父、頼み込む
「よーし、それじゃアタイの指導はここまでだ。みんな、使った道具を片付けな!」
「はーい!」
訓練を開始してから、おおよそ三時間。本当に基本的なことだけをざっと教え終えたところでヒトナミーナが講習会の終了を宣言した。全員が自分の使っていた剣を元の籠に戻したのをきっちり確認すると、一列に並んだ新人冒険者達を前にヒトナミーナが最初と同じく挨拶を始めた。
「訓練はどうだったかい? 辛かったり地味だったりしたと思うが、それこそが現実だ。凄い活躍をする先輩冒険者から物語に出てくるような英雄だって、みんなこういう訓練を積み重ねて強くなったんだ。
わかるかい? 強さってのは誰でも簡単に手に入れられる。だがその過程は簡単じゃない。毎日毎日欠かすこと無く訓練を続けた先に強さはあるもんだ。だがそれをわかっててもなかなか続けられないのが人間ってもんだよ。
だから、アタイからの最後の助言は『辛かったらサボれ』だ!」
「えぇー」
「そ、それでいいんですか!?」
ヒトナミーナの意外な言葉に、冒険者達から声があがる。だがそれは当然想定内であり、ヒトナミーナは苦笑しながら答える。
「いいんだよ。努力なんてのは人に言われたからって続くもんじゃない。自分の意思で頑張りたい、頑張らなきゃって思うからこそできるんだ。だからサボりたいならサボればいいし、面倒くさけりゃやらなきゃいい。
適度に気を抜いて、適度に頑張りな。そうすりゃそれなりの冒険者にはなれる。そしていつか『それなり』じゃいられないほどの目的を見つけたなら……その時は誰が何と言おうと勝手に頑張るだろう? だから好きにすりゃいいんだよ。
何もかも自己責任だ。出遅れはあっても手遅れはない。いつ始めたって今日の自分より強くなれるし、サボれば弱くなる。ただそれだけのことなんだよ」
「お、俺は毎日頑張るぞ! 頑張って凄い冒険者になって、ニックさんみたいな凄い魔剣とか手に入れるんだ!」
ニックの剣を一番熱心に見ていた少年冒険者が声をあげると、ヒトナミーナは快活に笑う。
「はは! いいねぇ。そう言う目標は大事だよ。頑張る気力があるときは、できるだけ頑張っておけばいいさ。その努力はきっとアンタを裏切らない。夢が叶っても破れても、アンタの血となり肉となる。応援してるよ、頑張んな」
「はいっ!」
「それじゃ、本当にこれで終わりだ。アンタ達の活躍に期待してるよ! 解散!」
「「「ありがとうございました!」」」
優しく力強く、そして何より温かいヒトナミーナの言葉に、全員が深く頭を下げてお礼の言葉を言った。そうして若者達が去って行くなか、ニックだけはヒトナミーナに近づいていく。
「ん? なんだいオッサン。まだアタイに何か用かい?」
「いや、実によい指導だったと思ってな」
「なんだよ、照れるねぇ。お世辞なら間に合ってるよ?」
「世辞ではない。教えを受けたあの子等を見て、お主が優秀でないなどと言う者など皆無であろうぞ」
「はは、ありがとう」
ニックの心からの賛辞に、ヒトナミーナはポリポリと頬を掻きながら言う。それまでの母性すら感じさせる頼れる雰囲気と打って変わって、照れる仕草はどこか乙女のようであった。
「それでなのだが、この講習会というのはこれで終わりなのか? できればもう少しきちんと剣術を教わりたいと思うのだが」
「あー、アタイがやるのはこれだけだよ。いや、今回だけじゃなくたまに教えたりはしてるけど、内容はこれだけだね。アタイも大した腕は無いし、これ以上に教えろって言われても難しいんだよ」
ニックの言葉に、ヒトナミーナは困った顔をする。彼女はあくまで鉄級冒険者であり、その剣の腕もあくまで鉄級として過不足が無い程度でしかない。剣術道場を開けるほどの技があるわけでもないので、時々こうして小遣い稼ぎで新人に教えるのが精一杯だった。
「ふーむ、そうか……」
「まあでも、確かにオッサンにだったらもうちょっと教えられるかも知れないけどね。アンタの剣筋は大分酷かったし」
