父、お薦めを堪能する
宿屋におけるニックの軟禁生活は、その後三日ほど続いた。と言っても部屋から出られないというだけで厳しく監視されているわけでもないし、普通よりもちょっとよい食事を三食きっちり提供され、更には仕事ができないことに関する保証金まで……銅級冒険者相当なので雀の涙ではあるが……支払われたこともあり、ニックはのんびりと時間を過ごす。
そして四日目の朝。部屋の扉がノックされ、開かれたそこに立っていたのは疲れた顔をしたバレテーラの姿であった。
「やぁ、どうも旦那。不便な生活を強いてしまって申し訳ないでやす」
「おお、お主は情報屋の……バレテーラだったか? 随分と疲れておるようだが、大丈夫か?」
「ははっ、アッシの方が心配されてちゃ世話ねぇや。ええ、このくらいは慣れたもんでやすからね。で、今日はその報告に参りやした。入っても?」
「ああ、構わんぞ。生憎ともてなしはできんがな」
「勘弁してくださいよ」
ニヤリと笑って言うニックに、バレテーラが苦笑して答える。そのまま部屋に据え付けの小さなテーブルに向かい合って座ると、すぐにバレテーラが話を切り出した。
「じゃ、早速。まず旦那が一番気にしていると思うことでやすが……あの晩ツカイッパ男爵に呼ばれた子供達は、全員無事にアッシらが保護しやした」
「そうか! それは朗報だ」
一番の気がかりが解消され、ニックの表情があからさまに緩む。ずっと気にしていたことだけに、喜びもひとしおだ。
「で、それとは別に男爵邸の地下で今まで行方不明扱いになってた子供達二〇人も追加で保護しやした。これでツカイッパ男爵が攫ったと思われる子供は全て保護できたことになりやす」
「地下、か……」
「ああ、ご安心を。子供達は旦那が心配するような扱いは受けておりやせん。どうも他国の貴族に引き渡す契約だったようで、それなりに丁寧に扱われてやしたぜ」
「ふむ。それはよかった……と言っていいのだろうな。しかし引き渡しか……一体誰に、何のためにだ?」
「それは流石に……」
真剣に見つめるニックに、バレテーラは表情を変えない。素人のニックにはその裏にあるのが「わからない」のか「教えられない」のかは判別できなかったが、わずかなにらみ合いを経てから、ニックはふぅと息を吐いて視線に込めた圧を消した。
「わかった。ならばこれ以上は聞くまい。そもそも政治だの何だのは儂の領分ではないからな」
「そう言ってもらえると助かりやす。こう言っちゃ何なんですが、ジュバン卿に勝手に動かれると冗談じゃなく国がなくなりそうなんで」
「ははは。いくら何でもそこまではやらんぞ?」
「やらない、ですか。あはははは……」
意趣返しのようなニックの発言に、バレテーラの額に一筋汗が垂れる。「できない」ではなく「やらない」なのが本気か冗談かを推し量れるほどの実力はバレテーラにはなく、だからこそ顔が引きつりそうになるのを押さえるのが精一杯だ。
「ま、まあとにかく、これで調査の方も一段落となりやした。旦那にももうここを出てもらって大丈夫ですぜ」
「もうか? 一週間か、最悪一月くらいは拘束されると覚悟していたのだが」
あまりにもあっさりと出た無罪放免のお達しに思わず驚きの声をあげたニックに対し、バレテーラは落ち着いた様子で返す。
「勿論今後も調査は続きやすけど、旦那に関することは終わりってことで。後は調査方法の違いもありやす。相手にばれないようにこっそり証拠を集めるのと、壊滅した屋敷を自由に調べ回れるのじゃあやりやすさが全然違いやすぜ」
「それはそうか。わかった。色々と世話になったな」
「いえいえ、こちらこそ。ご協力ありがとうございましたってことで」
