父、後始末をする
「ハァ、ハァ……糞、糞糞糞っ!」
激しく息を荒げながら、フリータは森の中を駆ける。
「何で俺がこんな目に……みんなあの糞共のせいだ、糞がっ!」
走りながらも悪態をつけるのは、心が折れても体力にはまだ余裕がある証拠だ。たとえ盗賊に身をやつしたとは言え、長年冒険者として培った技術や体力はそうそう衰えるものでもない。
「ハァ、ハァ……追ってこない、か……」
そうして結構な距離を走り、追いかけてくる者がいないことを確認すると、フリータはようやく近くの木に背中を預けて休憩した。元々疲労自体は大したことなかったため少しの時間ですぐに息は整い、同時に心が落ち着き思考にも冷静さが戻ってくる。
「クソッ、何だったんだよあれ……あんなのおかしい。あり得ないだろ……」
そうなれば思い起こされるのは、先ほどの戦闘だ。こちらは自分を含め男が六人、それに対して相手は多少強いとは言え女が一人と、明らかにしょぼい男が一人だ。
普通に考えれば楽勝の相手。狩りと呼ぶほどの緊張感すらなく、事実好きに嬲るだけだった状況が覆ったのは、二つの「あり得ないこと」が起きたからだ。
「何で一撃で首が飛んだ? あの糞餓鬼の腕じゃ絶対にあり得ない……」
人の首は太い骨と筋肉で構成された割と固い部位だ。それをスパッと切り落とすなら、切れ味のいい剣と剣術の腕のどちらもが必要になる。
だが、あの時ヨワゴシの持っていたのは普通の鉄の剣であり、ヨワゴシの剣の技術も大した物ではなかった。自分より腕の劣る人間が自分の得物よりなまくらな剣を使って、自分にもできない首狩りを行うなどどう考えてもあり得ない。
だが、それは実際に起きた。そのせいで仲間達が浮き足立ち、結果として獲物の反撃を許すきっかけとなったわけで、それがなければあそこまであっさり状況が覆されることはなかっただろうとフリータは考える。そして何より――
「何で俺の剣が砕けた!? それこそ絶対にあり得ないだろ!?」
フリータの使っていた剣は、冒険者時代から愛用している鋼の剣だ。鍛冶屋で手入れしてもらうことができなくなって久しいので大分なまくらになってきてはいたが、それは切れ味が落ちたということであり、決して強度が下がったということではない。
しかも、相手をしていたのはヒトナミーナ……自分より腕力も技術も下の相手だ。剣の状態だけは負けていただろうが、それでもヒトナミーナが使っていたのは決して魔剣や名剣ではない。百歩譲って折れたならまだ理解できるが、自分の剣だけが粉々に砕け散るなど、常識的に考えてこれもまたあり得ない。
「あり得ないあり得ない! 糞が糞が糞が糞が糞がぁぁぁぁぁぁ!!!」
もっとも、考えたところで理由などわかるはずもない。故にフリータの中に湧き上がるのはとめどない憤りのみであり、せっかく落ち着いた思考もすぐにどす黒く歪み濁っていく。
「覚えてろよあの糞共が。次に会ったら――」
「いや、次は無かろう」
「っ!? 誰だ!?」
不意に何処かから声をかけられ、フリータが慌てて身構える。すると近くの木の陰から、何故今まで気づかなかったのか理解できない存在感を放つ大男が姿を現した。
「何だお前!? 俺に何の用だ?」
「儂は何かと問われたら、ただの通りすがりの冒険者だ。そしてお主に何の用かと言うなら……そうだな、あの二人の言葉を借りるなら、お主に終止符を打つのが用だな」
「なっ!? お前、ミーナ達の仲間か!? 俺を追いかけてきたってのか!?」
「まあ、そうだな」
フリータの言葉に、ニックは鷹揚に頷いてみせる。実際には今は仲間というわけではないのだが、わざわざそれを説明してやる義理はない。
「それにしてもお主……随分愉快な髪型になったな?」
「っ!? う、うるせぇ! 誰のせいだと思ってやがる!」
ニヤリと笑って言うニックに、フリータが激高して吼える。ヨワゴシの一撃で削れた頭皮の怪我は手持ちの回復薬ですぐに癒えたが、回復薬には毛を生やすような効果はない。故に今のフリータは頭頂部のみ剣の幅の禿げが輝く、何とも哀愁を誘う髪型になっていた。
「無論、お主の自業自得であろう? むしろ首がついているだけ感謝するべきだと思うが?」
「ふざけるな! 感謝だと!? 糞が、テメェも死にや――っ!?」
フリータが手にしていたのは、折れた剣の柄の部分のみ。それでも鈍器の代わりにはなると殴りかかろうとしてきたが……フリータが何かをするよりも早く、ニックの拳がその腹部に深々と突き刺さった。
