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父、傍観する

「え? こんな子犬みたいな子が……?」


『誰が子犬だ!? ボク……じゃない、我は神狼フェンリル! 神さえ食らう最強の魔物なんだぞ!』


「ひいっ!? も、申し訳ありません!」


 神狼フェンリルを名乗る魔物の、頭の中に直接響く言葉……念話とでも呼ぶべきものに、ギセーシャは即座に大地にひれ伏し体を震わせる。たとえ見た目が可愛らしい子犬のようであったとしても、その小さな体が宿す圧倒的な存在感は本物だ。


「ほぅ。神狼フェンリルなぁ……」


 だが、その威圧もニックには通じない。平然とした顔で興味深げに自分を見るニックの視線に、白銀の魔物は大きく口を開けて吼える。


『何だオマエ! 我の言葉を疑うのか!?』


「いや、別にそういうわけではないがな。実際お主がかなりの強者であることに間違いはあるまい。少なくともこの近辺ではお主より強い魔物など一匹たりとて存在せぬだろうしな」


『そうだぞ! 我は強いんだ! わおーん!』


 高く澄んだ遠吠えが、夜の闇すら退ける勢いで辺り一面に広がっていく。そのたったひと鳴きで山中の魔物は逃げだし、獣は怯えて蹲るほどだ。


『さて、じゃあ娘よ。オマエには生贄としての役目を果たしてもらうぞ』


「は、はい。神狼フェンリル様……ですが、その前にひとつだけ確認させてください」


『何だ? 言ってみろ』


 魔物の見た目に戸惑い、だがその気配に本能が泣き叫ぶなか、それでもギセーシャは歯を食いしばり、精一杯の気持ちを込めて魔物の方へと顔を向ける。


「貴方様の要求に従い、私はこうして生贄として参りました。であればこれで、村に災いが降りかかることはないのですね?」


『ああ、そんなことか。大丈夫だ。約束してやる』


「……そう、ですか。ありがとうございます」


 そこでほんの少しだけ、ギセーシャの体から力が抜けた。死ぬことは怖いが、その死がきちんと村を救ってくれる。自分を育ててくれた老婆や村の人々の事を思い出し、苦しいほどに締め付けてくる胸の高鳴りを抑えて……覚悟を決める。


「わかりました。ではこの身は今より貴方様のもの。どうぞ食らってくださいませ」


『えっ!?』


 頭を垂れたギセーシャの言葉に、何故か魔物が驚きの声をあげる。


「どうかなさいましたか?」


『いや、だって……食べるのか?』


「そりゃまあ、生贄ですから……食べないのですか?」


『生贄ってそう言うのなのか!? じゃ、じゃあ食べないと駄目なのか!?』


「えーっと……食べないでいてくださるなら、私としてはその方が嬉しいですけど」


『よかった! じゃあ食べないのだ! オマエには我のお世話をしてもらわなければならないからな!』


「お世話、ですか?」


『そうだ! 巣の掃除や美味しい料理、それに我の毛繕いだってしてもらうぞ! そうやって真面目に生贄の役目を果たせば、我があの村を災いからきっちり守ってやろう!』


「え? ええっ!?」


 魔物の言葉に、ギセーシャの頭がどんどん混乱していく。どうも色々なものが噛み合っていない気がして、必死に頭を揺さぶりながら魔物の言葉を咀嚼していく。


「あ、あの、もう一度! もう一度話を整理させていただいても宜しいでしょうか?」


『何だって言うのだ! オマエが泣いても叫んでも我のお世話はしてもらうぞ!』


「いえ、それはいいのですが……今回の神狼フェンリル様の要求は、村が生贄を差し出さねば村を襲って壊滅させるということではなく、村から神狼フェンリル様のお世話をする者を派遣すれば村を災いから守ってくださるということだったのですか!?」


『そうだぞ!』


「えぇぇ……で、でも『生贄を差し出さないと村を災いが襲う』と言われたと思うんですけど……」


『山の奥の方で、ゴブリンが大繁殖していたのだ! 今はともかく冬になって食料が減れば、きっと村を襲ったはずだ! まあさっきの遠吠えでみんな逃げちゃっただろうけどな!