そう言うと、バレテーラはスッと席から立ち上がり、部屋の入り口で一礼してから部屋の前に待機していた騎士を引き連れ帰って行った。ニックの感覚でも周囲に監視するような人物は見つけられず、本当に完全に解放されたのだと改めて実感する。
「ふむ。どうやら本当に終わりらしいな」
『随分と面倒な手順を踏んだ割には、終わりはあっけないものだ。まあ物事とは大抵そんなものなのだろうが』
「だな。では改めて雑貨屋に顔を出してみるか」
四日ぶりの外出。ニックは久しぶりの人混みや屋台の料理などを楽しみつつ、一路雑貨屋を目指した。だがそこで出会う人々の対応は今までとは違う。お父さん仮面の正体だと知って礼を言う者はともかく、なかには貴族であるということであからさまに媚びを売ってくる者も少なくはなかった。
「邪魔するぞ」
「あ、おじちゃん!」
そんな様子に微妙な表情を浮かべていたニックだったが、気持ちを切り替え雑貨屋に足を踏み入れると、店で手伝いをしていたイーモがすぐにパッと顔を輝かせてニックへと走りより……だが途中で足を止めてしまう。
「む? どうしたのだイーモ?」
「あのね、おじちゃんはきぞくさまだから、とびついたりしたらだめだっておかーさんが……」
「ああ、そういうことか」
「ニック様!」
と、そこに店の奥からアッネとマームもやってきた。二人ともすぐにニックの前までやってくると、三人が横一列に並んで一斉に深く頭を下げ始める。
「ニック・ジュバン様。この度は私ども家族のために多大なご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。差し出がましいことではありますが、私共にできることであればこのお礼は何なりと――」
「あー、いらんいらん! と言うかやめてくれ! 礼と言うのならば、今まで通りに接してくれることこそが一番だ」
「それは……宜しいのですか?」
恐る恐る顔を上げて問うマームに、ニックは苦笑して返す。
「当然だ。今更そんな距離の取り方をされたら寂しくて敵わん。看板娘の笑顔の接客がこの店の一番の魅力だからな!」
「わかりました。ではそうさせていただきます。アッネもイーモも、もう普通に話していいわよ」
笑顔のニックに、マームも表情を柔らかくして娘達にそう告げる。するとアッネはあからさまにホッとした表情を見せ、イーモは待ってましたと言わんばかりに勢いよくニックに飛びついてきた。
「おじちゃん! おすすめ! イーモのおすすめきいて!」
「お、おぅ!? なんだ、突然だなイーモ」
「いいから! いいからはやくきいて!」
「はっはっは。わかったわかった。では素敵で可愛い看板娘のイーモよ、今日のお薦めはなにかな?」
「いまもってくるね!」
風を切る音が聞こえそうな速さでイーモが店の奥へと走っていく。その様子を全員が微笑んで見ていると、すぐにイーモが小さな包みを手に戻ってきた。
「これ! これがイーモのおすすめ!」
「ほほぅ。これはなんだ?」
「あけて! あけてみて!」
「ん? 開けてもいいのか?」
ニックが視線を向けると、マームが優しい笑顔で頷く。それを確認してニックが包みを開けると、そこに入っていたのはやや不揃いな形の焼き菓子であった。
「これは……焼き菓子か?」
「イーモが! イーモがつくったの!」
「ほぉ! それは凄いな!」
「少し前に、私とイーモで森に木の実を拾いに行ったんです。それを材料に作った焼き菓子なんですよ」
「イーモ、いっぱいひろったの! あまいのとかすっぱいのとか、いろいろー! あといっぱいこねこねもしたよ!」
「そうかそうか! うーん、これは美味そうだ!」
「かってくれる?」
「勿論だ! あるだけ全部買うぞ!」
「ぜんぶ!?」
ニックの言葉に、何故かイーモが少しだけ悲しそうな顔をする。
