巨狼は今日この場で殺されることも考えていた。自分に最後を突きつけるのがこのニンゲン達であるなら、それはそれでいいかも知れないと思いながら。
だが、そんな巨狼にフレイは大きなため息をついて答える。
「ハァ……殺さないわよ。今この場でアンタを殺したりしたら、あとで凄く後悔しそうだし。あ、でも、アンタが悪さをすれば別よ? その時は世界中どこにいても絶対に駆けつけて、必ずこの手で仕留めるから!
それが今のアタシの結論。だからアンタも約束しなさい。襲われても無抵抗でいろとは言わないけど、自分からは絶対に人を襲わないって。できる?」
真剣な顔で見つめるフレイに、巨狼もまたまっすぐにその目を見つめ返す。
『わかった。約束しよう。いつかくるその日に、誇りを持ってオマエ達と再会するために!』
「よし! 信じるからね!」
「いいのぉ? ニック?」
巨狼と約束を交わすフレイの姿に、側にいたムーナがそっとニックの方を伺う。それに対し娘と魔物の姿を見守るニックは、ただ優しく微笑むのみ。
「いいも悪いもないわ。儂がすべきは娘の決断に水を差すことではなく、その結果を見守り、いざという時に責任を背負うことだけだ」
「そぉ。貴方がいいなら、私も構わないわぁ」
「さて。じゃあアタシ達は行くわ。アンタも……ねえ、今更だけどアンタ名前とかって無いの?」
別れの挨拶をしようとして、ふとフレイがそんなことを口にする。だが問われて答えられる名前など巨狼には無い。
『名か。ニンゲンがそれぞれに名を持つのは知っているが、俺に名をつける奴なんていなかったからな』
「そっか。ならそうね……アンタの名前はサビシよ!」
『サビシ? 何故だ?』
巨大な首を傾げる狼に、フレイは悪戯っぽく笑いながら言う。
「冒険者ギルドでは、アンタのこと『孤高の魔狼』とか呼んでるのよ。月光狼なのに群れを作らない、強力な魔物だって。でもアタシ達との別れを惜しんで寂しがってるアンタにはそんな大層な名前は似合わないでしょ? たった一匹で生きる、寂しそうな魔狼、サビシガルムがアンタの名前よ!」
『何だそのふざけた名前は!? この俺が寂しそうだと!?』
「あら、違う? だったら……何で泣くの?」
巨狼の目から、大粒の涙がこぼれる。そのまま巨狼……サビシは天を仰ぎ、その口がひときわ大きな遠吠えを発した。
『いいだろう! 我が名はサビシガルム! この地を支配する孤高の王者にして、勇者に名付けられた唯一の魔物だ!』
「アォォォォォォォン!!!」
「あっ……」
森全体に響き渡る喜びの声に、ニックとムーナは静かに耳を傾ける。そんな中フレイだけは、ずっと昔に村の外れて見つけたノライムに「ぷにょぷにょ」と名付けていたことを生涯秘密にすることを決めるのだった――
『あの日の出来事があったからこそ、俺は孤独から救われた。オマエ達を見て家族もいいものだと思ったから群れに戻って番を見つけたりしたし、自分も子供を作ろうと思ったのだ。
だが、まさか……まさか子供が俺の力を引き継いでいるとはな……』
懐かしく大事な思い出を語り終えたにも関わらず、サビシの顔が苦しげに歪む。
『正直、俺は自分の力が子供に引き継がれるなんて思ってもみなかった。俺が番に選んだメスは当然普通の月光狼だし、生まれてくる子供も同じように普通の月光狼だと思ったんだが……生まれてすぐにわかったよ。我が子は俺と同じ力を持っているってな。
だからこそ、俺はすぐに子供を連れて群れを飛び出した。番に選んだメスだけを連れて、かなり強引にな。
そしてその際に俺達は神狼だということにした。いずれはそうではないと気づく日がくるだろうが、そうでも言わないと群れから外れている理由が思いつかなかったからな』
「むぅ、何故だ? 当時のお主が辛い思いをしたというのはわかったが、今のお主が側についていればどうとでもなったのではないか?」
サビシの言葉に、ニックは首を傾げて問う。その地にて最強の存在であるサビシが父として寄り添うなら、その息子であるワンコが無碍に扱われるとは思えなかったからだ。
『いや、駄目だ。お前もわかっていると思うが、我が息子であるシロノワンコは言葉を話すだけでなく、その力も生まれたばかりにしては強烈に強い。そんな異質な存在である息子を力ずくで群れに馴染ませたりしたら、今度は月光狼の方がおかしくなってしまうのだ。
群れの序列がただ強いだけの仔狼に崩されたら、まともな狩りすらできなくなってしまう。飛び出した当時はともかく、俺は別に同胞を恨んでいるわけではないし、ましてやそれを壊したいわけじゃないからな』
「なるほど。それは確かにあるかも知れんな」
サビシの言葉に、ニックは大きく頷く。それは例えば幼い頃の娘が「自分は強くて特別だからみんな従え!」と無理矢理城の兵士達に混じるようなものだ。軍人としての知識や経験のない娘がそんなことをすれば、どんな酷いことになるかは想像に難くない。
『そんなわけだから、俺は世界各地をこっそりと調べて回り、元の場所から遠く離れたここを息子の縄張りとすることに決めたのだ。ここなら息子の敵になるような魔物はいないし、そう目立つこともないからな』
「ふーむ。では生贄は? 何故そんなものを要求させた? あれはお主の指示なのであろう?」
『ああ、それは単純に俺にとってのオマエ達のような存在を、息子にも与えてやりたいと思ったからだ。きちんと言葉を交わせる相手と過ごさせねば、息子もいずれただ強いだけの月光狼に成り下がってしまうかも知れない。
だが俺にしてもニンゲンに世話を頼む方法などわからんし、なら生贄辺りが丁度いいと思ったのだ。生贄なら他のニンゲンに見捨てられた存在だから他者との繋がりが薄いだろうし、ずっと息子の世話をさせても問題ないからな』
「生贄に年若い娘を指定したのは?」
『若いと指定したのは、未熟なニンゲンでなければ息子が騙されたり言いくるめられたりする可能性があったからだ。娘を指定したのは、そっちの方が生贄にしやすいと聞いたからだな。メスよりオスの方が貴重なのだろう?』
「それは……まあ否定はできぬが」
小さな村であれば、嫁に出すしかない娘より働き手として家に残る息子の方がどちらかと言えば重要視される。親としてはそんなことはないと言いたかったが、現実としてその傾向があることはニックにしても認めざるを得ない。
『まあつまりそういうことだ。いくら何でも早すぎる親離れは俺としても断腸の思いではあったが……かといってここに俺が長期間留まりすぎると、そっちの方が騒ぎになるだろうしな。ここに息子がいると知れてニンゲンに襲われるようになることこそが、俺にとって一番警戒すべきことなのだ。
だからニックよ……』
「わかっておる。儂とて問題が起きない限りは、他言するつもりはない」
ニックの言葉に、サビシはあからさまにホッとしてファサりと尻尾を揺らした。
『そうか。感謝するぞ友よ……また会えて嬉しい』
「ああ、儂も嬉しいぞ。友よ」
誰もが恐れる金貨五〇〇〇枚の賞金首、孤高の魔狼はその巨体をニックに寄り添わせ、己の尻尾を巻き付けた筋肉親父に嬉しそうに頬ずりをした。