 オマエ達が約束を守ったから、我もちゃんと約束を守ったのだ! どうだ、偉いだろう!』


「そ、そんな……」


 魔物の言葉に、ギセーシャは愕然とその場に崩れ落ちる。勘違いというよりは、すれ違い。魔物と人間の価値観の相違と、それぞれの認識する現実の違い。そういうものが組み合わさって起こった、それは半ば必然の悲劇にして喜劇。


「うっ、うっうっ……」


『な、何だ突然!? 何で泣くのだ!?』


 蹲ったまま顔を押さえて泣き出したギセーシャに、魔物がオロオロと少女の前を左右に歩き出す。


『ひょっとして我が怖かったのか? 父上が最初が肝心だって言っていたから頑張ったのに、驚かせすぎちゃったのか!? おい、そこのニンゲン! この娘は何でいきなり泣き出したのだ!?』


「儂か? そうだなぁ、何とも複雑なところであろうが……強いて言うなら気が抜けたから、か?」


『何だそれは!? 何だか全然わからないぞ!?』


 ニックの言葉に、しかし魔物は全く納得がいかない。そのままギセーシャの周囲をクルクルと歩き回り、時にその小さな手でペシペシとギセーシャの腕や足を叩いたりしてみる。


『ほら、怖くない! 怖くないぞ! 我は本当はあんまり怖くないのだ! 泣いても叫んでも帰さないとは言ったが、本当に泣いてお世話をされなくなると我は困ってしまうのだ!』


「うぅ……うっうっ……わたし、私は……」


『よし、特別! 今日は特別に我の尻尾を触らせてやるぞ! 父上にも母上にもとってももふもふだと評判なのだ! 普段は凄く仲良くなった相手にしか触らせないんだけど、今だけ特別に触らせてやるのだ!』


 魔物のもふもふの尻尾が、ギセーシャの腕やら足やらを撫でていく。月の光を受けて輝く白銀の毛並みは夢のような美しさで、その光とフワフワした感触にギセーシャはやっと顔をあげた。


「綺麗。柔らかい……でもちょっと獣臭い……」


『臭くないぞ!? 我はちゃんと水浴びとかもしているのだ! 全然臭くなんか……え、ひょっとして臭いのか!?』


「そんな顔でこちらを見られてもなぁ。儂からすると特別に臭かったりはせんが……まあ野生の魔物の持つ相応の臭さと言ったところか?」


 すがるような目つきで見る魔物にニックが答えると、その口がカパッと大きく開かれる。真っ赤な口内に生えそろう牙はなかなかに凶悪だが、つぶらな瞳がうるうるとしていてはその迫力も台無しだ。


『そんな!? 我は臭かったのか……くぅーん……』


「あの、そんなしょんぼりしないでください。大丈夫ですから……」


 しょんぼりと尻尾を垂れ下がらせる魔物の姿に、目を真っ赤にしたギセーシャが顔をあげて語りかける。


「それに、私は神狼フェンリル様のお世話をするために呼ばれたのでしょう? なら今度からは私がしっかり洗って差し上げます。そうすればすぐに臭いなんてとれますよ」


『そ、そうか!? よかった。じゃあこれから宜しく頼むのだ!』


「はい。宜しくお願いします!」


 二、三度手を出しては引っ込めていたギセーシャだったが、意を決して魔物の体に触れた。その手触りはややゴワゴワしていたが、伝わる温もりは何だか優しい気がする。


『それで貴様よ。この魔物を退治するのか?』


「フッ。その必要があると思うか? まあしばらく様子を見ようとは思うがな」


『了解した。だが何とも……不思議な光景なのだろうな、きっと』


 おっかなびっくり距離を探り合う少女と魔物の姿に、オーゼンが感慨深げに呟く。


「だな。珍しくはあるが……よいではないかそんなこと。種と個は違うし、相容れぬ価値観も絶対的に存在はする。だがそれでも……これは一つの理想の世界だ」


 ニックもまた奇縁の結んだ一人と一匹の姿を、微笑みと共にしばしの間見つめるのだった。

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