父、参加する
そんな事があってから二週間。結局あの日にとった宿……「眠る羊」亭と言うらしい……を定宿と決め、鞄や財布、水袋など細々したものを一式揃えたニックは順調に銅級の依頼をこなしていた。
「こんにちはニックさん。依頼の達成報告ですか?」
「うむ。確認を頼む」
その日もニックは、ゴブリン五匹の討伐という片手間にすらならない難易度の依頼をこなし、受付カウンターに討伐証明を並べる。ちなみにゴブリンの討伐証明は左耳だ。
「はい、確かに。にしても随分熱心に依頼を受けられてますね?」
「ああ。できるだけ早めにノルマをこなしておきたいからな」
銅級の冒険者には、一定期間に一定回数の依頼をこなさなければならないという決まりがある。これは入町税逃れに冒険者登録をする不届き者に対する対策で、このギルドでは一ヶ月に七件だった。
これは普通に活動する冒険者にとってはかなり緩い縛りであり、明らかに放置したのでもない限り仮に失敗しても回数にカウントされる。逆に言えばその程度のことすら守れない輩には資格の剥奪という極めて厳しい処置が施されるが、それで文句を言う者はまずいない。
そもそも銅級の稼ぎでは普通に生活しようとするだけでこの条件は達成されるのだから当然だ。
「そうなんですか。何か長期で町を空ける予定があるんですか?」
「そうだな。今のところ具体的な予定は無いが、自由に動けるに越したことは無い。ダンジョンでもあれば籠もるかも知れんしな」
「ダンジョン……普通の銅級の冒険者さんなら力尽くでも止めるところですけど、ニックさんなら大丈夫そうですよね」
「無論だ!」
受付嬢の微妙な笑みに、ニックはニカッと笑って応える。実際人の領域にあるようなダンジョンでニックが危険を感じることは無い。魔物や罠は言うに及ばず、謎解き系の仕掛けや複雑な迷路もニックにならば問題にならない……一般的には破壊不能と言われるダンジョンの壁や扉も、ニックが殴れば壊れるのだから。
「あ、そうだ! ニックさん、初心者講習はどうしますか?」
「初心者講習?」
思い出したとばかりに胸の前でポンと手を打ち鳴らした受付嬢に、ニックはオウム返しに問う。
「はい。その年登録した冒険者さんを対象に、三ヶ月に一回くらいの割合で実地の初心者講習をやってるんです。それがもうすぐなんですけど、ニックさんはどうされますか?」
「そうだな……よし、参加しよう」
顎に手を当て僅かに思案した後出したニックの答えに、受付嬢が少しだけ驚いた顔をする。
「あ、参加されるんですね。てっきり『ガハハ、儂はそんなもの必要ないわい!』とか言われると思ってました」
「ハッハッハ! 儂が新人であることは間違いないからな。一度しっかり初心に返ってみるのも悪くあるまい」
自分のものまねをする受付嬢に娘のような愛らしさを感じて、ニックは上機嫌で答えてから参加手続きを終え、その日はギルドを後にした。
『貴様がそのような殊勝な心がけを持っていたとは、少々意外だな』
「ん? 何の話だ?」
日はまだ高く、宿に戻るには流石に早い。小腹を満たすために今日も屋台で買い食いをするニックに、オーゼンがそんな事を語りかけてくる。
『先ほどの初心者講習の話だ。それ程の力があって今更何を学ぶのかとも思うが……』
「ああ、それか。別に講習の内容に期待したわけではない。重要なのは人脈を作ることだな」
『ほぅ。人脈?』
ニックの言葉に、オーゼンは軽く驚くに留める。ここしばらくの付き合いから、ニックは決して頭が悪いわけではないことは理解しているからだ。ただし思慮は決定的に欠けているため、トータルで考えた場合の結論は「脳筋」の一択だ。
「探し物をするならば、人脈は多ければ多いほどいい。だが下手な所に繋ぎを作るとこちらの行動が制限されるし、得た情報を利用されることもある。その点初心者講習ならば全く知り合いのいないこの町で作る人脈の初手としては実に良いと思わんか?」
