仮面の英雄、参上する
そして、その日の夜。約束の時間より少し前に到着した馬車に乗り、不安そうな姉と母に見送られてイーモは一人ツカイッパ男爵の屋敷へとたどり着いていた。
「では、ここで待つように」
「はーい……」
乱暴ではないが突き放したような態度をとる使用人に言われ、イーモは屋敷の一室に入れられる。そこには既に他の子供達の姿もあり、その表情は一様に不安げだ。
「わたしたち、これからどうなっちゃうんだろう……」
ぽつりと、イーモの隣からそんな呟きが聞こえた。イーモがそちらに顔をむければ、そこには綺麗な服を着た少女が立っている。両親のせめてもの思いで一張羅に身を包んでいるというのに、その表情は何処までも暗く沈んでいる。
「パパがね、いってたの。だんしゃくさまはこどもをつれていっちゃうって。つれていかれたこどもはにどとかえってこないんだって。
わたしももう、いえにかえれないのかな……?」
「そんなこと――」
「そんなことねーよ!」
イーモが否定するより早く、側にいたやんちゃそうな男の子がそう声をあげる。
「しってるだろ? おとうさんかめん! いまこのへんのまちでだいかつやくしてるえーゆうだ!」
「あ、ボクもしってる! こどもをたすけてくれるへんなおじさんだって!」
「そうだよ! おとうさんかめんがいるから、おれたちだってだいじょうぶさ!」
「でも、きょうわたしたちがここにくるのはたすけてくれなかったよ?」
「それは……」
少女の言葉に、少年達が返答に詰まる。にわかに盛り上がった空気が再び不安に満たされそうになる前に、イーモはニッと笑って少女の肩に手を置いた。
「だいじょうぶだよ! イーモ、まほうがつかえるの! むてきのえいゆうがよびだせるまほうなんだよ!」
「まほう!? なにそれスゲー!」
「むてきのえいゆうって、まさか……?」
「そう! だからだいじょうぶ! こまったことがあったら、イーモがまほうを――」
「静かにしろ! 男爵様の準備が整ったから、移動するぞ!」
イーモの言葉を遮るように乱暴に扉が開け放たれると、そこから入ってきた使用人の男が強い口調で言い放つ。そのまま食堂まで案内されると、そこにはやたら細長いテーブルがあり、遙か遠くに以前にイーモを買おうとした人物……ツカイッパ男爵の姿があった。
「よく来たな子供達よ。話を聞きたいところだが、まずは食事だ。すぐに用意させるからそれぞれ席に着くがいい」
男爵の言葉にあわせて、メイドが子供を一人一人席に着かせる。するとすぐに料理が運ばれてきて、子供達の前には湯気の立つ美味しそうなスープやパン、肉の煮込みなどが次々と並んでいった。
「うわ、めっちゃうまそう!」
「これ、ほんとうにたべていいの?」
「無論だ。遠慮することはない、どんどん食べなさい」
不安げに周囲を見回していた子供達だが、男爵の許可を得て料理に手をつける。その味はとても素晴らしく、子供達を覆っていた不穏な空気はあっという間に何処かに飛んでいってしまった。
(こんな残飯をありがたがるとは、所詮は平民か……まあその方が扱いやすくていいがな)
マナーも何もなく美味そうに料理をがっつく子供達に、男爵は冷たい視線を向ける。普段なら捨てるような肉の端切れや野菜くずをありがたがる子供達の姿は、男爵には腐肉に群がるゴブリンか何かと同じようにしか思えなかった。
もっとも、それはあくまで男爵基準。元の素材がよいうえにきちんとした料理人が作っているのだから、庶民が平素食べている料理より美味しいのは当然。イーモもまたこの時ばかりは警戒心を忘れてズルズルとスープを啜ったり、焼きたてのパンをちぎってそのフワフワ具合に頬を蕩けさせたりしている。
そうして大方の料理が食べ終わったところで、不意に子供達の中に強烈な眠気が襲ってきた。一人の例外もなく頭をふらふらさせはじめ、中には既にテーブルに顔を伏せて眠ってしまっている子供もいる。
