父、習い事を始める
「剣術の指南、ですか?」
特に何事も無くヨクアールの町にたどり着いたニック。やってきた冒険者ギルドの受付にてその話をしたところ、受付の娘が怪訝そうな面持ちで声をあげた。
「失礼ですが、指南を受けたいというのは貴方……ですよね?」
「ああ、そうだ。何処かよい場所というか人というか、そういうのは無いだろうか?」
「うーん……」
ニックの言葉に、受付嬢は頭を悩ませる。ヨクアールは人口三〇〇〇人ほどのなかなかの規模を誇る町だが、それはあくまで精人領域の側にあるからという理由で賑わっているだけで、これと言って特徴のある施設や自然があるわけでもなければ、特別な魔物が出たりすることもないごく平凡な町だ。
なので当然町に集まる冒険者の腕前も相応であり、その多くが鉄級で銀級以上の冒険者は数えるほどしかいない。引退した高位冒険者が住んでいるということもないので、ニックのような明らかに強そうな剣士に紹介できる相手はついぞ思いつかなかった。
「申し訳ありません。ちょっと適当な方が思いつかないですね」
「むぅ、そうか。この規模の町であれば普通に誰かが教えていると思ったのだが」
「本当に申し訳ありません」
そう言って頭を下げる受付嬢に、ニックは若干しょんぼりしながら礼を言ってその場を後にしようとして……その時。
『おい待て貴様。もう一度この娘に説明してみるのだ。ただし今度はもっとしっかりと、貴様がどんな相手を探しているかを伝えるのだ』
「む?」
「どうかなさいましたか?」
「あ、いや。何でもない。では最後にもう一度だけ確認したいのだが、儂が探しているのは剣の指南役……それこそ剣の握り方とか正しい素振りの仕方とか、そういう基礎の基礎を教えてくれるような人物なのだが、本当に思い当たる者はいないのか?」
「え!?」
オーゼンに言われて詳しく説明したニックに、受付嬢が驚きの声をあげる。
「えっと、基礎、ですか!? そういうことでしたら当ギルドにて講習会を行っておりますが」
「なんだ、あるではないか! それでいいのだ。是非ともそれに参加したい」
「はぁ……あ、すいません! その、貴方のような立派な装備をなさっている方が、まさか冒険者に成り立ての子が受けるような指南を求めているとは思わなくて」
「いやいや、それは言葉が足らなかった儂の落ち度だ。勘違いさせてしまってすまなかったな」
今度はニックが頭を下げ、同時にうまく気を回してくれた相棒にも感謝を込めて鞄に手を置く。
『全く貴様は配慮が足らん……と言いたいところだが、今回はまあ仕方あるまい。どちらも勘違いしてもやむを得ぬところはあるだろうからな』
ニックからすれば自分は剣の素人であり、指南と言えばそういうものだと理解している。だがニックのような明らかに実践向きの立派な武具を身につけた冒険者が口にする「指南」は、より高みを目指すための修行というのが通常だ。
つまり言葉が足りないというよりは互いのもつ先入観の違いこそが問題だったわけで、わかってしまえばニックと受付嬢は互いに笑って謝罪をし合い、すぐに笑顔になった受付嬢が続きを説明してくれた。
「では、初級剣士向けの講習会への参加ということで宜しいですか?」
「うむ、それでいい」
「かしこまりました。参加費用は一回につき銅貨三枚で、料金は参加時に前払いでお願いします。
それで実施日の方ですが、一番早いのは三日後ですね。場所はギルド裏手の訓練場を使うので、その日の朝二の鐘(八時)までにギルドに来て参加受付をしてください。何か質問はありますか?」
「いや、大丈夫だ。ではその時にはよろしく頼む」
「はい。お待ちしております」
一礼する受付嬢を背に、ニックはギルドを後にする。その後は適当な宿を取り、簡単な依頼をこなしつつ待つこと三日。受付を済ませたニックが指示された訓練場へ出向くと、先に来ていた若い冒険者達と共にその場にて待機する。すると――
「あー、集まってるね?」
時を告げる鐘が鳴ってからしばし。奥の通路からやってきたのは、いかにも男好きしそうな豊満な肉体をぴっちりとした皮鎧で包み込んだ、三〇歳ほどに見える女性の剣士だった。
「へぇ、今日は五人かい。まあまあ――」
「いや待て。儂も講習会の参加者なのだが?」
