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孤高の魔狼、聞き耳を立てる

「と言っても、その様子では話すのも厳しいか。ならまずはこれだな」


 当時はまだロンが勇者パーティには加わっていなかったため、ニックは魔法の鞄ストレージバッグから高価な回復薬を幾つも取り出し、無造作に巨狼の体にかけていった。すると無数にあった深い傷があっという間に癒えてゆき、もはや巨狼の体に残るのは大量に血を失ったことによる倦怠感だけだ。


『これは……ニンゲンがたまに使っていた不思議な水か。今までは見ているだけだったが、これほど凄い物だったとは!』


「ははは。まあそれなりにいい品だからな。で、どうだ? 流石にすぐに体を動かすのは無理だろうが、これなら話くらいはできよう?」


『できるが……いいのか? 俺の傷を癒やしたりすれば、再び俺に襲われるとは思わなかったのか?』


 グルルと低く唸りつつ牙を見せる巨狼に、しかしニックはニヤリと笑って返す。


「ハッ! お主が戦いを望むというのなら、この儂が幾度でも相手になろう。だがもう一度問おう。お主は本当に戦いたかったのか?」


『…………違う。俺は……俺は話がしたかった。誰かと、話をしたかったんだ』


 たとえ生まれ持った能力であっても、使わなければ退化する。誰とも言葉を交わせぬ環境のなかで、巨狼は自らの言葉を操る能力が少しずつ失われていく恐怖を感じていた。


 だからこそ、言葉を話す存在……ニンゲンとの出会いは巨狼にとって衝撃だった。ニンゲンをつなぎ止め、言葉を交わす手段が戦いの中にしかないのなら、それを躊躇うつもりもなかった。


 だが、戦いの中で交わせる会話などたかが知れている。同じようなやりとりばかりを繰り返すことで、いつしか巨狼はまともに会話することを諦めていた。気がつけば戦いこそが目的なのだと勘違い・・・をし始め、だと言うのに勝利した後……もはや言葉を話さぬ骸となったニンゲンを前に、巨狼は喜びではなくいつも寂寥感を感じていた。


「ならば存分に語ろうではないか。儂がいくらでも話し相手になってやる。ああ、勿論そこにいる儂の娘や仲間もな。おーい、フレイ! ムーナ!」


 ニックの呼ばれて二人の人間が追加で巨狼の前にやってくる。そうして始まった会話……生まれて初めてのまともな交流は巨狼にとって夢のような一時であり、その語らいは夜遅くまで続いた。


 そしてその日の夜。語り疲れた巨狼が眠り、ニック達もまたそのすぐ側で野営をしていた天幕の中。ニックの隣で横になっていたフレイが、不意にニックに話しかけた。


「ねえ、父さん。ちょっといい?」


「ん? 何だフレイ」


「父さん、何であの魔物を助けたの?」


 暗い天幕の中に響く、小さいがはっきりした声。暗闇の向こうでまっすぐに自分を見つめる瞳が、ニックにははっきりと見えた。


「何故と言われると、あの時あの魔物に語った理由が全てだな。意思疎通ができる相手で、かつ本心から戦いを望んでいるわけではなさそうだったから……と言ったところか」


「でも、あの魔物は冒険者を沢山殺してるんだよ? アタシ達の前に依頼を受けた人達だって……」


 巨狼が「殺した」と明言した冒険者達は、ニック達の知り合いというわけではない。だがそれでも人を食い殺したという魔物を前に仲良く話しをするというのは、フレイにとって強烈な違和感を覚える行為だった。


「そうだなぁ。もしあの魔物が冒険者達と戦っている最中に儂がやってきたなら、迷わず冒険者達を助けただろうな。そうであればあんな風に話をすることは出来なかったかも知れぬ……というか、おそらくは殺していたであろうな」


「なら、何で? ほんのちょっと出会い方が違うってだけで、そんなに対応が違うものなの?」


「ふむ……なあフレイ。ならばお主はあの魔物を殺すべきだと思うか?」


「それは……」


 ニックの問いかけに、フレイはわずかに沈黙する。勇者とはいえまだ一五の娘の頭の中では、未だ未熟ながらも色々な思いが駆け巡っている。


「正直、わかんない。話してみて、あの魔物がそんなに悪い奴じゃないってことはわかった。でもアイツは魔物で、人だって殺してる。そう考えれば殺すのが当然だと思うし、ここで生かしておいたらこれからだって犠牲が増えると思う。


 だから……でも……」


「決めきれない、か?」


「うん……駄目だよね。アタシ勇者なのに」


 自嘲するような声を出すフレイに、しかしニックは言い返す。


「違う。それは違うぞフレイ。勇者だからこそ、お前はそれを迷わねばならぬ。そういう思いもあったからこそ、今回儂はあの魔物と会話をしたというのもあるのだ」


「父さん……?」


「なあフレイ。人が魔物と戦うのは何故だ?」


 ニックの言葉に、フレイはコテンと首を傾げる。


「何故って……そりゃ、生きるため、とか?」


「そうだな。襲ってくる相手を倒すのは当然だ。己の身を守るのに悪いも何もあるまい。他には食うために獲物を狩るとか、金を稼ぐ為に殺すのも結果としても生きるためであるから、まあ当然だな。