「がっ、げふっ、ぐぇぇぇぇ……………………」
「ふむ、まあこんなものだろうな」
胃の中身を全て逆流させ、無様にその場に這いつくばるフリータの瞳から光が消える。それをニックはひょいと担ぎ上げると、そのまま町の方へと歩き始めた。
『あの二人はそのままでよいのか?』
「ああ、問題あるまい。近くの魔物は全て倒してあるし、少し強めに威嚇しておいたからな。古代竜辺りなら気にせず向かってくるかも知れんが……」
『あー……古代竜がどんなものかは知らぬが、貴様がそう言うのであれば問題なかろう』
ニックの言葉に、オーゼンはやや呆れつつ相づちを打つ。実際今ヒトナミーナ達がいる辺りにはこの後一ヶ月ほどあらゆる魔物が近寄らず、事情を知らない冒険者やギルド職員が困惑することになるのだが、それはまた別の話だ。
『にしても、貴様はやはり世話焼きだな。わざわざあの二人を見守るとは』
「馬鹿を言え。儂はいつも通り冒険者としての依頼を受けてこなしただけだぞ?」
『ふっ、いつも通り、か。確かにそうだな』
空とぼけるニックに、オーゼンは思わず苦笑する。ヨワゴシを送り出した後、ニックが受けたのは常設のゴブリン討伐の依頼だ。が、実際にニックが注目したのは、ヨワゴシ達が去った後に依頼掲示板に張り出された、依頼では無い張り紙……「最近近隣の森に小規模な盗賊の一団が潜伏している」という警告を促すものだった。
無論盗賊の退治は軍の管轄なので、被害が大きくなっていけばいずれ討伐隊が結成されたことだろう。だが盗賊などいくらでも存在し、逆に領軍の数は限られているので、即時討伐隊を派遣、ということはよほど大きな被害でもなければなかなかならない。
ましてや冒険者が森に入るのは完全な自己責任なのだが……ニックはそれがどうにも気になり、こっそりと二人の後をつけていたのだ。
『とは言え、今回は随分助けに入るのが遅かったな? 正直もっと早く手を出すかと思ったが』
「あの二人が一般人ならそうしたが、二人とも冒険者だからな。ましてやあの二人とは今後も一緒というわけではないのだ。何でも儂が解決すればいいという話でもあるまい?」
『それはそうだが……ふむ、結果を見れば確かにこのくらいが適当だったのだろうか?』
「そういうことだ。あれ以上の手助けなど、却って無粋であろう」
自分がしたいらぬお節介を、ニックは誰にも語るつもりはない。それをせずともきっと二人は勝利していたと信じているからだ。
ただその場合は今よりずっと重い犠牲を背負うことになったかも知れず……それを許容したくないニック自身の我が儘こそが、あの場で起きた奇跡の全てであった。
「さて、それではあの二人が戻ってくる前に、さっさと衛兵にコイツを渡してしまうか」
『一応聞くが、生かしておいていいのか? 何やら復讐を語っておったが』
「構わんさ。警告文が出るような盗賊の未来などまともなものではないし、何よりせっかくの若者の門出なのだ。ならば花を添えてやりたいではないか」
『ん? どういうことだ?』
オーゼンの問いに、ニックは意味ありげな笑みを浮かべて解説する。
「当たり前の話だが、盗賊には魔物のような討伐証明など無い。だが倒したことを証明できれば、きちんと金一封が出るのだ。
ミーナ達は今回の一件を当然冒険者ギルドに報告するだろうが、その際に儂が先立ってこいつを衛兵に突き出しておけば、変にもめることもなく金が払われるという寸法だな」
『なるほど。死体は何も語らぬが、生かしてあれば裏付けがとれるということか』
「そういうことだ。せっかく頑張ったのだ。それに見合う報酬を得る機会くらいあってしかるべきであろう?」
『うむ、納得した』
「では、帰るとするか。今夜も美味い酒が飲めそうだ」
『我は飲めぬが、話くらいは付き合ってやろう』
「それはいいな! お主の語るかつての王候補者の話はいつも面白いからな!」
『ふふふ、今夜はとっておきを話してやろう』
楽しげに話しながら道を歩むニックとオーゼン。徐々に暮れゆく日の向こう側からは、今日も平和なヨクアールの町の喧噪が遠く聞こえてきていた。
※はみ出しお父さん オーゼンの「すべらない話」
かつての王候補者にとってオーゼンはあくまでも「問いかけに答える魔導具」であり、オーゼンもまた問われてもいないことを語るような性格、存在ではなかった。そのため王候補者はオーゼンがそこに在ることを気にせずプライベートな活動に勤しんでおり……他人に言えない秘密とは、どんな時代、世界でも「蜜の味」なのである。