父、機会を作る
当初はその日一日だけの予定であったが、ヨワゴシ本人のたっての希望もあり、その後三日ほどニックの特訓は続いた。午前中はニックとの組み手、午後は魔物狩りという辛いながらも充実した時間を送ったヨワゴシは、拙いながらも体捌きの基礎の基礎を身につけ始めている。
「ふむ。この生活もそろそろ終わりだな」
そして四日目の朝。冒険者ギルドでヨワゴシと合流した後、ニックは依頼票を眺めながらそんなことを口にした。
「えっ!? ニックさん、それは――」
「この三日で、お主は大まかな体の使い方を覚えた。無論それをしっかりと身につけるには今後もたゆまぬ努力が必要であろうし、真に極意と言えるほどの体捌きに至るにはそれこそ十数年、あるいは数十年という年月が必要になるだろう。
それでも今のお主に教えられることは大体終わった。ここから更にもう一つ上を目指すとなると、それこそ年単位で訓練をせねばならんからな。流石に儂もそこまでは付き合えぬ」
「そう、ですか……」
寂しげな声を出すヨワゴシに、ニックは苦笑してその肩をぽんと叩く。
「そんな声を出すな。そもそも三日でここまで来られたのは十分に凄いことなのだぞ? お主が冒険者となり、強くなることを志してから今日までのたゆまぬ努力という下積みがあったればこそ、この短期間で最低限とは言え身につけることができたのだ。
誇れ。免許皆伝……とはとても言えぬが、今のお主は初心者卒業。冒険者でいえば、銅級から鉄級に昇格したようなものだ。この分なら本当に鉄級になる日もそう遠くあるまい」
「ニックさん……ありがとうございます!」
「うむうむ。では今日は少し重めの討伐依頼を受けて、それを最後に――」
「おや、ニックじゃないかい」
そんなニックに、背後から声をかけてくる者がいた。ニックとヨワゴシが振り返ると、そこにいたのは燃えるようなチリチリの赤毛をした女戦士、ヒトナミーナだ。
「おお、ミーナではないか」
「ひ、ヒトナミーナさん!?」
「久しぶり……ってほどでもないね。そっちの子はニックの知り合いかい?」
「ああ、この者は……おおっ!?」
不意に、ニックの頭にひらめきがよぎった。一瞬ニヤリと笑みを浮かべるも、すぐにニックは申し訳なさそうな表情を作って見せる。
「なあミーナよ。ちょっと頼みがあるのだが、いいだろうか?」
「なんだい突然? 受けるかどうかはともかく、聞くくらいは構わないよ」
「そうか! 実はこの者……ヨワゴシというのだがな、この者と一緒に討伐依頼を受ける予定だったのだが、急に用事があったのを思い出してしまってな。悪いのだが、儂の代わりにこの者とパーティを組んではもらえんだろうか?」
「に、ニックさん!? 何を!?」
「コイツとかい?」
突然のニックの言葉に驚くヨワゴシとは裏腹に、ヒトナミーナは上から下までヨワゴシの体を観察していく。
「なんだか頼りなさそうだけど……アンタ、ヨワゴシってのかい? 級は? ああ、アタイはヒトナミーナ。これでも鉄級冒険者だよ」
「そ、それはとてもよく存じております! ぼ、僕はその、ヨワ、ヨワゴシです。級は、その……銅級、です……」
「銅級か……ふーむ……」
たとえ階級が同じでも、冒険者の能力はピンキリだ。ニックのような例外中の例外は別にしても、銅級であっても強い者は強い。だがヒトナミーナの目には、ヨワゴシと名乗る青年は随分と頼りなく見えた。
「ニックの知り合いじゃ怪我させるわけにもいかないだろうし、そうするとかなり依頼の難度を落とさないとだから、二人で戦えることを考慮しても稼ぎは減るだろうし……あんまり気が進まないねぇ」
「そうか? 確かにミーナより強いとは言わぬが、ヨワゴシの実力は足手纏いになるほど低くはないぞ? 何せ儂が鍛えたのだからな」
「そうなのかい?」
「は、はい! この三日ほど……あ、でも、ニックさんみたいな常識外れな強さを期待されるのは絶対に困りますけど」
「そんなもの期待しちゃいないよ。てかそんな強さだったら、むしろアタイの方が足手纏いだろうし。
でも、そうだね。ニックがそう言うなら、とりあえず試しに組んでみるくらいは構わないよ? ただしどうしても合わないと思ったら依頼が途中でも切り上げさせてもらうけど、それでもいいかい?」
パーティを組むということは、武器を持った相手に背中を預けるということだ。考え方や足並みの合わない相手と無理に付き合うのはどちらにとっても不利益しか生まないため、ヒトナミーナはこの条件だけは譲る気が無い。