明らかに自分を見ていない女性剣士に、ニックはすかさず声をかける。すると女性剣士はまず驚き、ついで思い切り眉をひそめる。
「アンタが、かい? 誰かのお付きとか、そういうのじゃなく?」
「うむ、そういうのではない。儂は剣を習いに来たのだ!」
「『来たのだ』って言われてもねぇ」
ニックの体を上から下まで見渡し、女性剣士がため息をつく。
「体も装備も随分と立派じゃないか。おまけにその剣! そんなのを無造作に腰にさげてる上級冒険者様が、鉄級冒険者でしかないアタイに何を教わろうってんだい?」
魔剣『流星宿りし精魔の剣』の鞘は、その特性を抑えるためにメーショウが作った特製魔銀の鞘に収まっている。これは万が一にも意図せず大気の魔力を吸収して魔力刃を発現させないための措置で、この鞘だけで金貨が何十枚も飛ぶような高級品だ。
女性剣士にはそこまでわかるほどの鑑定眼はなかったが、それでもそれが自分が体の限界まで冒険者として活動しても手が届かないような逸品だというくらいはわかる。
「いいかい? ここはあくまで本当の初心者に剣術の基礎を教えようって場所なんだ。アンタみたいなのが冷やかしで来るような場所じゃ……」
「待て待て待て! 待ってくれ。冷やかしでも何でも無く、儂も剣術を学びに来たのだ! 儂は元々素手で戦う格闘家なのだが、お主の明察の通りひょんなことからよい剣を手に入れてな。これも縁と最低限この剣を使えるくらいには剣術を身につけたいと思ったのだ」
「む、まあそういうことなら……ああでも、ここに参加するからにはアタイの言葉に従ってもらうよ? 立場をきっちりさせるためにも、アンタが何処のどなた様だろうと敬語も使わない。それでもいいかい?」
「うむ、構わんぞ。特別扱いなどされてはそちらの方が居心地が悪いからな」
ニッコリと笑うニックの顔に、てっきり文句の一つも口にするかと思った条件をあっさりと飲まれ、女性剣士は思わず拍子抜けしてしまう。
「えぇ……まあアンタがいいならいいけど。でも言ったからね? 後で聞いてなかったなんて言わせないよ? 他の二人もいいかい? もし何かあったら、ちゃんと『このオッサンが特別扱いしなくていいって言ってた』って証言しとくれよ?」
「は、はい。わかりました……」
「大丈夫です。多分……」
いきなり女性剣士に話を振られ、若い冒険者達は困ったような顔をしつつも頷く。もしニックが本当に高位冒険者であれば、なりたての銅級冒険者の言葉など吹けば飛ぶようなものではあるが、それでもこの場においては数の利を得た女性剣士はそこでようやく自分が挨拶の途中であったことを思い出した。
「まったく、変なのがいたから調子が狂っちまったよ。じゃあ改めて自己紹介するけど、アタイは今日アンタ達に剣の指導をする、鉄級冒険者のヒトナミーナだ。気軽にミーナさんとでも呼んでおくれ。じゃ、次はそっち……アンタからだ」
「はい。僕は――」
ヒトナミーナに指名され、冒険者達が自己紹介をしていく。基本的に皆一五や一六のなりたて冒険者であり、そのうち一人は一六歳の女性冒険者だった。
「あいよ。かー、若いってのはいいねぇ。アタイの半分の年齢か。女の冒険者はどうしたって少ないから、困ったことがあったらはっきり言うんだよ? アタイでよけりゃ相談に……っと、それはまた後にするかい。
じゃ、最後はオッサン、アンタだよ」
「うむ! 儂はニック。四一歳の銅級冒険者だ!」
「「「銅級!?」」」
元気よく答えるニックに、横に並ぶ者達が驚きの声をあげる。まさかこれほど強そうに見える人物が自分と同じ級だとは思わなかったからだ。
『この反応、懐かしいな』
(だなぁ。あの子達は元気であろうか?)
微妙にざわつくその場にて、ニックはふとアリキタリの町で一緒だったソーマ達のことを思い出す。妄想の中で元気に手を振る子供達だが、まさか彼らの現実がやたらトゲのついた防具を身につけるようになっているとは知る由も無い。
「銅級、ねぇ……」
そしてそんな若者達とは裏腹に、ヒトナミーナはニックに胡乱な視線を向ける。
(アタイより一〇も年上で、銅級? なのにあの装備……こりゃ厄介なのが紛れ込んじまったかねぇ? まあ貧乏くじを引かされるのはいつものことか)
チリチリの赤毛頭をポリポリと掻きながら、ヒトナミーナは人知れずため息をついた。