父、着いていく
『よーし、それじゃそろそろ我の巣に向かうのだ!』
ほんの少し人の少女と打ち解けることに成功した魔物の子は、くるんと丸まった尻尾をふりふり、上機嫌で歩き出す。その後を少女が着いていき、ニックが歩くのは最後尾だ。
『巣に着いたら、娘には早速仕事をしてもらうぞ! あとそこのニンゲン! 何だか知らないけど着いてくるなら一緒に働いてもらうぞ!』
「わかりました。頑張ります!」
「うむ! 力仕事なら任せておけ!」
胸の前で可愛く握りこぶしを作る少女と、ニカッと笑って力こぶを見せる筋肉親父。二人のやる気のありそうな態度に、魔物の子の尻尾の勢いが一段階増す。
『ふっふっふ。こんなに簡単に生贄が手に入るなんて、やっぱり我は凄いのだ! そんな凄い我のために働けるのだから、オマエ達はちゃんと我に感謝するんだぞ!』
「はい、神狼様……あ、そうだ。ひとつ聞いても宜しいでしょうか?」
『ん? 何だ?』
ギセーシャの言葉に、魔物の子が足を止めて振り返る。そこに感じる圧力は依然と変わらないはずなのに、いつの間にかギセーシャはそれを恐ろしいとは思わなくなっていた。
「神狼様には、お名前はあるのでしょうか?」
『名前? 勿論あるぞ! 父上が名付けてくれた最高に格好いい名前があるのだ!』
「そうなんですか。それは教えていただいたり、その名前でお呼びしたりするのは……?」
『別にいいぞ? 我の名はシロノワンコだ! でもちょっとだけ長いから、普段はワンコでいいぞ』
「ワンコ様ですね。申し遅れましたが、私はソコの村の村人で、ギセーシャといいます。改めて宜しくお願いしますね、ワンコ様」
「儂は銅級冒険者のニックだ。宜しくな!」
『ギセーシャにニックだな? 覚えたぞ! 我は賢いから名前くらいすぐに覚えちゃうのだ!』
「凄いです! 流石ワンコ様ですね!」
『ふふーん!』
ギセーシャに褒められ、ワンコの尻尾がいよいよ勢いを増してくる。見惚れるほどに美しい白銀の毛並みや対峙するだけで死を予感させる威圧感こそあるが、単純な見た目や仕草はほぼ子犬そのものだ。
そのまま弾むような足取りで先導するワンコに着いていくと、程なくして一行は山の斜面に空いた小さな洞穴の前にたどり着いた。
『着いたぞ! ここが我の巣だ!』
「ここ、ですか……?」
『何だギセーシャ? 我の巣が何か変か?』
「いえ、そんな! ただ神狼様が住むというのなら、もっと凄い場所を想像してしまって……」
『うっ!? し、仕方ないだろ! 一週間でそんな、そんな凄いものはできないのだ! それにここを凄い巣にするのはオマエ達の仕事なのだ!』
「そ、そうでした! 申し訳ありませんワンコ様」
語気を荒げるワンコに、ギセーシャが咄嗟に頭を下げて謝罪した。ちょっとだけ漏れてしまった威圧にギセーシャが顔色を悪くし、それを気にしたワンコの尻尾が微妙に垂れ下がったところを見て、すかさずニックが仲裁に入る。
「まあまあ。確かにここを荘厳な巣にするのは骨が折れそうだが、その分やりがいがあるではないか。
とりあえず中に入ってみるとしよう。ワンコよ、よいか?」
『いいぞ! 我が許可するのだ!』
巣の主に許可を貰い、ニックは松明を手に洞穴へと入る。すると中はそこそこの広さで、天井こそやや低いが人が二、三人暮らすくらいならなんとかなりそうだ。
「ふむ、広さはともかく、この高さで松明は怖いな」
腰をかがめていたニックは燃えさかる松明を地面に置くと、肩にかけた魔法の鞄からランタンを取り出し調光用のつまみを回す。勇者パーティ時代から使っていた最高級品だけあって、手のひらほどの大きさだというのに洞穴の中が昼間のように明るく照らし出された。
「これでよかろう。ほれ、入ってこい!」
「うぅ、目が痛い……」
『明るいのだ! というか眩しいのだ!』