「はい、それは勿論……え、本当にいいんですか!? 僕なんかと組んでもらっても?」
もっとも、そんなことはヨワゴシだって十分理解しているので何の問題もない。それどころか憧れの人と一緒に仕事ができる絶好の機会。一も二も無く飛びつきたいが、そこで飛びつききれないのがヨワゴシのヨワゴシたる所以であった。
「そんなに自分を卑下しなくたっていいだろ? 男なんだからシャンとしな!」
「ハイッ!」
ヒトナミーナにバシッと背中を叩かれ、ヨワゴシの背がピンと伸びる。未だに戸惑ってはいるものの、その表情は喜びに満ちている。その様子を見て満足げに笑うと、ニックは二人に向かって声をかけた。
「すまんなミーナ。この埋め合わせは後日しよう。ヨワゴシも、急に予定を変更してしまって悪かったな」
「言ったね? なら今度また美味い飯と酒でも奢ってもらおうかね」
「ぼ、僕はその、全然! 全然大丈夫です!」
「わかった、約束だミーナ。それと……」
ニックはヒトナミーナに笑顔で答えてから、ヨワゴシの肩を掴んでグッと引き寄せ、顔を近づける。
「機会は作ってやったぞ。これをどう活かすかは、お主次第だ」
「ニックさん……僕、頑張ります! 頑張って……何をすればいいんだろう?」
ふと冷静になったヨワゴシが、その疑問に首を傾げる。かつてヒトナミーナの初心者講習に参加したことがあるだけのヨワゴシはヒトナミーナに知られてすらおらず、流石にここで告白するのは根性とか以前に駄目だということくらいはヨワゴシにも理解できているからだ。
「むぅ? それは……そうだな。まあ普通に仕事をすればよいのではないか? 無理にいいところを見せようと張り切るより、自分にできることを精一杯やればよい。まずはお主がどんな人間なのかを知ってもらい、お主もまたミーナがどんな人物なのかを知るのだ。遠くから憧れているだけではなく、側で過ごせばこそ見える所も色々あるだろうからな」
「なるほど……つまり体捌きと同じで、普段は見えないところに真実があると?」
「あー、まあそういうことだ。単純に先輩の上級冒険者として仕事ぶりを参考にしつつ、色々と交流してくるのがいいだろう。しっかりな」
「はい!」
「おーい、男同士の内緒話は終わったかい? ならそろそろ依頼を選びたいんだけどね?」
「は、はいっ! ただいま! 今すぐ行きます!」
からかうような目つきのヒトナミーナに、ヨワゴシが大げさに答えて駆け寄っていく。
「で、アタイとしてはこのくらいの依頼がいいかと思うんだけど、アンタはどうだい?」
「は、はい! 僕はヒトナミーナさんが選んでくれた依頼なら、どれでも……」
「主体性のない男だねぇ。確かにアタイの方が上の級で先輩だろうけど、言いたいことは言ってくれていいんだよ? あとアタイのことはミーナでいいよ」
「そ、そんな滅相もない! ヒトナミーナさんを呼び捨てなんて、そんな……」
「お堅いねぇ。男が固くするのは……っと、こういうのを年下の子に言っちゃ駄目か。はぁ、これだから『もうちょっとお上品にしないと嫁のもらい手がありませんよ?』とか言われちゃうんだろうねぇ」
「ぜ、全然! 僕なら全然言って貰っていいですよ!? というかむしろご褒美です!」
「そ、そうかい? あー、まあとにかく依頼を決めようか」
「はい!」
「どうやらあの二人は大丈夫そうだな」
『貴様にしては随分と気の利くことをしたではないか』
少し離れた場所で成り行きを見守っていたニックに、オーゼンがそっと話しかけてくる。冒険者ギルドは喧噪に包まれているため、小声で独り言を呟いたくらいで目立つことはない。
「いらぬお節介かも知れんが、せっかく若者が頑張ったのだ。まあこのくらいはな」
『では、これからどうするのだ?』
「ふーむ、そうだな……」
「なあ、ひょっとしてアタイ、アンタとどっかで会ったことあるかい? 微妙に覚えがあるようなないような……」
「じ、実は僕、ずっと前にヒトナミーナさんの剣術の講習に出席したことがありまして……」
「そうなのかい!? あー、そういえばやたら気弱な子がいたようないなかったような……ごめんよ、どっちかって言うなら覚えてないかも」
「うぐっ!? ま、まあ仕方ないですよね……」
(ふむ。心配ではあるが、下手について行くとまた娘に怒られてしまいそうだし、儂は儂で適当な依頼でもこなすか)
微笑ましい二人の友のやりとりを眺めながら、ニックは一人今日の予定を頭の中で組み立てていった。