父、降り立つ
「ふむ……?」
神聖なる儀式の間。本日の生け贄の儀式を前に、教主と呼ばれる男の背にピリリと刺激が走る。
(入り口に反応? 誰かが解析を試みたようですね。諦めて立ち去ったようですが……)
「教主様、いかがなさいましたか?」
「……いえ、何でもありません。儀式を始めましょう」
ほんの一瞬思考を宙に舞わせた教主だったが、側近からの呼びかけにすぐに意識を戻す。
(子供が帰らないことを不審に思った者が、この場所を突き止めた? だとしたら随分と優秀な方がいるようですが、まあ問題ないでしょう)
この儀式場は、教主がかなりの手間をかけて作り上げた場所だ。流石に見た目にこだわるほどの余力はなかったため、一見すると岩肌がむき出しの単なる地下通路や部屋にしか見えないが、そこには物理・魔法を問わず様々な罠が仕掛けられている。
そしてそれらは、教主の魔力を持たない者が通った場合のみ発動する。だからこそ教団員には自らの魔力を付与した特別なローブを配布しており、それもこの儀式に参加しなければ自然に魔力が失われるようになっている。
(あの布はなかなかに入手が難しいですから、失われたのは痛かったですが、あれを使ってここに侵入するのは不可能。無理矢理に押し通ることはできるでしょうが、その場合は逃げるだけですしね)
絶対に破れない扉、不可侵の場所などというものは存在しない。そんなものを求めれば際限が無く、だからこそ全ては時間稼ぎ。通路を半分ほどまで突破された時点で隠し通路から避難を開始すれば、自分も教団員も安全に逃がすことができる。
手間暇をかけた場所であろうと、いざという時は惜しまない。信仰厚い信者こそが最も得がたい財産であることを教主はきちんと理解していた。
「では、本日の生け贄の儀式を始めましょう。贄よ、目覚めなさい」
「んっ、んん……」
教主の男の言葉に、台座の上に寝かされ四肢を固定された生け贄が目を覚ます。すぐに現場を理解し激しく暴れ始めるが、子供の力で拘束を解くこどなどできるはずもない。
「んーっ! んーっ!」
「今日ここに集った皆さんは実に幸運です。今までずっとまがい物で誤魔化して来ましたが、今日はついに真なる生け贄を捧げることができるのです! そう、出来損ないの魔物ではない、本物のエルフ! しかも汚れ無き子供のエルフです!」
「「「オオー!!!」」」
眼下に集う教団員から、くぐもった歓声の声があがる。それを両手を広げていさめると、教主はそのまま言葉を続けた。
「惜しむらくは、エルフ故に口を塞がねばならないことです。母なる闇に怨嗟の声を届けられぬのは非常に口惜しいですが、精霊魔法を紡がれては儀式の進行に支障がでますからね。
なのでその分、皆には念入りに祈りを捧げていただこうと考えております。そのために用意したのがこちらです」
言って、教主は懐から釘を取り出す。いつも使っている木杭よりずっと細く長く、それでいて丈夫な鉄製の釘が松明の光に照らされ妖しく光る。
「こちらの釘を使って、丁寧に丁寧に母なる闇に祈りを捧げてください。できるだけ長く、できるだけ多く、できるだけ苦しめることで、怒りを、恐怖を、絶望を母なる闇に捧げるのです」
「「「オオー!!!」」」
「今回は初めての真なる生け贄ということで、私から祈りを捧げさせていただきます。その後は同士諸君も続いてください」
手にした釘を、生け贄の子供の体にあてがう。まず最初は足だ。しっかりと手で押さえつけ、左足の小指の爪に狙いを定める。
「母なる闇よ。どうか終わった世界に救済と再生を」
祈りの言葉と共に、木槌を振り上げる。そうしてそれを振り下ろす瞬間――
ドカーン!