足下の松明を消してからニックが呼ぶと、ギセーシャは目を細めながら洞穴に入ってくる。対してワンコの方は言葉とは裏腹に平気そうだ。見た目が小さくとも高位の魔物というのは伊達ではない。
「さて、何かするにしても今日はもう遅い。儂が毛皮を出すから、ギセーシャはそこで寝るといい。ワンコはどうする? 柔らかい毛皮より硬い地面の方が落ち着くのか?」
『うーん……固いよりは柔らかい方がいいのだ!』
「そうか。では全員分を取り出すとしよう」
言ってニックは愛用している毛皮を取り出し、地面の上に敷いていく。黒曜石のように艶やかな毛皮は明らかな高級品だったが、ワンコの毛並みを目の当たりにしたこともあり、ギセーシャは深く考えることなく敷かれた毛皮の上に腰を下ろした。
「うわぁ、すっごくふかふか!」
『まるで母上のお腹のようにもふもふなのだ! 我は凄くお気に入りだぞ!』
「そりゃあよかった。寝られそうか?」
「はい! これなら十分です」
『我には最初から何の問題もないぞ! 我は凄く凄い神狼だからな!』
洞穴の入り口から吹き込んでくる秋の夜風は大分冷たいが、寒村で育ったギセーシャにとって隙間風など慣れたものだ。体を包む毛皮の素晴らしい肌触りと温かさもあり、そっと横になっただけですぐに睡魔が襲ってくる。
「あれ? おかしいな。さっきまで眠くも何ともなかったのに……」
「ずっと気を張っていて、疲れていたのだろう。気にせず今日はもう休め。ワンコとてこんな時間から寝ずに働けなどとは言うまい」
『言わないぞ! 夜は寝るものなのだ! 夜に寝ないと昼間にぽやぽやしちゃうからな!』
「ありがとうございますワンコ様。ニックさんも……ごめんなさい、もう無理……おやす……み……」
まるで溶けるように意識を失うと、すぐにギセーシャの口から規則正しい寝息が聞こえてきた。
『わふん。ニンゲンは凄いな。こんなにすぐに寝られるとは』
「お主に食い殺される覚悟で生贄としてやってきたのだ。心も体も疲れ果てていて当然だろう。今はそっとしておいてやれ」
『我はギセーシャを食ったりしないぞ! むしろ食事は我が獲ってくるのだ! 我の方がギセーシャより強いからな!』
「そうかそうか。偉いなワンコ」
『わふん! 何だかニックは偉そうでズルいのだ。でも気持ちいいから今だけ許してやるのだ……』
ニックに頭を撫でられて、ワンコもまた毛皮の上で体を丸めて目を閉じる。そのまましばらくなで続けると、やがてワンコからもスピースピーと小さな寝息が聞こえ始めた。
『眠ったか』
「ああ。ギセーシャの方は言うに及ばぬが、ワンコはワンコで色々と思うところもあったのだろうしな。子供は寝るのが一番だ」
『ふむ。で、貴様は一体いつまでこの者達に付き合ってやるつもりなのだ?』
オーゼンの問いに、ニックはランタンの光を弱めつつ考える。
「そうだなぁ。せめてこの者達の生活がある程度安定するまでは面倒をみたいところだな。ワンコは単体ならばどうとでもなるだろうが、ギセーシャの方はそうはいかぬ。
それにワンコにも人との接し方を教えてやらねば。取り返しの付かぬ事態になってからでは遅いからな」
『それはまた悠長な。別に急ぐ旅でもないのだから、悪いとは言わんが』
「すまんな。儂の我が儘に付き合わせてしまって」
『何を今更。そもそもこの旅そのものが我の我が儘ではないか。我が今貴様に対して思っていることなどひとつだけだ』
「ほう? 一体何を思っているのだ?」
少しでも風よけになるよう入り口付近の地面に敷いた毛皮にその巨体を横たわらせ、ニックがニヤリと笑って問う。
『決まっているであろう? 小さな子供を放っておけぬ……貴様は何処まで行っても「お父さん」なのだな、と言うことだ』
「はは。それは儂にとって最高の褒め言葉だ」
オーゼンの問いに小声でそう答えると、ニックもまた瞳を閉じる。使い慣れた毛皮の温もりが、今夜はいつもより少しだけ温かく感じられた。