父、押し倒す
巨大な機竜の咆哮に合わせるように、広大な部屋の中に突如煌々と明かりが灯る。暴き出された室内はニック達の予想を遙かに超えて広く、戦う場所としては十分だ。
「すぐに逃げろ! 端に……いや、引き返して上まで避難するのだ!」
「えっ、えっ!? あのあのあの……」
「アンちゃんはどうすんだ?」
床の上に下ろされた三人。戸惑うばかりのヒストリアに対し、メーショウは強い瞳でニックに問う。
「無論、アレを倒す! あんなものが暴れたら大事だからな」
「無茶ですよ!? 復活したってことは、勇者でも倒せなかったってことですよ!? それをただの冒険者が倒すなんて――」
「そこはまあ頑張ってみるさ。とにかく早く逃げるのだ。いいな?」
ギルド職員との問答を一方的に打ち切って、ニックは魔王竜の前に立ちはだかる。その背後では蹴り飛ばされた衝撃から復活した冒険者達が集まり、すぐに撤退の準備を開始する。
「さあ、早く逃げましょう! 立って! 走って!」
「で、でも、基人族のニックさんが残るのに、エルフの私が逃げるなんて……わ、私も精霊魔法で援護をした方が……」
「そりゃ無理だぜ先生さんよぉ! 他の魔物ならともかく、竜が相手じゃここにいるだけで足手まといだ。何せ――」
「来るぞ、吐息だ!」
大きく開いた魔王竜の口に、青白い光が収束していく。それはかつての勇者すらかわすことしかできなかった、終わりを告げる滅びの光。
『殲滅対象の集団を確認。バラス・ディバイダー、発射――』
「やらせん!」
バラス・ディバイダーが発射される寸前、ニックの蹴りが魔竜王の下顎を強烈に蹴り上げた。それによって吐息の発射される方向が変わり、音も光も衝撃もなく放たれたそれは、まるで空に溶けるかのように触れた全てを消滅させていく。
「うぉぉ、コレが魔竜王の吐息!?」
「走れ走れ! いくら我らが殿とはいえ、あんなものとても防げんぞ!」
「で、でも、あんな攻撃してくる相手から逃げながら、あの高さを登るんですか!? やっぱり端っこに避難している方がいいんじゃ!?」
「あんなものに人間が勝てるわけないだろ! オッサンの気持ちを無駄にするな! どんなに困難でもとにかく逃げるんだよ!」
そんな風に騒ぎながら、一行は部屋を出て通路を走り抜けていく。その声はきちんとニックにも届いており――
「……別に死ぬつもりはないのだがなぁ」
『フッ。貴様の強さを知らぬ者からすれば、こんなデカブツに対峙するなど自殺と思われても当然であろう?』
「まあな。さて、では護衛対象もいなくなったことであるし……そろそろ本格的な勝負といくか」
『バラス・ディバイダー稼働限界。再使用までカウント三〇〇。敵に与えた損害ゼロ。目の前にいる個体を脅威度:中に認定』
ニヤリと笑うニックを見て、魔王竜の目の色が文字通り青から赤に変わる。魔道核に刻まれた無数の命令式から最適解を更新し、かつてそうであったように目の前のただ一個を倒すためにその頭脳が高速で思考していく。
『全爪、キレール・ブレード展開』
魔竜王の左右四本ずつの爪の先に、青白い魔力の刃が生み出される。そのまま両手で挟み込むようになぎ払ってきた攻撃を、しかしニックは上に跳んでかわす。
『胸部、バラケル・ランチャー タイプS 発射』
「ぬっ!?」
見覚えのある攻撃。ならばと今度は空を蹴って横に跳び回避を試みるニックだったが、魔王竜の放った礫は命中せずともその場で爆発し、ニックの周囲を白煙が覆う。
「しまった、目くらましか!? ぬぅっ!?」
視界を奪われた一瞬の隙を突いて、魔王竜の爪が再び振り下ろされる。かろうじて腕で受け止めはするも空中で踏ん張りなど効くはずもなく、ニックはそのまま床にたたき付けられた。
響く轟音。しぶく血しぶき。だがそれでも――