「ぐぬっ!? ま、まあな。自覚はできておるのだが、どうにもな……」
苦笑するヒトナミーナに、ニックもまた苦笑で返す。あまりにも剣が軽く脆かったせいで、どうにも力加減が難しかったのだ。
「なら、また参加するかい? いつとは言えないけど、そのうちまたやると思うよ? まあアタイ以外にも同じようなことをやる奴もいるだろうから、そっちに参加するってのもありだけど」
「むぅ。特に急いでいるわけでもないが、かといってここで無為に過ごすのもな……であればどうだ? 儂に個人的に剣を教えてはくれぬか? 無論報酬は出すぞ?」
「個人的、ねぇ……」
ニックの提案に、ヒトナミーナの目が一気に冷たくなった。小さく鼻をならしてから、まるで嘲るように唇の端をつり上げて言う。
「なるほど、そっちが目的かい。でもアタイはそんなに安い女じゃないよ? どうしてもって言うなら、そうだね……一回につき銀貨三枚でどうだい?」
「む? わかった。ではそれで頼む」
「えっ!?」
あっさりと了承したニックに、ヒトナミーナは驚きの声をあげる。鉄級冒険者としての彼女の稼ぎは平均して一日銅貨三〇枚ほどであり、その一〇倍の金額を提示したのは断られるのが前提だった。
だと言うのに目の前の男はそれをあっさりと了承する。「調子に乗るな!」と怒鳴られるはずが平然と受け入れられたことで、ヒトナミーナは驚き戸惑う。
「ほ、本気かい!? 銀貨三枚だよ!?」
「うむ。お主にならば十分その価値がある。で、どうだ?」
「え、えぇぇ……そ、そうだね。そこまで言われたら、アタイとしても……でも、何でアタイなんだい? こういっちゃなんだけど、それだけ金を積めばもっと若くて綺麗なのがいくらでもいるだろう?」
「? よくわからんが、お主は十分に魅力的だと思うぞ?」
「ば、馬鹿言ってんじゃないよ! こんな三〇を過ぎた傷持ちをからかって……っ! いいよ、受けて立とうじゃないかい! アンタ何処に泊まってるんだい?」
「宿か? 儂が泊まっているのはギルドから斜めに入った……何という名前だったかな? 正面に布を扱う店があったと思うのだが……」
「ああ、あそこかい。わかったからもういいよ。じゃ、今夜そこに顔を出すからね」
「今夜? 夜に剣の稽古をするのか?」
「? 剣って……え、あの金額はそういうつもりじゃないのかい?」
「むーん?」
どうにも話が噛み合わず、ニックとヒトナミーナは顔を見合わせ首を傾げる。そこでニックは先日の受付嬢とのやりとりを思い出し、もう一度きちんと説明してみることにした。
「儂がお主に求めるのは、剣術の指導だ。それはきちんと伝わっておるよな?」
「あ、ああ。わかってるよ。剣を教えりゃいいんだろ? 報酬は貰ってるから、それはきっちりやるよ」
「……? ならばやはり夜にも剣の稽古をするのか? 確かに暗闇で剣を振るう訓練というのもありそうではあるが」
「…………? え、まさか!? 本気でアタイから剣を習うためだけに銀貨三枚を出したのかい!?」
「最初からそう言っておるではないか! それ以外に何だというのだ!?」
ニックの言葉に、ヒトナミーナの顔がカッと赤くなる。燃えるようなチリチリの赤毛をぐしゃぐしゃとかきむしりながら、いきなりその場で地団駄を踏み始めた。
「あーもう! なんだいなんだいなんなんだい! この講習会の参加費は銅貨三枚だよ!? 一〇〇倍の金額を飲んでおいて本当に剣を習いたいだけ!? そんなの誰が信じるって言うんだい! まったくこのオッサンは!」
「ぬぉぉ!? な、なんだ!? どうしたというのだ!?」
「知らないよこの助平親父!」
「なっ!?」
真っ赤になったヒトナミーナが、バシバシとニックの体を叩く。しかも最後の声が微妙に大きかったせいで、訓練場にいた他の冒険者達がニックに対して胡乱な視線を向けてくる。
「ちが、違うぞ!? 儂は何も……何故またこんなことに!?」
『フッ。貴様は本当に一緒にいて飽きぬ男だな』
熱い風評被害を一身に受けて、ニックは今日もその場でオロオロするのだった。