男達、野望に燃える
ザッコス帝国。それは基人族の領域において最も大きな国土を持つ大国だ。初代皇帝テキガ・ザッコスは二代目勇者と共に魔王軍に立ち向かった英雄の一人であり、当時小国群であったかの地にて雲霞のごとく押し寄せる魔物を豪快になぎ払い、その圧倒的な強さとカリスマ性から諸国の王に請われて統一帝国の初代皇帝となったのが、ザッコス帝国の始まりだ。
だが、そんなザッコス帝国の隆盛も今は昔。初代以降は凡庸な皇帝が続き、徐々に落ちぶれていった今では国土が広いばかりの二流国家へと成り下がっていた。
そして現代。そろそろ二流すら危ないとまことしやかにささやかれ始めたザッコス帝国において、早世した先帝に代わり五年前に帝位についた現皇帝ことマルデ・ザッコスは……
「いやぁ、あれだね。勇者殿が旅立ったって話はずっと前から聞いてたのに、全然来てくれなくてどうしようかと思ってたけど、やっと来てくれたんだね! あ、いや、違うよ? 別に責めてるとかそう言うのじゃないんだけど、そこはほら、ね? こう国の立場っていうか、そういうのもあってさ! いやいや、ホント構わないんだけどね?」
「は、はぁ……」
オドオドした態度でやたら早口でまくし立てる皇帝に、フレイは思わず気の抜けた返事を返してしまった。
(えぇ、何これ? ちょっと前に言ったコモーノ王国の王様も微妙だったけど、これは流石に……)
「オホン! 陛下、そろそろ落ち着いてくだされ」
「あ、ああそう? そうだね、黙った方がいいかもね。いやぁ、余ってほら、あんまり出番がないっていうか、人と話すのは得意じゃないっていうか……」
「陛下!」
「ご、ごめん! ごめんよアヤツール。わかった、大人しくしておくから!」
おそらく三〇歳前後と思われる皇帝が、五〇代と思われる側近の男に叱られてビクッとその身をすくませる。そのあまりにも情けない姿にフレイ達が言葉を失うなか、側近の男が改めてフレイ達に声をかけてきた。
「失礼しました勇者殿。私はザッコス帝国の宰相を務めております、カゲカラ・アヤツールと申します。以後宜しくお願い致します」
「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」
「それで、本日の御用向きはなんでしょうか? 忙しく世界を飛び回っておられる勇者殿ですから、まさか陛下へのご挨拶のみということはないと思うのですが」
「えーっと、それなんですけど。実はその、魔導船をお貸しいただけないかと……」
魔導船。それはこの世界に唯一存在する飛行手段であり、空飛ぶ船。二代目勇者が古代遺跡から発掘した遺物であり、魔王討伐を終えた後はザッコス帝国にて厳重に封印されている……ということになっている。
実際には何故か勇者にしか動かすことの出来ない、だが極めて貴重なため土地と金を使って保存しなければならない遺物をザッコス帝国が押しつけられているだけだというのが公式の見解であり、それもまたザッコス帝国が二流国家を維持できている理由のひとつとなっている。
「魔導船! あれいいよね! 何かでっかいし! そうか、ついに引き取って……じゃなくて、必要になったんだねぇ。いやぁよかったよかった。そういうことならすぐにでも――」
「陛下」
「ひゃい!?」
宰相の言葉に、再び皇帝が身をすくませる。繰り返されるその光景に思わず曖昧な笑みを浮かべてしまったフレイに、宰相のカゲカラが再び口を開いた。
「勇者殿に魔導船を引き渡すことに関しては、何の問題もありません。ですがそれに際して二、三解決していただきたい問題があるのですが……」
「ええ、構いませんよ。それが『勇者』の仕事であるのなら」
カゲカラの要求に、フレイはニッコリと笑って答える。この手のやりとりはもう慣れっこであり、勇者に協力する代わりに自分たちでは解決の難しい問題を片付けてもらえる国側と、協力を得られるうえに難題を解決することで勇者としての知名度、ひいては人々から「勇気」を集めるための『ぼうけんのしょ』の充実に役立つ勇者側の双方に利のある取引なので、このやりとりは一種の様式美であった。
