父、護衛する
ニックが軽い仮眠を取り始めてから、おおよそ二時間後。扉の前にやってきた人の気配とノックする音に、ニックの意識は瞬時に覚醒する。
「冒険者殿。起きておられるかね?」
「長老殿か。ああ、問題ない」
「そりゃあよかった。そろそろ出発になるでな。支度を終えたら家の外に出てきてもらってもいいかい?」
「わかった。すぐに行く」
言いながらもニックは手早く鎧や剣、魔法の鞄などを身につけて準備を整える。そうして家の外に出れば、そこには松明を掲げた村の男達……全員ニックより年上だ……が五人と、件の生贄の娘、ギセーシャが待っていた。
「あんたが護衛を引き受けてくれた冒険者か。正式な依頼でもねぇのに、無理言って悪かったな」
「なに、気にするな。魔物を相手にするなら、儂のような冒険者が一番あっているからな」
「ほんに助かったわ。こんな強そうなお人が護衛を引き受けてくれるとは」
「ほうじゃほうじゃ! これならあの魔物も――」
「おいっ!」
調子に乗って余計なことを言いそうになった男を、別の男が強い口調でとがめる。
「すまんのぅ。ワシらはこんな若い娘っ子を生贄に出すような畜生じゃが、それでも恥知らずではない。見ず知らずのお方にこれ以上の迷惑をお掛けしたりはせぬ」
「すまんかったのぅ」
「いや、儂は気にしておらんが……護衛は貴殿達だけなのか?」
五〇代後半から六〇代くらいだと思われる男達に頭を下げられ、ニックは手を振って気にしていないことを示しつつも問う。目の前にいる人物達は武器のひとつすら持っておらず、とても戦えるようには見えなかったからだ。
「はっは。若い男は貴重じゃ。明らかに危ない夜の山になんぞ登らせるわけにはいかんわい」
「ほうじゃ。じゃからワシらは護衛というより囮じゃな。いざって時はこの身を魔物に食わせて、無事ギセーシャちゃんを山の魔物のところに送り届けるのがお役目じゃ」
「そうとも! こんな可愛い、孫みたいな娘を犠牲にするんじゃ。ワシみたいなしわくちゃのジジイがのうのうと眠っているなど、そんなことできるわけない!」
「皆さん……」
「そうか。皆勇敢なのだな」
赤い松明の光の下、わずかに目元を腫らせたギセーシャが男達を見回し、俯く。死を覚悟してなおカラカラと笑う彼らの強さは、ニックにも眩しく見えた。
「さて、それじゃそろそろ行くとするか。腹減りの魔物を待たせすぎて村を襲われては本末転倒じゃからのぅ」
「ギセーシャちゃんのことはワシらに任せろ。この身に代えても無事に送り届けてくるぞ!」
「骨と皮ばかりの身に、代えるほどのところがあるかは疑問じゃがな! カッカッカ!」
「それでは、行って参ります。オババ様」
「気をつけてな。冒険者殿、どうか、どうかギセーシャを……」
「うむ」
男衆とギセーシャが歩き出すなか、曲がった腰を更に曲げて頼み込む老婆に、ニックは短くそう答えて彼らの後に続いた。冷たく静かな夜の山で、松明の明かりのみが闇を切り裂き進んでいく。
「妙に静かじゃのぅ」
「ほんになぁ。もっと魔物やら何やらが襲ってくるかと思ったが」
「山の魔物に恐れをなしたんじゃなかろうか? あれほどの強さの魔物が縄張りを主張すれば、魔物も獣も何処かに逃げ出しちまうだろうて」
「それは困るのぉ。明日からの狩りは大丈夫じゃろうか……」
恐怖を紛らわせるように、あえて軽い口調で男達が雑談を繰り広げる。時々話しかけられるギセーシャもそれに合わせてたわいのない冗談などを口にしていたが、その表情は誰が見ても無理をして笑っているのが見え見えの痛々しいものだった。
「……ここじゃ」
そうして、その楽しい時……楽しいと皆が思い込んだ時も、唐突に終わりを告げる。
「ここ? 特に何もないが……」
皆が足を止めた場所は、強いて言うなら少しだけ木の密度が低くなり、空間のできた場所だった。だがそれ以外に目立つ何かがあるわけでもなく、たとえ意識していたとしてもよほどこの山に詳しくなければ素通りしてしまうことだろう。
