父、稽古をつける
そうしてやってきた翌日。朝の待ち合わせから町の外にやってきたニックとヨワゴシは、昨日と同じ町の側の平原にて立ち止まった。地面が平らで見通しもよく、町からもほど近いこの場所が訓練に向いていることはニックが身をもって経験済みだ。
「よし、ではここでやるか。まずはこれを渡しておこう」
そう言ってニックが魔法の鞄から取り出したのは、一本の剣。それに見覚えがあったのか、ヨワゴシは剣を受け取りつつ呟く。
「うわ、魔法の鞄……じゃなくて、これ、冒険者ギルドで使ってる訓練用の剣……?」
「ああ、そうだ。本来ならばお主が普段使っている剣を使うのがいいのだろうが、それで儂に斬りかかれと言っても躊躇うであろうからな。ちょいと頼んで借りてきたのだ」
冒険者ギルドで使っている訓練用の剣は、元々この町の冒険者達が破損したりいらなくなった剣を無償で寄贈したものだ。金銭的にはほぼ価値がないこともあり、ニックが頼むと簡単に貸してくれた。
無論そこには今までニックが真面目に依頼をこなしてきたという信頼がギルド内で共有されていたからということもあるが。
「そうなんですか。ニックさんは凄く強いんでしょうけど、流石にいきなり真剣は僕が気にしちゃうんで、ありがたいです」
「うむ! では最初はそれを使って、遠慮無く儂に攻撃してくるのだ。自分が白金級冒険者に匹敵すると自負でもしていないのなら、手加減は無用だぞ?」
「ははは。わかりました。じゃ、いきます!」
軽く笑ってから、ヨワゴシが剣を打ち込んでくる。それでもやはり気になるのか、明らかに手加減されたその一撃はニックからすれば幼子が木の棒を振り回しているのと大差ない。
「ほれ、もっと本気でこんか! これでは鍛えるも何もないぞ?」
「えっ!? いや、いくら加減したからって、そんな防ぎ方!? わ、わかりました。じゃあ今度は本気で……えいっ!」
剣先を指でつままれるというあり得ない防ぎ方をされ、ニックの実力を垣間見たヨワゴシが今度は本気で剣を振るう。だが当然その全てはニックによって容易く防がれ、どんな軌道で振るっても、どれほどの力を込めてもその切っ先がニックの鎧にすら触れることはない。
「はぁ、はぁ……強いとは思ってましたけど、まさかこんなに強いなんて……」
「はっは。まだまだだぞ? なら次はお主のいつも使っている剣を使うのだ。それが儂を傷つけることなど、もはや想像もできんだろう?」
「そう、ですね。これなら……じゃあ、今度こそ本気の本気でいきます!」
練習用の剣をニックに返すと、ヨワゴシは自らの腰から愛剣を引き抜く。これは一年程前にきちんと鍛冶屋に依頼して作って貰った剣で、貯蓄のかなりをつぎ込んだ逸品だ。
無論世間的にはただの鉄の剣であり、特殊な魔法がかかっていたり凄い切れ味があったりするわけではないが、それでも自らの手に馴染む重さ、長さの剣は訓練用の剣とはまるで違う。さっきまでよりもずっと鋭い一撃がニックに向かうが……
「ほぅ、なかなかだな」
「や、やっぱりそうやって止められちゃうんですね……」
ヨワゴシの渾身の一撃は、またもニックによって止められる。親指と人差し指だけで優しくつままれているようにしか見えないのに、ヨワゴシがどれだけ力を込めても剣はピクリとも動かない。
「なんかもう、嫉妬どころか憧れすら抱けないくらいの差ですよね。こんな人が本当にいるなんて……人、ですよね?」
「それは流石に失礼ではないか!? 儂は歴とした人間だぞ」
「ひゃっ!? ご、ごめんなさい! こんな強い人なんて見たことがなかったので、つい……」
「いいや許さん! 許さんので、これからはこちらからも攻撃させてもらおう」
顔を青くするヨワゴシを見て、ニックはニヤリと笑いつつ指を立てる。
「防御は右手の指二本、攻撃は左手の指一本のみで行う。今度は攻撃だけではなく、防御や回避にも意識を向けるのだ。大きな怪我をさせるつもりはないが、痛くしないとは言わぬぞ?」
「が、頑張ります!」
「いい返事だ! ではいくぞ!」
剣を構え直したヨワゴシに、今度はニックも攻撃を加えていく。ヨワゴシが見切れるギリギリの速度で繰り出す攻撃はその六割ほどが命中し、ヨワゴシの体に薄い痣を刻んでいく。