であれば、あとは流れ作業のようなものだ。宰相の提示した問題にフレイは特に異を唱えるでもなく承諾し、勇者一行は町の宿へと戻っていった。それを見送った面々はそれぞれの仕事へと戻り、カゲカラもまた自らの執務室に戻る。
「よぉ、旦那。あー、閣下と呼んだ方がいいのか?」
そんなカゲカラに、不意に声をかけるものがあった。カゲカラがそちらに目を向ければ、巧妙に隠蔽された隠し扉から出てくる人影がある。
「貴様か」
そこに立っていたのは全身鎧に身を包む騎士。だがその体型はどうにもずんぐりむっくりで、お世辞にも強そうには見えない。
「何のようだ?」
「なに、勇者がここに来たと聞いたんでね。ちょいと気になったってところかな?」
『俺達に隠し事をしようなんて一〇年早いぜ!』
鎧から聞こえるくぐもった声と、その腰から聞こえる別の声に対し、カゲカラはつまらなそうに一瞥して答える。
「勇者は魔導船を取りに来ただけだ。今更必要になるとは今代の勇者は随分とのんびり世界を救うようだが……」
「だが、それは俺達にとっちゃ好都合、だろ?」
軽口を叩くその男を、カゲカラは軽く睨む。その視線を受けて肩をすくめる動作をした男は、そのまま入ってきた隠し扉を通って地下へと戻っていった。開いた扉がしっかり閉まるのを確認し、カゲカラはやっと体の力を抜き、大きな椅子に背を預ける。
「チッ、汚らわしい魔族風情が。まあいい。彼奴が持ってきたあの鎧は実に素晴らしいからな。絞れるだけ絞ったら後は適当に始末するか、あるいは飼い慣らして使い潰すか……まああの程度の輩どうとでもできるだろう。マルデ陛下は実に素晴らしい皇帝であるしな」
言ってカゲカラはほくそ笑む。先代の皇帝は凡庸ではあったが、決して無能とまでは言えなかった。そのため色々と手を尽くす必要があったのだが、今代であるマルデ・ザッコスはどうしようも無い愚物だ。
だが、だからこそ操るのは容易い。薬漬けにするのは加減が難しく証拠も残りやすいし、酒や女で堕落させるのも手間と金がかかる。何もせずに最初から思い通りにできる愚か者が皇帝であることは、カゲカラにとってこの上も無い僥倖であった。
「フフフ。世は全て我が思うまま。あとは手にした力で全てを制し、その責任をあの馬鹿に被せてしまえば……フフフフフ」
皇帝の飲むものより遙かに高価なワインを片手に、カゲカラは笑う。だが笑うのは決して彼だけではない。
『全く、兄貴に対してあの態度! これだから人間って奴は……』
「はは、そう愚痴るなよギン。これこそ俺が望んだ状況さ」
人目の無い地下通路。鎧の首元から聞こえてくる相棒の声に、兜を脱いで蛙の顔をさらしたゲコックが笑って答える。
「あいつは俺達を侮ってやがる。散々利用するだけ利用して最後は捨てりゃいいってな。でもそんなに簡単にはいかないぜ?」
『流石兄貴! いつだって先を見据えてる男だぜ!』
鎧越しでは触れられないが、それでもゲコックは籠手を外し、コシギンがいる腰の部分にペタりと手を添える。
(そうだ。もっと俺を利用しろ。そしてあの鎧を完成させやがれ。安い札ならいくらでもくれてやるさ。だが最後に笑うのは俺達だ)
切り札はこちらにある。その確信がゲコックに力を与え、どんな状況でも冷静さを忘れないようにしてくれる。侮蔑も差別も気にならないし、特別扱いにのぼせ上がったりもしない。ただ冷静に上を……下克上を目指す。
「化かし合いだ、人間共。俺の踏み台になってもらうぜ?」
「フッフッ、全ては私がのし上がるための踏み台。世界全ての王となるこのカゲカラにひれ伏すがいい」
笑う者、嗤う者。誰かの声で歯車は回り続け、終わりの始まりは確実に近づいてくる。それに世界が気づくのは――まだしばらく先の話。