 つまり、人が魔物と戦うのは生きるため……魔物だから戦っている・・・・・・・・・・わけではないのだ」


「っ!?」


 それはフレイにとって、衝撃的な言葉だった。勇者として魔物や魔族を倒し、人族に勝利をもたらす。それこそが勇者の使命であるという考えを、フレイはただの一度も疑ったことなどなかったからだ。


「今回お前が感じた迷いの一番の理由がそれだ。あの魔物が『魔物でなかったら』と考えたらどうなる? 自分の住処に金目当てで押し入ってくる強盗に暴力を振るわれ返り討ちにしただけと言えば、あの魔物を殺す理由があるか?」


「でも! それは……そんなこと言ったら、アタシ達だって……」


「そうだ。魔物側からすれば、何もしていないのに自分たちを殺して金にしていく極悪非道の『ニンゲン』なのだろうな。


 だが、それを悪と呼ぶのかと言えばまた別だ。さっきも言った通り、生きるために戦うのは当然。そもそも我らは殺した相手の肉を食らって生きているのだから、戦い殺し奪うことは世の必定。そこに善だの悪だのと呼び名をつけたのは、それこそ人のエゴでしかないのだ」


「なら、正義って何!? アタシは何のために戦ってるわけ!?」


 思わず叫ぶような声をあげて、フレイが勢いよく半身を起こす。そんな娘にニックは自らの腕を伸ばすと、そっとその身をもう一度横たえさせた。


「それを知るためにこそ、今旅をしているのであろう?」


「そう、か……そうなんだ……」


 ニックの大きな手で頭を撫でられ、高ぶっていたフレイの気持ちが落ち着いていく。いつもならばちょっとだけ文句を言いたくなる子供扱いも、今だけはとても心地よかった。


「もしお前がただの村娘や冒険者なら、こんなことを考える必要はなかっただろう。だがお前は勇者だ。今はまだ未熟でも、いずれは儂など足下にも及ばぬほど強くなり、その剣の振り方ひとつで何千何万という命の行く末を決めることになる。


 だからこそ、お前は考えなければならぬ。悩み迷い、後悔のない決断を下せるようにな。


 何を助け、何を守り、何を奪い何を殺すのか。そこに絶対の正義や正解などというものはないし、その決断を自分以外に委ねてはならん。他者に責任を押しつければ確かに楽ではあるが……それをした瞬間、お前は勇者という名の殺戮兵器に成り果てることだろう」


「うわぁ、それは嫌だな」


 真面目な顔で語るニックに、フレイは顔をしかめて見せる。言われるまま、求められるままに剣を振るって魔物を……『敵』と称される相手をひたすらに倒すだけならば、それは確かにただの兵器だ。そんなものが勇者であるとは、フレイ自身も思いたくない。


「でも、出来るのかな? アタシにそんなこと……本当に決められるかな?」


「出来るとも。なに、焦る必要はないのだ。お前は決して一人ではない。儂もムーナもお前を支えるし、旅の途中で出会った者のなかにもお前の力になってくれそうな者はいたであろう?


 困った時は相談すればいい。悩んだときは共に考えよう。迷惑などいくらかけても構わんし、失敗したときは尻拭いをしてやる。お前の尻など生まれたときから拭いまくってきたからな」


「馬鹿! サイテー!」


 ニヤリと笑ったニックの頬に、フレイの張り手が炸裂した。ペチンと小さな音が響き、親子は顔を見合わせて笑う。


「大丈夫。お前ならばできる。儂とマインの自慢の娘であるお前ならな」


「ありがと父さん。でももし……もしアタシがくじけたら、その時はどうするの?」


「ん? そうだなぁ……励ますかも知れんし、休ませるかも知れん。儂にとっては世界平和だの勇者だのは二の次だからな。お前が幸せであることだけが、儂が望む唯一の未来だ」


 勇者むすめが漏らしたわずかな弱音。その逃げ道をニックは塞いだりしなかった。腕の中に感じる最愛の温もり。それ以上に大事なものなどこの世にあるはずがないし、それを守る為ならばニックは拳を振るうことを躊躇わない。たとえ相手が神でも悪魔でも、同じ人間であったとしても。


「さあ、もう休め。明日もまた早いからな」


「うん、わかった。お休み父さん……」


 安心しきったフレイの声が微睡みに沈んだのを確認すると、ニックは娘を隣に寝かしつけ、自らもまたその目を閉じる。





 そしてそんな父娘のやりとりを、巨狼はその身を横たえながらじっと聞いていた。

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