『なるほど。確かにあの時の馬車の娘に比べれば情報網は弱そうだが、しがらみは一切無いだろうからな。だがそこまでして探すものとは何だ?』
「何を言っておる? お主のことに決まっているではないか」
『我の!?』
今度こそ、オーゼンは驚きにその思考を止めた。だがそれを気にすること無くニックは言葉を続ける。
「お主が自分で言ったのではないか。アトラガルドがどうなったのか知りたいと。娘達と世界を旅していたときには、それらしい情報を聞いた覚えはない。つまり伝承に残るような滅び方ではないか、あるいは流石に一万年も立てば伝説ですら残っていないということだ」
『そう、だな……確かに、今の世にアトラガルドの痕跡は……』
「だが、可能性はある。お主のいた『百練の迷宮』だ。お主が自身の存在を明かさぬところからして、公に探すと大量の厄介ごとが舞い込みそうな気がする。であればこういう出会いを利用して村の言い伝えや珍しい地形、ほこらなどの民間伝承を集めた方がたどり着きやすいのではないかと思ったのだが、どうだ?」
『ふむ。時間と安寧を天秤にかければ、そうだな。我としてもそちらの方がありがたい』
オーゼンが最も懸念したのは、自らの存在が新たな戦争の火種になることだ。アトラガルドの王とは即ちこの大陸全土の王であり、もし何処かに王のみが使うことのできた数々の魔導具が現存していればオーゼンを手にすることで世界の王になることも決して夢物語ではない。
その本心はニックにすら話したことはなかったが、それでも自分の意を汲んでくれていたニックに、オーゼンは深い感動を覚えた。無論それを口に出したりはしないが。
「と言うことで、この初心者講習はその第一歩だ。どうだ? 実に有意義であろう?」
『フン! 貴様が考えたにしては良い案であることは認めよう』
「素直じゃないのぅ。何だ、照れておるのか?」
『違うわ愚か者! 貴様の浅知恵など我の前では赤子があくびをするに等しい提案だが、確かに我は自分では動けぬ。だからこそ最低限の成果が見込めそうな策に同意したに過ぎぬ!』
「わかったわかった。そういうことにしておこう」
やたらと噛みついてくるオーゼンに、ニックは笑って応えておく。ちなみに依頼ノルマを前倒しでこなしているのは、万が一百練の迷宮が見つかったときにすぐに挑めるようになのだが、そこまでは口にしない。
(オーゼンには大分世話になっておるからな。儂は儂に出来ることをするだけだ)
『全く。貴様という奴は全く……』
勇者パーティを追い出された後、ニックは一人旅をするつもりだった。誰かとパーティを組んだりすればいざという時に娘の元に駆けつけることが出来ないかも知れないからだ。
だが、何の因果か今ニックの側にはオーゼンがいる。高飛車で傲慢な口の悪い魔導具だが、それが自分の側で騒いでいることが何とも楽しい。それは孤独の悲しみと人と過ごす温かさを知るニックにとって、何より好ましいことだった。
『聞いているのかニック!』
「ん? 何だ? すまぬ、全く聞いていなかった」
『誤魔化しすらしないとは……やはり貴様は我が共にいて教育してやらねば駄目なようだな。だがその前に、まずは初心者講習で常識を学んでくるが良い!』
「お主に常識を学べと言われるとはな。お主の方が余程今の常識には疎いのではないか?」
『関係あるか! 貴様に必要なのは人としての常識だ! 何でもかんでも力押しすればいいというものではない。ちゃんと頭を使って考えるのだ!』
「考えてはいるぞ? ただ考えた結果とりあえず殴って進むのが一番効率的だと判断しているだけだ」
『それが駄目だと言っているのだ! 全く貴様は! 貴様という奴は!』
言い争いすら楽しみながら、ニックは悠然と町を歩く。いつも一人で楽しそうに笑っているニックに、周囲の人達ももはや慣れたものだ。誰も気に留める者がいないなか、ニックの巨体は大分赤みを増してきた空に飲まれて路地へと消えていった。