「痛っ!?」
「そうだ、痛いのだ。攻撃を食らったのだから、痛くて当然! その痛みを忘れず、だが痛みに惑わされるな! お主であればミーナの訓練は当然受けたのだろう? ならばそこで教えられたことを思い出せ!」
「っ……疲れてる時こそ正しい動きを。万全の状態で戦えることなんてまずない……ならこれでっ!」
全身に走る鈍い痛みと、蓄積された疲労で鉛のように重い体。それでもなお力を振り絞って放たれた一撃は今日一番の鋭さを見せ、その攻撃はニックの防御をくぐり抜け、ついにその鎧にカツンと打撃を与えることに成功した。
「やった……やった!?」
「うむ、見事だったぞヨワゴシよ。だが……ふむ」
喜びの声をあげるヨワゴシに、しかしニックは難しい顔をする。
「ニックさん? あの、僕に何か――」
「なあヨワゴシ。昨日の話では、お主は四年前から冒険者をやっておるのだな?」
「へ? ええ、そうです。一五になってすぐに登録したんで、正確には四年半くらいになりますけど……それが何か?」
「うーむ。であれば何故にお主は銅級なのだ?」
「何故、と言われても……それは僕の実力が銅級としても低すぎるということでしょうか?」
下から見上げるような視線を向けてくるヨワゴシに、ニックは大げさに首を横に振って答える。
「違う違う! 逆だ。それだけ戦えるなら、鉄級になら十分に昇級できるのではないか? こう言っては何だが、儂が見たところお主は特に才能に恵まれたような存在ではなく、ごく普通の人間……基人族の男だ。
だからこそ、今の実力が日々の努力の結晶だとわかる。そしてお主の積み重ねは全うに効果を示し、今現在のお主は鉄級として申し分ない程度には強い。
真面目に努力できるのだから冒険者ギルドからの評価が低いとも考えられぬし、実力もある。なのに何故未だに銅級なのかと思ってな」
「あー、それは……」
首を傾げるニックに、ヨワゴシはばつが悪そうな表情を浮かべてうつむく。
「何て言うか、僕はその……本番に弱いんです。ここぞって時にどうしても尻込みしてしまうというか、一歩引いて全力が出せないというか……」
下を向いてモジモジするヨワゴシの態度が、その言葉を如実に肯定している。どうしても自分の力だけで昇級したいというこだわりのためにソロで活動していることもあり、ギルド内でのヨワゴシの実力は二段ほど低く見積もられていた。
「なるほどなぁ……そういうことなら、儂も特訓の方針を変えるとしよう」
「え? あの、これ以上一体何を……?」
これまでの模擬戦は、ヨワゴシの中に確かな手応えを感じさせていた。確かにきついが、それをするだけの成長を感じられたのだ。
だというのに、これ以上。強くはなりたいし努力もするが、決して無理はしないというヨワゴシの行動方針としてはそろそろ休みたいところだっただけに、更に何か始めると聞いてヨワゴシは恐る恐るニックを見上げる。
「なに、簡単なことだ。そもそも本番に訓練ほどの力を発揮できないというのは珍しいことではない。いつもこなしている作業と、一発勝負で取り返しのつかない状況を同じにできぬのはよくあることだ。
故に、方法は二つ。ひとつは更に厳しい訓練を積み、自分の力に自信を持つこと。これができれば一番いいのだが、正直お主には難しかろう。まだ会ったばかりの儂ですら、性格的に向いていないのがわかるくらいだからな」
「うぅ、確かに僕には無理っぽいですね……」
自分に自信が持てるくらいなら、ヨワゴシはとっくにヒトナミーナに告白していただろう。一番大事な想いすら伝えることができないのに、自分に自信を持つなどヨワゴシには到底無理な話に思えた。
「ならば、もうひとつの方法だな」
「そ、それは一体……?」
ゴクリとつばを飲み込むヨワゴシに、ニックはニヤリと笑って答える。
「簡単だ! 実力の半分も発揮できないというのなら、実力の半分で鉄級だと認められるほどに強くなればいいのだ!」
「…………えぇぇぇぇ」
力強く断言したニックの姿を、ヨワゴシは呆れた様子で「この人は何を言っているんだろうか?」と見つめた。