父、降りる
「うわ、底が見えないです……」
「こりゃとんでもない深さだな」
「えー、ここから壁の材質が全然違う? 全部金属……まさかここ、古代遺跡ーっ!?」
穴の深さに驚くギルド職員とメーショウに対し、ヒストリアだけは違う反応を示す。実際この穴の直前で石造りの遺跡はぴったりと途切れており、素人目で見てすら全く別物になっているとわかる。
『これは……大型の荷物搬入路か?』
そしてオーゼンだけが、この場所の具体的な意味を口にした。
(む、知っているのかオーゼン?)
『ああ。アトラガルドの様式とは多少違うが、この手の場所の作りなどそう変わるものでもないからな。というか、貴様も知っているであろう? アリ達の住む場所にあった上下を移動する部屋、基本的にはあれと同じものだ』
(なんと! そうか、これはえれ……えれ……何だ? えれ何とか……)
『自動昇降機だな。とは言えさっきも言った通り、ここは人というよりは大量の、あるいは大型の荷物を運ぶのに特化した物だろうな。であれば下には大きな空間があるはずだが……なるほど、そこが魔王竜とやらがいた場所なのだろうな』
(なるほどなぁ。これを見ただけでそこまでわかるとは、流石はオーゼンだな)
『フッ。我であればこの程度当然だ』
(で、どうする? その情報はこの者達に伝えた方がいいのか?)
ニックに問われ、オーゼンはしばし無言となって考える。その眼前で繰り広げられるのは、興味深そうに辺りを見回すヒストリアや何度も穴の底をチラ見しては体を震わせ引き返すギルド職員、早速壁を削ろうとして怒られているメーショウなどの今を生きる人々の営み。
『……いや、やめておこう。今の時代を生きる者達にとって、我の知識をひけらかすのは何というか、勿体ない』
それは決して彼らに自らの知識を与えることを惜しんだわけでも、ましてや上から見下した言葉でもない。懸命に生き未知を既知に変えようとする者に答えだけをぽんと提示してしまうのは、彼らの歩む力を奪う行為に思えたのだ。
(そうか。お主がそう言うなら儂も黙っていることにしよう)
そんなオーゼンの想いをニックは正確に理解し、そっと鞄を撫でる。そのまま小休止が終わると、いよいよ穴の底へと降りることになった。
「なあニーちゃん。これ具体的にはどのくらい深いんだ?」
「そうですね。この縄を伝って降りて……いや、見て貰った方が早いか。ちょっと待ってください」
メーショウの問いにそう答えると、冒険者が穴に垂らした縄を引き上げ始める。定期的に結び目のつけられたそれは引き上げても引き上げてもなかなか端に至らず、やっと全てが穴の外に出てきた時にはこんもりと小山が出来るほどであった。
「このくらいですね」
「この距離をこの縄で降りるのか? いや、俺ならいけると思うが、エルフのネーちゃんとかは無理だろ?」
「む、無理じゃありませんー! 無理じゃないですけど……でも、ちょっとだけ大変そうというか、他の方法があるならそっちにしたい感じではありますね」
メーショウにチラ見され、ヒストリアが耳をピンピンと動かしながら言う。だが誰がどう見ても虚勢なのが丸わかりであり、その細い腕で体重を支えながら小さな結び目を支えに降りるのは明らかに無理そうだ。
「僕もこれは、ちょっと厳しいですね。どうしてもとなれば無理とは言わないですけど。せめて縄ばしごなら……いや、そんなの用意できないか」
一本の縄ならばいくらでもとは言わずともそれなりに長いものはある。だが縄ばしごとなるとここまでの長さのものは常備されていない。無論縄故にいくつかを結び合わせて長くすることはできるが、当然途中で結ぶと言うことはそこからほどける可能性があるわけで、実際にほどける可能性がどれだけ低くても、この高さを降りるのにそんな不確かな足場を使おうとはギルド職員をしてとても思えなかった。
「なら儂が抱えて降りてやろうか?」
「「「えっ!?」」」
何気なく言ったニックの言葉に、その場にいた者の声が重なる。
「大丈夫なんですかニックさん? 確かにニックさんは凄い筋肉ですけど」
「ああ、問題ない。とは言え流石に儂が抱えられるのは二人までだぞ?」
「いえいえ、それで十分です! じゃあメーショウさんとヒストリアさんをお願いできますか?」