「ここは元々この山の主……大穴熊の餌場でな。ありゃあでかくて強い熊じゃった」
「ほんに! そこいらの魔物なんぞ蹴散らしちまうほどで、まさにこの山の主じゃった。まあそうは言っても寿命には勝てずに三年前に死んじまったが」
「なるほど。曰く付きの場所ということか。では後はどうする? ここで例の魔物とやらを待てばよいのか?」
「ほうじゃのう。この先は特にどうしろとは――」
『下がれ!』
瞬間。まるで暴風が吹き抜けたかのような衝撃と共に、その場にいた全員の頭に直接言葉が叩き込まれる。
「ひぃぃ!?」
「お、おたすけぇ!」
そのあまりの衝撃に、あれだけ格好いいことを言っていた男達はあるいは尻餅をつき、あるいは頭を抱えて地面に蹲ってしまう。
だが、それを誰が責められようか。ニックが感じたその威圧は準備と覚悟無しなら銀級冒険者でも即座に逃げに回るほどのものであり、ただの村人に耐えられるようなものではない。ならばこそニックは一歩前に出て、真っ青な顔で唇を震わせているギセーシャの肩にそっと手を置いた。
「大丈夫だ。落ち着け」
「ニックさん……は、はい…………」
『生贄はその娘か?』
「そ、そうです。わた、わた、私が……」
「そうだ。この娘が生贄だ」
震えて上手く言葉が話せないギセーシャに代わり、ニックが気配の主に向かってそう告げる。
『そうか。ならばその娘を置いて去れ』
「わかった。ほれ、皆立て! 大丈夫か? 腰を抜かしたものはおらんか?」
「だ、大丈夫じゃ。大丈夫じゃが……なんと恐ろしい魔物か……」
「すまんのぅ。こりゃワシらじゃどうにもならん。許しとくれ。許しとくれ……」
「すぅ……はぁ……私は大丈夫ですから、皆さんは村にお戻りください。ここまで送っていただき、ありがとうございました」
「うぅ、ギセーシャちゃん……」
怯える男達を見たことで却って落ち着いたのか、ギセーシャの口から出たその言葉に男衆は何度も何度も頭を下げ、謝罪を口にしながらその場を去って行く。そうしてこの場に残ったのは、ニックとギセーシャの二人のみ。
『おい貴様、あの男達はそのまま帰して大丈夫だったのか? 帰路に魔物にでも襲われたらひとたまりもなさそうだったが……』
(それは問題ない。さっきの威嚇からして、今夜一晩程度はこの山で暴れる者などおらんだろう)
オーゼンの問いに、こっそりとニックが答える。魔物であれ獣であれ、山に潜むような者は総じて気配に敏感だ。行きはニックが同行しているが故に襲われなかったわけだが、あの威嚇を受けてなお気にせず活動できる強さの魔物がいるなら、そもそも麓の村が存在できているはずがない。
「さあ、ニックさんも。お役目お疲れ様でした。後は村に戻ってください」
「いや、儂はもうしばらくここに残らせてもらうぞ。見届ける者は必要であろう?」
「っ……そう、ですね……」
ニックの「見届ける」という言葉に、ギセーシャが思わず唇を噛む。それでもなけなしの勇気を振り絞り、ギセーシャはキッと正面を見据えた。
「新たなる山の主、強大なる魔物よ。私は約束を守りました。今度は貴方が約束を守る番です」
『? 隣の奴は帰らないのか?』
「儂がここにいたら何か問題があるのか?」
魔物の言葉が響く度、ギセーシャの体がガクガクと震える。だが同じものを感じているはずなのに平然と答えるニックに、魔物は首を傾げつつも結論を出す。
『うーん……えっと、無い、かな? よし、じゃあ出て行くぞ。我の強大な力と姿に恐れおののくがいい!』
言葉と共に空気が動く。月明かりの下、暗闇の向こうで強大な圧が動く。
「うっ……あぅ……」
姿は未だ見えないというのに、魔物が近づいてきているのが確実にわかる。その距離が縮むごとに息が詰まりそうになるギセーシャだったが……
『さあ、跪け! 命乞いをしろ!』
「あ……れ……?」
ついに闇から姿と表したその魔物の姿は……白銀の体毛を持つ、子犬のような姿のもふもふであった。