「甘いわぁ!」
表皮を切られた腕から血を流しつつもしっかりとその場に立つニックは、青白い刃の伸びる爪の根元部分を掴むと、あろうことかそのまま振り回し始める。そうして三回転ほどさせたところで手を離せば、魔竜王の巨体が宙を舞い、とんでもない地響きと共に一〇〇メートル以上先の壁に叩きつけられた。
『各部損傷チェック……損傷軽微。戦闘続行。敵個体の攻撃分析……該当なし。推定:純粋物理攻撃……保留。出力方法が不明。
対象の個体を脅威度:大に修正。通常戦闘モードから全力戦闘モードへ移行。魔導炉 完全駆動』
「GROOOOOOO!!!」
「おお、お主もやる気か? いいぞ、受けて立つ!」
雄叫びを上げる魔竜王に、ニックは楽しそうに笑う。腰を落として構えをとったニックに対する魔竜王の初撃は、その巨体からは想像もつかない高速のタックルだ。
「ぐっ、速い!?」
『全ブースター、出力九八パーセントを維持。慣性変換機構、変換効率九九パーセントを維持』
「しかも重い! なんたる膂力か!」
『おい、大丈夫か貴様!?』
青い光をたなびかせる魔竜王の体当たりを正面から受け止め、ニックの体がズリズリと後退していく。その様相に焦った声をあげるオーゼンだったが、それは魔竜王の方も同じだ。
『攻撃命中。敵個体の推定ダメージ、微小。予測結果から大きく逸脱。原因を検証。
推定一:敵個体の質量の計算ミス……否定。スキャン結果に問題なし。
推定二:敵個体に当機と同等以上の慣性変換機構の搭載……保留。敵個体の腰部に魔導兵装に近い反応を確認。
対象の個体の脅威度を――』
「だが、まだまだだぁ!」
気合い一声、押されていたニックの体が踏みとどまる。それどころか徐々に魔竜王の体を押し込んでいくと、一瞬の隙を突いて右腕を引き絞り、魔竜王の腹の部分に渾身の拳を叩き込む。
「どうだっ!」
ニックに殴り飛ばされ、再び魔竜王の体が地響きと共に吹き飛ぶ。だが、今度はそれで終わらない。すぐにニックは倒れた魔竜王に飛びかかると、そのまま拳の雨を降らせていく。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
殴る、殴る。時々表面に発生する青い壁をものともせず、ニックの拳が魔竜王の体に無数のへこみを穿っていく。無論魔竜王とて黙って倒されているわけではなく、起き上がろうと必死に手足を動かしもがいているが、それでも降り注ぐニックの拳の勢いが強すぎてなかなか体を起こすことができない。
『警告。各部損傷、危険域に到達。戦闘続行に重大な支障が発生。安全装置の解除を司令部に申請……応答なし。再申請……応答なし。再申請……』
「まだ壊れんのか? 本当に魔導兵装というのは頑丈だな。ではもっと強く……なあオーゼン、これは殴っても爆発とかしないだろうか?」
『今更か!? まあ大丈夫だとは思うが……』
「そうか! ならそうだな。いっそ腹か胸辺りをぶち抜くか? それとも手足の関節をへし折ってしまった方がいいだろうか?」
それだけ聞けば極めて物騒な言葉を呟くニック。だが生き物ですらない相手を無力化する方法などニックには思いつかないし、特にその必要性も感じてはいない。
メーショウやヒストリア、果ては冒険者ギルドの研究対象としてあまり壊さずに倒そうかと思って加減しながら戦っていたのだが、これほどの力を秘めているとなれば完全に破壊しなければとても怖くて引き渡せない。
そして実際、ニックの懸念は間違ってはいなかった。表面装甲をベコベコにされた魔竜王……局地制圧用自動兵装 Magnus Dracoの内部では、最後の手段が発動していたからだ。
『司令部との通信途絶を確認。規定により浪漫戦闘モードを解放します』