生贄少女、対面する
なんと今作品が「第七回ネット小説大賞」の二次選考も通過致しました! 読者の皆様の応援パワーが留まるところを知らないようです(笑) と言うことでまだまだ頑張りますので、引き続きブクマ・評価等の応援を是非とも宜しくお願い致します。
時はわずかに遡り、こっそりとニックが巣の整備に向かってすぐの事。膝の上でクテンとなったワンコに対し、ギセーシャは丁寧に毛繕いをしていた。
「どうですかワンコ様?」
『わふぅ、気持ちいいのだー』
優しく指で毛の流れを整えていくギセーシャに、ワンコがうっとりしたような声を出す。ぱたりぱたりとゆっくり揺れる尻尾は、リラックスしている証拠だ。
「それにしても、今日も随分と毛が抜けますね」
『今は丁度毛の生え替わりの時期なのだ。夏のもふもふから冬のもっふもっふに替わるのだぞ!』
「ああ、そうなんですね。いいなぁ、温かそうで」
『そうなのだ! 凄く凄く温かいのだ!』
楽しげに語るワンコに、ギセーシャもまた笑みをこぼしつつ毛を梳いていく。その脇には抜けた毛が集められており、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。
『ところでギセーシャ。この前も集めていたけど、その抜けた毛はどうするのだ?』
「ああ、これですか? 手触りもいいし温かそうなので、何かに使えないかと思いまして」
よほどの金持ちか貴族の生まれでもなければ、服のほつれを繕うための裁縫技術は年頃の娘の必須技能だ。当然ギセーシャも身につけており、出来れば何処かで布を手に入れ、この抜け毛を詰めて枕を……更に量が集まるならば布団を作りたいと考えていた。
『そうなのか? そんな抜け毛をどうするのかは知らないけど、好きにすればいいのだ。でも何かいいものが出来たら我にも見せて欲しいのだ!』
「ふふ、勿論です。頑張ってみますね」
今のワンコの一言で、小さなぬいぐるみのようなものを作ってみるのはどうかとギセーシャは思い浮かべる。子犬のぬいぐるみと少女のぬいぐるみを隣り合わせて飾れたら、きっと素敵な飾りになることだろう。
「さ、それじゃ毛繕いを続けますから、そのままじっと――っ!?」
不意に、膝の上に寝そべっていたワンコの体が跳ね起きた。そのままフンフンと鼻を鳴らしたり、ピクピクと耳を動かしたりしていく。
「ワンコ様!? どうしたんですか?」
『凄く強い気配がこっちに向かってくるのだ! これは……』
ワンコがそう呟いた瞬間、ギセーシャの世界が突然暗くなった。慌てて空を見上げれば、そこにあったのは……
『ここに居たか、息子よ』
『父上!』
音もなく現れた、見上げるほどの巨大な狼。その圧倒的な存在感に、ギセーシャは呼吸をすることすら忘れ呆然とその姿を見上げることしかできない。
だが、ワンコは違う。父と呼んだその巨狼の側に一目散に走り寄ると、すぐにその正面でちょこんとお座りの状態になった。
『父上! どうしたのですか?』
『うむ。お前の事が気になって、ちと様子を見に来たのよ。ここでの生活はどうだ?』
『はい、とっても楽しいです! ただ、狩りはあんまり楽しくないです……』
『ははは。魔物も獣もこの辺にいる奴らではお前の相手にはならんだろうからな。まあそう言う場所を選んだのだが……それで息子よ。その娘は?』
「ひっ!?」
巨大な狼の巨大な瞳に見つめられ、ギセーシャが思わず悲鳴をあげる。出会ったときのワンコのようにむやみに威圧を発しているわけではないのだが、見た目が可愛いワンコと違い、巨狼はただそこに在るだけで押しつぶされそうな重圧を感じざるを得ない。
『この娘はボクの……じゃない、我の生贄です! 父上の言う通りにして手に入れました!』
『そうかそうか。しかし随分と変な格好をしているな? おい娘、貴様何故そんな服を着ているのだ?』