「む? 何か駄目だったか?」
「おじちゃんがぜんぶかっちゃうと、イーモとおねーちゃんがたべるぶんがなくなっちゃうの……」
「あっ!?」
しょんぼりしたイーモの言葉に、ニックが思い切り顔をしかめる。金貨を出しても惜しくない極上のお薦め品だが、当然そこまでの買い占めは本意では無い。
「こら、イーモ! 駄目よ。そもそもニックさんへのお礼のつもりで作ったんだし」
「そうだけど……」
「あー、待て。やっぱり……いや、そうか。よし、では食べやすいように小分けにして包んでくれるか?」
「はい、ただいま!」
「はーい……」
姉と妹の二人の手により、一〇個に分けられた焼き菓子の包みがニックの前に差し出される。ニックはその代金として銅貨を支払うと、姉妹の手に買ったばかりの焼き菓子の包みを半分渡した。
「え? あの……?」
「おじちゃん……?」
「これは儂からの頼み事を兼ねた餞別だ。儂は今からまた次の町を目指して旅に出ようと思うのだが、その旅の空で儂はお主達の事を思い出してこの焼き菓子を食わせてもらう。だからお主達も儂のことを思ってこの焼き菓子を食ってはくれぬか?」
「おじちゃん、どっかにいっちゃうの!?」
ニックの言葉に、イーモがしょんぼりを通り越して泣きそうな顔になる。そんなイーモの頭の上に、ニックは自身の大きな手を優しく置いて撫でた。
「儂は冒険者だからな。半端に有名になってしまったこともあるし、このまま滞在し続けると面倒な輩がやってくるかも知れぬ。ならば早めに出ていった方が誰にとってもよかろう」
実質的な権力は無いにしても、ジュバンの名を持つニックに取り入りたいと考える者はそれなりにいる。勇者パーティとして活動しているのならまだしも、そこから離れて単独行動しているニックにはその手の話は煩わしいだけだ。
「うぅ……いっちゃやだけど、わかった。ぼうけんしゃのひとはそうだって、イーモちゃんとわかってるもん……」
「イーモ……」
うつむいてスカートの裾をギュッと握る妹に、アッネがそっと寄り添いその肩を抱く。その姿に優しい笑みを浮かべつつ、ニックはそのまま言葉を続ける。
「そういうわけだ。では儂は旅立つが……その前にひとつだけ。イーモよ」
「なに?」
「お主に教えた魔法の呪文は、儂が立ち去れば使えなくなる。だが去ってなお英雄の魂は死なぬ。無敵の英雄はいつだってここでお主のことを見守っているぞ」
ニックの太い指がイーモの胸をトントンと叩くと、まるでそこに宝物があるかのようにイーモが両手で胸を押さえる。
「では、いずれまたな」
そう言って立ち上がると、ニックは雑貨屋を後にした。背後では無言でマームが頭を下げ、アッネとイーモが力一杯手を振っている。
「今日までずっと、ありがとうございました!」
「おじちゃん、またねー!」
その気配に、ニックは振り返ることなく幾度か手を振って答えるのみ。そのまま歩いて町を出て、背後に町が小さくなり始めたところでニックはおもむろに焼き菓子の包みを開いて中身を口にした。
「ふふっ、懐かしい味だ」
素朴な甘さと若干焦げたほろ苦さが、出会って間もない頃の妻や、幼い頃の娘の拙かった料理の味を思い出させる。その懐かしくも優しい味がニックの胸にじんわりと優しい気持ちを染み渡らせ、さくりと一口囓るごとにその顔がほころんでいく。
「さて、次はどんな出会いがあるであろうか? 楽しみだなオーゼンよ」
『そうだな。いいか悪いかはわからぬが、貴様が行くところには何かが巻き起こるのが必然であるからな』
自分と同じ焼き菓子を囓っている姉妹の姿を思い浮かべながら、ニックは大事に焼き菓子を囓る。静かで平和な街道には、筋肉親父の「美味い!」という絶叫がしばし響き渡っていた。