「な、何だ!?」
突然の大音響ととてつもない振動。慌てて教主が振り返ると、そこには――
「よし、この辺か」
『一体何をするつもりだ? まあ予想はつくが』
羅針が丁度真下を指した辺りで立ち止まったニックに、オーゼンがそう声をかける。それに対するニックの答えは、ニヤリと笑って太い指を大地に突き立てることだ。
『やはり掘るのだな』
「そうだ。正面から入れば気づかれるのは必定。だが地下施設で頭上を掘って潜入するとは、流石の敵も思うまい」
『それはまあ、思わんだろうなぁ』
軽く土をかぶせてあるくらいならまだしも、ガッツリ地下に埋没している施設にまさか穴を掘って突入してくる者がいるなど、まともな人間であれば絶対に想定しない。短時間に十数メートルもの大地を削る力があるなら、それで正面突破を試みた方が遙かに楽だから。
しかし、ニックは穴を掘る。人力故にその力の使い方は豪快かつ繊細で、結構な勢いで掘っているにも関わらず周囲には大した衝撃も無い。発生する大量の土砂や倒木は魔法の鞄に突っ込むことで、極めて効率よく穴を掘り進んでいく。
「ん?」
そのまましばらく掘っていくと、不意にニックの指先に触れる土の感触が変わった。見た目には違いがないが、そこだけが間違いなく硬い。
『魔法による補強が為されているな。まず間違いなくこの下は部屋か通路かに通じているはずだ』
「羅針の傾きからして、チュニーンがいるのはこの下であろう。地下二階などでなくて助かったな」
もしもっと浅い位置でこの壁に突き当たっていたら、大きく迂回せざるを得なかった。周囲の土はともかく、補強された壁を壊せば存在が探知されるのは当然だからだ。
だがこの下に救出対象がいるというなら、もはや迷う必要はない。懸念すべきは人質の無事だけであり、壁越しに感じる大量の人の気配など考慮にも値しない。たとえ下にいる数十人が全員魔竜王より強かったとしても、ニックには切り抜ける自信があった。
「では、ゆくぞ!」
最後の仕上げとばかりに、ニックが拳を振り下ろす。すると大音響と共に足下が崩れ、そこには――
「うーっ! ううーっ!」
チュニーンは唸る。それは彼に出来る最後の抵抗。だが唸っても唸っても猿ぐつわを噛まされた口ではうめき声しかあがらないし、どれだけ力を込めても四肢の拘束は外れるどころか緩むことすらない。
(嫌だ! 怖い! 死にたくない!)
涙が止まらない両の目を見開き、チュニーンはゆっくりと自分に歩み寄ってくる教主の顔を見る。そこに浮かんでいたのは――静謐。
「んんんんんーっ!」
残虐な愉悦に歪んでいるならまだわかる。自らの行為に罪悪感や嫌悪感を感じているというのでも理解できる。だが何も感じていないように、本当に心穏やかに祈っているような視線を向けられ、チュニーンの心には更なる恐怖がわき上がる。
理解できない、したくない。訳のわからないものに対する圧倒的な恐怖。その恐怖の対象が、視線の届かない足の方へと移動していく。
「んんっ!?」
コツリと、足先に当たるものがあった。チクリではなくコツリ。つまり爪だ。教主は自分の足の爪にあの長い釘を打ち込むつもりなのだと悟り、チュニーンの心がもう限界だと音を上げ始める。
「母なる闇よ。どうか終わった世界に救済と再生を」
教主の言葉に、儀式上を静寂が包み込む。もはや堪えようのない恐怖にチュニーンが思わずギュッと目を瞑ったその時……突然大きな音と共に世界が揺れた。
「な、何だ!?」
教主の声に釣られるように、チュニーンもまた閉じていた目を開け、わずかに動く首を回して音の方に視線を向ける。するとそこには――
天井に空いた大穴から、中天に輝く太陽の光が降り注ぐ。その光を一身に浴び、まるで神話の英雄のようにがれきを踏みしめ佇むのは、身長二メートルを超える巨漢の戦士。
「どうやら間に合ったようだな」
様々な視線を一身に浴びて、ニックはニヤリと不敵に笑った。