「おい、いいのかギルドのニーちゃん? 俺は自分でもいけるぜ?」
遠慮したというよりは自分と相手の腕力と体力を正確に鑑みて言ったメーショウの言葉に、しかしギルド職員は首を横に振る。
「そうはいきません。お二人は冒険者ギルドがお招きした方ですからね。僕の方は大丈夫です。あー、でも、補助くらいはしてもらえたら助かりますけど」
「それはお任せください。じゃあニックさん、どうします? 縄で二人を背中に固定――」
「決まりだな。よっ!」
冒険者の男が口を開くより先に、ニックの両脇にメーショウとヒストリアの体が抱えられる。誰もが驚きその行為の意図を理解するより早く。
「では、先に行っているからな」
「へ!? ちょ、まっ!?」
『おい貴様、ちょっと待て――』
ニックの巨体がひょいと縦穴の中央に飛び出した。そのまま猛烈な勢いで三人の体は遙かな底へと吸い寄せられていく。
「ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇl!?」
「おぅ、おぅ、おぅ、おぅ」
暗い闇の中をやむことの無い悲鳴が伸びていく。両脇に抱えられた二人が無限のような落下の恐怖に耐えるなか、もう少しで床に叩きつけられるというところでニックの足が空を蹴った。
「ほっ! っと。ほれ、着いたぞ」
それによって衝撃が殺され、予想された衝撃も大音響も発することなくニックの体が床に降り立つ。そのまま二人を腕から解放すると、メーショウはその場で腰を曲げたまま体をぷるぷると震わせ、そしてヒストリアは……
「うっ、ひっ、ぐず……」
「ど、どうした!? 何故泣くのだ!?」
「だって、だって……うううっ……」
戸惑うニックの目の前で、ヒストリアはただひたすら立ち尽くしたまま泣く。そんな彼女のズボンの裾からは、ポタポタと水滴が垂れていた。
「シクシクシクシク……もうお嫁にいけないですー……」
「あー、いや、すまぬ。本当に申し訳ない」
さめざめと泣くヒストリアに、ニックは戸惑いと罪悪感の混じった顔で謝罪する。鍛え上げた肉体はどんな魔物も天変地異もはねのける強さを誇るが、粗相をして泣く女性を前にそんなものは何の力も持たない。
『貴様は! 本当に貴様という奴は! 何故貴様を基準に考えるのだ!? もっと常識を学べと散々言ってきたであろうが!』
脳内に響くオーゼンの叱責に、ニックはぐうの音も出ない。然りとてどうすることもできず、ただオロオロと戸惑うばかり。そんな空気を打破したのは……意外にもメーショウであった。
「ケッ、何を泣いてやがる! たかだか小便を漏らしたくらいじゃねぇか!」
「たかだかって! こんな、一六〇にもなってお漏らしなんて……」
「一六〇って、死んだ俺の爺様より長生きじゃねぇか! その年なら誰も気にしやしねぇだろ!」
「エルフとドワーフを一緒にしないでくださいー! こんなの誰かに知られたら一生お漏らし娘って笑われちゃいますー!」
メーショウの言葉にヒストリアは抗議の声をあげる。ドワーフの寿命は基人族より若干長く、平均して一〇〇年、長いものだと一五〇年ほど生きる。そう言う意味では確かに一六〇なら生きているだけで奇跡であり何もかも垂れ流しであろうと誰も何も言わないだろうが、エルフの一六〇は普通に若者であり、その価値観の違いは容易に埋められるものではない。
無論そんなことはメーショウとてわかっている。故に彼は更に言葉を続け、衝撃の事実を告白する。
「カッ! 笑いたい奴にゃ笑わせときゃいいだろ! この高さから落っこちりゃ誰だって小便くらい漏らすぜ! 実際俺もちょっとちびったしな!」
「ぬぅ!?」
「……そうなのー?」
「おうよ! 鍛冶仕事をする時は汗だくになるから、俺の服はこの程度で水が垂れたりしねぇけどな! だがバッチリ漏れてるぜ!」
「……うー。そんなこと堂々と言うなんて、ドワーフはやっぱり恥知らずですー」
「恥なんざかき捨てりゃいいんだよ! 盛大に恥をかいたら、そいつをつまみに酒が飲めるしな! カッカッカ!」
「ふふ……」
何一つ悪びれることなく笑うメーショウに、ヒストリアもつられて笑う。エルフを気遣うドワーフという珍しくも心温まる光景を前に、ニックは……
「……むぅ」
一人微妙な顔でこっそりと己の脇のにおいを嗅ぐのだった。