「うわぁ、なんだ? すっげぇねむい……」
「だんしゃくさま、わたしもうむり……おうちにおくってもらえませんか?」
「おうおう、眠いか。ならばそのまま寝るといい」
「え? でも、かえらないとパパとママが……」
「わからんか? 帰る必要は無いと言っているのだ。今日からここがお前達の家だ。まあほんのわずかな間だけだがな。どうやら賊は現れなかったようだし、であればもう子供に用などない。連れていけ」
「ハッ!」
途端に部屋の奥から武装した男達が現れ、意識朦朧となった子供を次々と抱きかかえては奥の通路へと運んでいく。
「いや、おうちかえして……」
「はなせよ……くそ、ねむすぎる……」
一人また一人と、子供の姿が消えていく。自分が起きているのか寝ているのかもよくわからなくなるなかで、それでもイーモは必死に意識を保つ。
(だめ……あそこにはいったら、もうおとーさんやおかーさん、おねーちゃんにあえなくなっちゃう……いやだ、こわい……っ)
「たすけて……」
「ん? 何だ嬢ちゃん。助けなんか来やしねーよ。もう諦めて寝ろ」
肩に担いだイーモの呟きに、冒険者崩れの雇われ警備員が反応する。
「たすけて…………」
「だから誰も来ねーって。つか、こんだけ警備固めてる場所に向かってくるなんざ、馬鹿と英雄だけだぜ?」
だが、イーモの耳には男の声は届かない。急速に闇に墜ちていく意識に必死にすがりつき、ただ一心に希う。
「イーモのまほう……むてきのえいゆう……たすけて……おとうさんかめん……」
「お父さんが無敵の英雄ってか。所詮はガキ……うおぉ!?」
瞬間、男爵の屋敷が轟音と共に激しく揺れた。
「何だ!? なに……が……っ!?」
慌てふためくツカイッパ男爵の目の前に、大量のがれきが降ってくる。そのせいで部屋中にもうもうと煙が立ちこめたが、衝撃で割れた窓から吹き込む秋の風がすぐにそれを吹き飛ばしていく。
「待たせたな!」
煙の向こうから現れたのは、がれきの頂点に立つ人間の影。深紅の外套をはためかせ、その股間には黄金の獅子頭が輝く。
「なっ!? き、貴様が!?」
「おとうさんかめん……やっぱりきてくれた……」
「もう大丈夫だぞイーモ」
「えっ!? あ、あれ!?」
あまりの衝撃に立っていられずその場で尻餅をついてしまった男だったが、気づけばその肩から背負っていたはずの少女の姿が消え、颯爽と立つ謎の変態がその少女を優しく抱きかかえている。
「い、いつの間に!? なんだこりゃ、俺は夢でも見てるのか……?」
「遅くなってすまなかったな。大丈夫か?」
「へーき……」
「どうしたイーモ? 様子がおかしいが?」
「なんかね、すごーくねむいの……でも、ねたらだめだったから……」
「そうか。ならばもう寝てもいいぞ。次に目が覚めた時は……いつもの家のベッドの中だ」
「そっか……じゃあ、おやすみ。おとうさんかめん……」
「ああ、おやすみイーモ」
お父さん仮面そのまま部屋を見回し、破損の及んでいない部屋の隅にそっとイーモを寝かせる。その間にも屋敷中から人の気配が集まってくるのを感じるが、そんなものは意にも介さない。
「薬を使ったか……だがまあ、都合がいいとも言える。これならばどれだけ暴れても、イーモが怖がることはないであろうからな」
「フンッ! 何を余裕ぶっているのか知らんが、貴様の悪行もここまでだ! であえであえ! 賊はここだぞ!」
「この儂を……いや、我を賊と呼ぶか。はっはっは……」
男爵の言葉に、お父さん仮面が笑う。いつもならば朗らかなその声に、しかし今日は怒りが満ちている。
「ならば覚悟するがいい。我が名はお父さん仮面! 子供の敵には……優しくないぞ?」
仮面の下でニヤリと笑い、お父さん仮面がギュッと拳を握った。法に守られた悪徳男爵と法に楯突く仮面の英雄の戦いが、今幕を開ける――