ギセーシャの服は、この世界の村娘が一般的に着ているような服とは大きくかけ離れている。これは村の人達、とりわけギセーシャの育ての親である長老が生贄として食い殺されてしまう娘に、せめて最後の晴れ姿を……と考えて着せたという理由があるわけだが、当然それをこの巨狼が知るはずも無い。
「あ、あの…………」
『どうした? この俺に答えられないようなことなのか?』
「ち、ちが、その……」
人のように口から言葉を発しているわけではないのに、巨狼がぱっくりと大きな口を開いてギセーシャに迫る。鋭い牙の生えそろった血のように赤い口内が眼前に広がり、生暖かい風が頭どころか体全体を包み込み、そのまま口を閉じれば即座に自分などまる飲みされてしまいそうで……
『父上! ギセーシャは我の生贄なのだ! あまり怖がらせては駄目なのだ!』
『む……』
今にも気絶しそうだったギセーシャを見て、ワンコが溜まらず声をかける。それを聞いて巨狼はわずかに体を離し、遮られていた冷たい秋の風が頬を撫でたことでギセーシャもいくらか冷静さを取り戻すことができた。
「ワンコ様……ありがとうございます……」
『気にしなくていいのだ。ギセーシャは我をお世話する大事な生贄だからな!』
どうにか呼吸を落ち着けてお礼の言葉を口にしたギセーシャと、尻尾を振りながら答えるワンコ。だがこの二人のやりとりを見て、巨狼の放つ気配が変わる。
『ワンコ……ワンコ様だと!? おい息子よ、お前まさかこの人間に名前を教えたのか!?』
『えっ!? 教えたけど……教えちゃ駄目だったのですか?』
『当たり前だ! 父の教えを忘れたか!』
『キャン!?』
巨狼の発した怒鳴るような念話に、ワンコが耳と尻尾をぺたんと垂れ下がらせながらその場に伏せる。
「ワンコ様!?」
『動くなニンゲン!』
「ひっ!」
そんなワンコに駆け寄ろうとしたギセーシャだったが、巨狼の恫喝にその場でしゃがみ込んでしまう。ただの言葉であるというのに、まるで全身が縄で締め付けられているかのように苦しい。
『全く嘆かわしい! 我ら神狼は誇り高い孤高の種族! なればこそその名は真に心を許した相手にしか伝えることを許さぬと言ったではないか! それを出会ったばかりの、しかも生贄の娘に教えるなど! 一体全体どういうつもりなのだ!』
『ち、父上が最初が肝心だって……だから仲良くなれるように……』
『仲良くだと!? くっ、そもそもお前がニンゲンの膝の上で毛繕いをされていた時点でおかしいと思ったのだ。まさかこうも早く息子が取り込まれるとは……だが俺が来たからにはそうはいかん。我が息子を意のままに操れるなどと思い上がるなよ、ニンゲン!』
「そ、そんな!? 私は決してそのようなことはいたしません! ただワンコ様に喜んで貰いたい一心で――」
『黙れっ! 薄汚いニンゲン言葉など誰が信じるか! 恐れ、敬い、崇め奉って仕えているというのなら問題なかったが、これほどまでに己の分を弁えぬというのなら、ここはひとつ厳しく躾けてやらねばならんな』
『父上!? 何をなさるおつもりですか!?』
『お前は黙っていろ。さあニンゲンよ。我が咆哮によってその魂に恐れを刻むがよい!』
『父上、待って――』
『グォォォォォォォォ!!!』
「ひぃぃ!?」
『キャイン!?』
それは音ではなく、圧倒的な意思の本流。それ故に耳ではなく頭に、心に直接響き、ギセーシャの魂は嵐の海に放り出されたかのように激しく揺さぶられる。その隣ではワンコが何とかギセーシャを助けたいと思っていたが、父の言葉の前では怯えてその場に伏せることしかできない。
永遠のような一瞬。心が壊れてしまいそうな恐怖にギセーシャが必死に目を閉じ耐えていると――
「やはりお主か」
『むぅ? 誰だ馴れ馴れしい。この俺を誰だと――っ!?』
木々の奥から投げかけられた言葉に、巨狼が煩わしげに顔を向ける。だがそこに立っていた筋肉親父の姿を目にして、巨狼の表情が驚愕に歪んだ。
『げぇっ!? 貴様、ニック!?』
「おう、儂だ。久しいなサビシよ」
自らの名を呼んだ巨狼に、ニックはニヤリと笑って名を呼び返した。